表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/74

16.白仮面



屋敷の朝は、静かだ。


静かすぎると、逆に音が浮く。紙を置く音。蝋を切る音。靴底が石を踏む音。どれも、当主の部屋へ届くようにできている。


アークは机の上の書類を閉じた。


封蝋は割っていない。割れば、それは“読んだ”になる。読んだものは、背負うものになる。背負えば、次に何をするかが決まる――宰相府はそうやって人を動かす。


扉の外で、執事が一度だけ咳払いをした。


ノックじゃない。咳払いのほうが古い合図だ。紙より前から屋敷に残っている。


「失礼いたします」


執事が入ってきて、机の端へ一枚の紙を置いた。

手袋はしていない。紙で手を汚さない家の者の手だ。だが執事の指先には、ほんの少しだけ黒い筋がある。外の仕事に触れた黒さだ。


「宰相府から、照会が届いております」


「照会」


アークは紙を見た。宰相府の印。文面は丁寧で、丁寧だから強い。


《白い仮面の目撃情報について》

《当該人物が港湾事故に関与した可能性》

《関係者の身元照会》


白い仮面。


アークの眉が動く前に、執事が言った。


「ご存じの通り、あの名は……紙の中だけで育つ名でございます」

「目撃情報という形を取っていますが……“見た”のではなく、“見たことにする紙”が先に出回っております」


見た者はいない。だが、紙は“見たこと”にして走る。

紙が走れば、人の口が追いかける。口が追いかければ、狩りが始まる。


アークは紙の角を指で押さえ、ゆっくりと机へ戻した。


「港の件を、白仮面に結びつけたか」


「はい。すでに街では、噂が先に走っております」


執事は淡々と報告した。淡々としているのに、言葉の選び方が慎重だ。屋敷の中で慎重な言葉が増えるとき、外で誰かが消されている。


「噂の出所は」


「掲示板、号外、そして……刷り場です」


刷り場。

紙が走る前の場所。


アークは顔を上げた。


「刷り場に、宰相府の目が付いたのか」


執事は一拍置き、答えた。


「目が付く前に、目が付くように仕立てられております。……“白い仮面”という名で」


アークは息を吐いた。


名が道具になる。

道具になった名は、誰かを切る。


「港の現場は」


「“証拠の筋”はまだ細うございます。ですが、犯人探しの熱だけは太くなっております」


執事の言い方は、現場の人間の言い方だ。紙の言い方ではない。執事は紙を読むだけの人間じゃない。紙が届く前の“手”を知っている。


アークは机の引き出しに手を掛け――止めた。

止めたまま、引き出しの上に掌を置く。


何かを確かめるような置き方。


執事はそれを見ても、視線を動かさない。

見たことにしない。屋敷の中で生きる作法だ。


「宰相府は、私に“照会”と言っている」


アークが言うと、執事が静かに頷いた。


「はい。返せば、返したという紙が残ります」


返さなければ、無視したという紙が残る。

どちらでも、紙が残る。


アークは指先で照会の紙を軽く叩いた。

乾いた音が一つ。


「……返さない」


執事の眉が僅かに動いた。


「当主として、よろしいので」


「当主だからだ」


アークは淡々と言った。


「“白い仮面”に答えた瞬間、私はその名を認める。認めれば、宰相府は次からその名で人を狩れる」


執事が小さく息を吸った。


「では、どうされます」


アークは窓の外を見た。


庭の端に、低い塀がある。

塀の外は街だ。街には掲示板があり、号外があり、刷り場がある。

そして、いまは狩りがある。


「噂は止まらない」


アークは言った。


「だから、噂の外側へ出る」


執事が問う。


「外側へ」


「紙の外だ」


アークは椅子から立ち上がった。

立ち上がる動きは静かだ。静かな動きは、決めた動きだ。


執事が一歩だけ下がり、道を開ける。


「……奥で、待っております」


「待つな。屋敷を守れ」


「承知いたしました」


執事は頭を下げた。頭を下げ方に、いつもより重さがある。心配の重さだ。


アークは扉へ向かい、取っ手に手を掛け――止めた。


「ひとつだけ」


執事が顔を上げる。


アークは言った。


「“白い仮面”という名で、誰かを切らせるな。……特に、現場の手を」


執事が短く頷いた。


「守ります」


アークは扉を開けた。

廊下の空気が冷たい。屋敷の静けさが、外の騒ぎを余計に際立たせる。


紙が走る国では、名が走る。

名が走れば、狩りが始まる。


アークは表情を変えないまま、歩き出した。


噂の中の白仮面ではない。

当主としてのアークのまま、紙の外へ出るために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ