表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/42

紙より先に



評議の間は、広い。


広いのに、息が詰まる。


古い木と蝋とインクの匂いが混ざって、空気が“整いすぎて”いるからだ。


レインヴァルト公爵家は、剣ではなく路を握る家だ。


港と線路と倉庫——国の腹を止めないための執政家。


止まれば王都が餓える。


だからこの部屋に並ぶのは武器ではない。


帳簿と運行表と、配給の紙だ。


机の上には、その紙がきっちり積まれている。


港の事故報告。配給見込み。護衛配置。通報件数。


どれも罫線が真っ直ぐで、数字が綺麗で、署名が揃っている。


綺麗すぎる紙は、現場の匂いがしない。


壁際に立つ者たちが、一斉に頭を下げた。


「公爵閣下」


声が揃っている。


揃っている声は、すでに“正しい順番”を用意している。


アークは席に着かない。


席に着けば会議が始まる。


始まれば議事録が残る。


議事録は、いずれ誰かの手に渡って“物語”になる。


——今この街は、物語が早すぎる。


アークは机の端に立ったまま、全員を見回した。


家令。執政官。財務係。港湾監督の代理。


この家に忠実な者たちだ。


だからこそ、危ない。


忠実な者ほど、「正しい紙」を欲しがる。


家令が一歩前に出た。


髪は白いのに目が鋭い。


公爵家の血より長く屋敷にいる目だ。


「港の流れが詰まっています」


「事故現場の封鎖が早く、荷が動きません」


「配給の遅れを恐れて、町がざわつきはじめています」


——港にいるのは荷だけじゃない。消されかけた名前も、そこにある。


ざわつき。


その一語の裏に、もっと具体的なものがある。


人が集まり、掲示を読み、誰かが声を上げる。


声が増える。


声が増えると、紙が増える。


執政官が机上の一枚を押し出した。


角が揃いすぎた紙だ。


赤い印影が濃い。


「宰相府からの公示です」


「事故は敵性勢力の工作とされ、協力者の——」


アークは手を上げた。


それだけで、執政官の口が止まる。


止まるのはアークが公爵だからだけじゃない。


この場の全員が分かっているからだ。


——公式に言った瞬間、それが“確定”になる。


アークは低く言った。


「名を出すな」


執政官の喉が動く。


言葉を飲み込んだ音が、やけに大きい。


家令が、言葉を選ぶみたいに咳払いをした。


「……閣下。ひとつ確認を」


「先代のご加減は、いかがで」


気遣いの形をした探りだった。


この場が知りたいのは病状じゃない。

——先代の名が、まだ“効く”のかどうか。


先代の影が濃ければ、宰相府の紙に抗う理由が弱くなる。


逆に薄ければ、当主であるアークの判断がすべてになる。


アークは瞬きひとつ分の沈黙を置いた。


「……静養中だ」


それ以上は言わない。


父の状態を言葉にした瞬間、父は政治の道具になる。


家令は納得したふりをして、話を戻した。


「宰相府は、事故を“過激派の犯行”と断定しています」


「通報には報奨金がつきました」


報奨金。


その単語だけで、空気が変わる。


正義が金で加速する匂いがする。


アークは、机上の紙を一枚見た。


印が濃い。字が丁寧だ。丁寧な紙ほど強い。


「その紙を、こちらからは配るな」


家令が眉を寄せる。


「しかし閣下、何も言わねば町は——」


「町は、もう動いてる」


アークは淡々と続けた。


「民が考えなくなると、紙が真実になる」


「紙が真実になったら、指が上がる」


「指が上がれば——広場で、誰かの名前が叫ばれる」


「指が上がれば、無罪の誰かが“必要”になる」


言い切って、息を吐く。


この街は、いま“誰か”を必要としてる。


それが一番、危ない。


財務係が恐る恐る言った。


「……狩り、ですか」


アークは頷かない。


頷いたら確定になる。


確定は紙になる。


代わりに、短く言う。


「狩りの前に、名簿が狙われる」


家令の目が揺れた。


名簿は“誰がそこにいたか”だ。


誰がいたかは証言になる。


証言は武器だ。


武器は持ち主ごと折られる。


アークは家令に言う。


「現場の手を守れ」


「整備士と荷役の名簿は、宰相府へ渡すな」


「通報が来ても“確認中”で返せ」


執政官が反射的に言った。


「ですが拒めば疑われます」


アークは遮らない。


遮らずに、その先を言ってやる。


「疑われる。だからみんな、先に誰かを差し出す」


「差し出せば安心する」


「安心した町は、次を欲しがる」


狩りは一度始まると、止まらない。


アークは、紙束の“綺麗さ”を見下ろした。


「宰相府の紙と、こちらの紙で殴り合うな」


家令が言う。


「では、どう戦うのです」


戦う、という言葉が出るのが怖い。


戦うと言った瞬間、この家も“陣営”になる。


アークは言葉を選ぶ。


「戦わない」


「残す」


家令が目を細める。


分からないふりじゃない。理解しようとする目だ。


アークは続けた。


「宰相府への返答は、ひとつだけ」


「“調査協力はする。だが現場の原本は出さない”」


原本。


綺麗な写しじゃない紙。


鉛筆の線と滲みと折れ目のある紙。


汚れていて、直せないやつだ。


あれが残れば、遅れて来る真実に繋がる。


アークはさらに言う。


「返答文は、俺の名で出すな」


「家令の名で出せ」


「公爵家は、余計な言葉を増やさない」


家令の口がわずかに開き、すぐに閉じた。


理解したからだ。


言葉を増やせば、宰相府の紙と同じ土俵に立つ。


執政官が慎重に問う。


「配給の紙はどうします」


それは止められない。


止めれば、本当に餓える。


餓えれば、狩りは加速する。


アークは即答した。


「配給は出す」


「運行も出す」


「ただし“犯人”の紙は出すな」


家令が深く頷いた。


「承知」


アークは最後に、短くまとめた。


「紙は二種類に分けろ」


「配る紙と、残す紙だ」


「配る紙は、人を生かすための紙」


「残す紙は、遅れて来る真実のための紙」


部屋が静まり返る。


静まり返ったのは同意じゃない。


怖さだ。


公爵家が“紙で勝てない”と言い切った怖さ。


でも、それでいい。


アークは扉へ向かった。


---


廊下へ出ると、屋敷の静けさが戻ってきた。


静けさの中に、遠いざわめきが混じっている気がする。


港の声。


市場の声。


掲示板の前で立ち止まる足音。


執事が影のように並び、声を落とした。


「閣下。宰相府より照会が増えております」


「事故と配給と……“過去の類似”を問うものが」


過去。


その単語が、骨の奥を叩く。


アークは足を止めないまま言う。


「原本は動かすな」


「写しだけで返せ」


「写しは整える。——原本は整えるな」


執事が小さく頷いた。


「……はい」


廊下の突き当たりに、普段は使わない扉がある。


屋敷の“形”から外れた扉だ。


先代が静養に入ってから閉ざされた扉。


アークは一瞬だけ視線を向けた。


父は息をしている。


息をしているのに、父の言葉だけが型になって外で走っている。


——混乱を避けるため。


父の口癖。


父の罪。


父の後悔。


アークは扉を開けない。


今ここで会えば、自分の決意が揺らぐ。


揺らげば、遅れて来る真実に間に合わない。


アークは視線を戻し、歩いた。


(俺が闇になるのは、父上のためじゃない)


(——この国の光が、順番の中で死なないためだ)


声にはしない。


声にした瞬間、紙になる。


屋敷の外では今日も紙が走っている。


誰かの正義が走っている。


指が上がる前に。


狩りが始まる前に。


アークは先に動く。


扉の向こうの息を背に、足音だけを残していった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ