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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ


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26.帳簿係の靴音



ミラは、その女を追わない。


追えば、女の背中が固くなる。

背中が固くなれば、目が増える。

目が増えれば、紙が強くなる。


ミラが欲しいのは、女の後ろにいる“紙抱え”だ。

女は入口でしかない。

入口を壊せば、奥には届かない。


ミラは樽の影で待った。

待つのは、働くふりで。

縄を直すふり。

札を確かめるふり。


港の人間は、働いていない人間を嫌う。

嫌われた瞬間、目立つ。


目立てば、狩りの対象になる。


裏口がもう一度開いた。


今度は男だった。

細身。

帳簿を抱えている。

抱え方が慣れている。腕の中で紙が鳴らない。

紙が鳴らない抱え方を知っている人間は、紙に慣れている。


男は裏口から出て、真っ直ぐ監督所の裏手の通路を歩いた。

歩幅は一定。

靴音が軽い。

革靴だが、底が薄い。


“末席”の靴音。


ミラは一度だけ、文官の言葉を思い出す。


——動くのは、帳簿を運ぶ手。


ミラは距離を取り、男の後ろを歩く。

近づかない。追われていると感じさせない。

見られない。見られたら、この男は役所へ戻り、紙を作る。


男は監督所の裏手を抜け、港の倉庫群へ向かった。

倉庫群の通路は狭い。

箱が積まれ、影が深い。

影が深い場所は、話がしやすい。

だが同時に、狩りの都合もいい。


ミラは足を止めた。

影に入らない。

影に入れば、“隠れている”に見える。


ミラは影の手前で、荷札を拾うふりをした。

落ちた札を拾う人間は怪しまれない。

怪しまれない人間は、耳を置ける。


男の足音が止まった。


倉庫の横、木箱の列の脇。

男は帳簿を抱えたまま、小さな窓口へ顔を寄せた。


窓口の中には、人がいる。

見えない。

だが、声は聞こえる。


「……今朝の名簿、更新済みです」

帳簿係の男が言った。


中の声が返す。

低い。忙しい声。


「“フォルス”はどうした」


ミラの指が、荷札の角で止まった。


帳簿係が答える。


「表の名簿からは外しました」

「裏は——まだです」

「数字が合いません」


中の声が舌打ちした。


「数字が合わないのは、お前の仕事だろ」


帳簿係が息を吸う。


「……印が必要です」

「押し跡がないと、裏が締まりません」


中の声が言った。


「押し跡なら、宰相府の許可で付けろ」

「腕章はもう来ている」


腕章。


ミラの胸の奥が冷えた。


帳簿係が小さく言う。


「今日中ですか」


「今日中だ」

「明日の紙に間に合わせる」


中の声は、当たり前のように言った。

“紙に間に合わせる”が目的になっている。

真実より、紙だ。


帳簿係が頷く気配。


「……分かりました」


男の足音がまた動く。

窓口から離れ、通路を戻ってくる。


ミラは荷札を指で押さえ、ゆっくり立ち上がった。

走らない。

急げば、聞いていたとバレる。


帳簿係がミラの横を通り過ぎる。

視線は合わない。

合わないのが普通だ。

普通だから、逃げられる。


ミラは帳簿係の袖口を見る。

黒い粉は、薄い。

拭く側の女より少ない。

この男は“押す”側じゃない。

運ぶ側だ。


なら、次は——“押す側”に繋げる。


ミラは荷札を手に持ったまま歩き出した。

持っているのは“仕事に見せるため”だ。

仕事に見えれば、狩りは寄ってこない。


角を曲がったところで、整備士が荷の陰から一度だけ目を動かした。

視認。

だがすぐ目を戻す。


合図はいらない。

目が合えば、それで十分だ。


ミラは息を吐いた。


今日中に、裏名簿に印が付く。

付いた瞬間、セレナは“最初からいない”になる。


——それを止める。


止め方は、暴かない。

暴けば、紙が強くなる。


止め方は、遅らせる。

遅らせて、線を残す。

線が残れば、後でひっくり返せる。


ミラは封筒を押さえ、歩幅を一つだけ変えた。


朝が進む。

進むほど紙が強くなる。


強くなる前に、腕章の足を止める。

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