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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ


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23.内側の鍵



港の朝は、塩の匂いが強い。


潮の匂いは嘘をつかない。

嘘をつくのは、紙だ。

港の紙は、いつも乾いている。濡れていると困るから、よく乾かす。

乾いた紙は軽い。軽いから、遠くまで飛ぶ。


ミラは港の監督所を正面から見ない。

正面は、目がある。目がある場所は、紙が強い。

ミラは荷の列の外側を歩き、監督所の裏手へ回った。


裏手には小さな出入口がある。

荷の数を数える人間が出入りする。

“数える”仕事は、紙にしやすい仕事だ。


ミラは出入口の前で立ち止まらず、通り過ぎた。

一度通り過ぎて、二つ先の角で止まる。

そこから出入口の影を見る。


出てきたのは一人。

外套の丈が短い。役所の人間だ。

歩幅が揃っている。迷いがない。

だが、腕章はない。末席の歩き方。


——文官。


ミラは声をかけない。

声をかければ、二人の線ができる。

線は紙になる。


ミラは荷の列の影へ入り、紙束を抱えているふりをして近づいた。

紙束は本物だ。拾った帳簿の写し。

本物を持つと、仕事に見える。


すれ違いざま、ミラは低く言った。


「……札は、まだ残ってる?」


文官の足が一瞬だけ止まる。

止まるだけで返事になる。


文官は前を見たまま、小さく答えた。


「残ってる」

「だから、まだ“終わってない”」


ミラは歩幅を合わせ、並ぶ距離を一歩だけ作った。

顔は見ない。口元も見ない。

見れば、覚えてしまう。覚えれば、名になる。


「港の名簿が更新された」

ミラが言う。


文官が息を吐く。


「……早いな」

「“最初からいない”にするつもりだ」


ミラは短く言う。


「止めたい」


文官はすぐ返さない。

返した瞬間、味方になるからだ。

味方になったら、狩られる。


文官は代わりに言った。


「止められない」

「ただ……遅らせることはできる」


ミラは歩きながら問う。


「どうやって」


文官が小さく言う。


「名簿は二つある」

「表に見せる名簿と、裏で整合を取る名簿」

「裏のほうは、数字が合わないと困る」

「困る人間がいる」


ミラは言った。


「困る人間に、困らせる」


文官が苦く笑う。

声は出さない。息だけ。


「……君は、現場の人間だな」


ミラは否定しない。

否定しても、紙になるだけだ。


文官が続ける。


「裏の名簿を触るには、印が要る」

「印の窪みだ」

「針で押した跡が残る」


ミラの指先が冷える。

煤の布が、懐で重くなる。


「誰が押す」


文官は言った。


「押すのは机だ」

「机の角に黒い粉が残る」

「……分かるだろ」


ミラは一拍置いて答えた。


「煤」


文官の呼吸が止まる。


「……持ってるのか」


ミラは見せない。

見せれば、この男が終わる。


ミラはただ言う。


「同じだと分かった」


文官は小さく息を吐き、視線を落としたまま言った。


「港の裏名簿を管理しているのは、監督所の書記官だ」

「だが書記官は動かない」

「動くのは……帳簿を運ぶ手」


ミラが問う。


「運ぶ手?」


文官が答える。


「洗い場へ運ぶ布」

「印を押す道具を拭く布」

「紙抱えが汚れないための布」

「その布が、毎朝一度だけ捨てられる」


ミラは理解した。

具体だ。映像が出る。

布は、煤を運ぶ。


ミラは言った。


「その布の捨て場所を教えて」


文官は一瞬迷い、そして小さく言った。


「監督所の裏、排水溝の木蓋の下」

「誰も覗かない」

「覗いたら、汚れるからな」


ミラは歩幅を少しだけ変えた。

心臓が速くなるのを、足のリズムで誤魔化す。


文官が付け足す。


「……君は、何をするつもりだ」


ミラは答えない。

答えれば、計画が紙になる。


代わりに言った。


「セレナの時間を守る」


文官が小さく呟く。


「……まだ、生きていると?」


ミラは断言しない。

断言は紙になる。


「札が残ってる」

「だから、まだ間に合う」


文官はそれ以上聞かない。

聞かないことが、守りになる。


二人は角で分かれた。

分かれるのは自然に。自然じゃない別れ方は紙になる。


ミラは監督所の裏へ回る。


排水溝の木蓋。

濡れた板。

持ち上げれば、手が汚れる。


ミラは外套の袖をまくった。

汚れる仕事を知っている手で、木蓋を持ち上げる。


黒い匂いが上がった。


煤と、油と、湿った布の匂い。


ミラはその匂いを吸い、目を閉じた。


——線は、ここにある。


紙より遅い証言を、紙より消えない形にするために。

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