15.入口の紙
宰相府の廊下は、音が遅い。
歩く靴音も、書類を運ぶ車輪の音も、壁に吸われる。
吸われる代わりに、紙の擦れる音だけが残る。
俺は宰相府の裏口を見上げた。
裏口は正門より狭い。
狭いのに、人の出入りが多い。
正門は顔を通す。
裏口は紙を通す。
紙の方が速い。
俺の横で、カイルが息を吐いた。
「条文で縛れるのは、人だけだと思ってた」
「机も縛れる」
俺が言うと、カイルは苦く笑った。
「机を縛る条文なんて、見たことない」
「条文は机の上で運用される」
俺は言った。
「机が曲がれば、条文も曲がる」
カイルは宰相府流通監査へ出向中だ。
公爵家の血でここに立っているのに、条文の線で縛られている。
縛られているからこそ、線の端が見える。
「ここの通報、変だ」
カイルが言った。
「増え方が綺麗すぎる」
「綺麗すぎる増え方は、誰かが整えてる」
俺が返す。
「整えるのは、帳面」
カイルが頷いた。
「帳面の線が、通報の線を作ってる」
宰相府の窓から、薄い紙束が運ばれていくのが見えた。
薄箱ではない。
封筒でもない。
巻かれた紙。
「……切り替えの紙だ」
カイルが言った。
「条例の附則。運用の指示。名目だけ変えて、順番だけ変える」
俺は目を細めた。
順番だけ変える。
順番を変えるだけで、人は別の声を出す。
その声が、狩りを加速する。
「誰が回す」
俺が問うと、カイルは答えた。
「宰相府の中だけじゃない。札屋にも行く」
「札屋に行くなら、市だ」
俺が言う。
「市に行くなら、配給札が動く」
カイルが短く息を吐いた。
「配給札が動けば、生活が動く」
「生活が動けば、通報が動く」
俺は言う。
「通報が動けば、首が動く」
カイルが顔を歪めた。
「……止めるのか」
俺は即答しない。
止める、は簡単だ。
簡単な言葉ほど、紙に負ける。
「止めるんじゃない」
俺は言った。
「折る」
「折る?」
カイルが聞き返す。
「机の脚を折る」
俺が言うと、カイルは目を瞬かせた。
「脚……」
「机が立てなくなれば、帳面も立てなくなる」
俺は続けた。
「帳面が立てなくなれば、条文は運用できなくなる」
カイルは少しだけ笑った。
笑いは短い。
でも、その短さが救いになる時がある。
「公爵家のやり方じゃないな」
「公爵家のやり方が、ここまで来た」
俺は言った。
「だから、ここからは違うやり方で折る」
宰相府の廊下の奥で、紙の束がまた一つ動いた。
遅い音の中で、紙の音だけが速い。
俺はその速さを見て、拳を開いた。
焦って握ると、相手に掴まれる。
掴まれないために、手は開いておく。
「行くぞ」
俺が言うと、カイルが頷いた。
条文の端は、机の端にある。
端を拾えば、いつか真ん中が崩れる。




