1話
鈴木和也は、昼休みの教室で静かにパンをかじっていた。
「静かに」と言っても、彼の脳内では今、宇宙艦隊が敵勢力と交戦中である。
「艦長、敵の主砲がこちらに!」
「落ち着け、我々には鈴木佳奈子がいる!」
脳内の副官が叫ぶ。和也はパンの袋を握りしめた。
「……何してんの?」
隣の席から声が飛ぶ。現実の佳奈子だ。メガネの奥の目が、若干呆れている。
「いや、ちょっと艦隊戦を……」
「昼休みに戦うな。あと、パンの袋は武器じゃない」
佳奈子は、教室の空気を読むのがうまい。誰が誰と仲良しで、誰が誰を避けているか。そういうのを、無言で把握している。けれど、誰にも話しかけられない。話しかけづらい。真面目そうすぎるから。
「ねえ、鈴木くん」
「ん?」
「また“お姉ちゃん”って呼ばれてたよ、私」
「え、誰に?」
「廊下で、1年3組の子。『鈴木くんのお姉ちゃん、こんにちは』って」
「……俺、そんなに弟っぽいか?」
「いや、あなたが昨日、廊下で転んで泣いてたからじゃない?」
「それは……床が滑ったんだよ!」
二人は笑った。隣同士の席で、隣同士の家で、隣同士の人生を歩いている。
でも、兄妹じゃない。断じて違う。
それに、呼び方も変わった。
小学生の頃は「和也」「佳奈子」と呼び合っていた。マンションの廊下でも、学校の廊下でも、名前で呼ぶのが当たり前だった。
でも、中学生になってからは違う。思春期というやつが、じわじわと距離感を変えてくる。
「和也」って呼ぶと、周りがざわつく。「佳奈子」って呼ぶと、誰かがニヤつく。
だから、今では学校では「鈴木くん」「鈴木さん」と呼び合っている。兄妹と間違えられないように。余計な誤解を避けるために。
「ねえ、鈴木くん」
「ん?」
「たまに、“佳奈子”って呼ばれたいなって思う」
「……俺も、“和也”って呼ばれると、ちょっと安心する」
「じゃあ、家の前では名前で呼び合おう。学校では同盟国で」
「了解。鈴木同盟、発効中」
その午後、事件は起きた。
「鈴木和也さんと鈴木佳奈子さん、生徒会室まで来てください」
校内放送が流れた瞬間、教室がざわついた。
「え、付き合ってるの?」
「兄妹じゃないの?」
「生徒会って、そんなプライベートまで管理するの?」
和也と佳奈子は、無言で立ち上がった。
「……なんで呼ばれたと思う?」
「たぶん、兄妹だと思われてるから」
「それだけで呼び出す?生徒会ってそんなに暇?」
「暇じゃないけど、正義感はあるよ。たぶん」
生徒会室のドアをノックすると、会長の佐藤がいた。2年生で、眉間にしわが寄っている。
「君たち、兄妹じゃないんだよね?」
「はい」
「でも、同じ苗字で、同じマンションで、同じクラスで、席も前後で、登校も一緒で、給食袋も渡してて、昨日は佳奈子さんが和也くんの体操服を持ってたよね?」
「それは……忘れたからです」
「忘れすぎじゃない?」
「すみません」
佐藤はため息をついた。
「実は、先生たちの間で“兄妹が同じクラスにいるのは不公平では”って話が出ててね」
「不公平?」
「テストの時に協力しやすいとか、家庭で情報共有できるとか」
「そんなこと、してません!」
「だよね。でも、誤解されると困るから、念のため確認したかった」
佳奈子が口を開いた。
「私たち、兄妹じゃないです。隣人です。あと、同盟国です」
「同盟国?」
「鈴木同盟。条約は“お互いの秘密は守ること”です」
佐藤は一瞬沈黙した後、笑った。
「……わかった。じゃあ、誤解を解くために、何かアピールしてくれる?」
「アピール?」
「兄妹じゃないって、みんなに伝える方法。例えば、ペアで漫才するとか」
「漫才!?」
和也が目を輝かせた。
「それなら、俺の妄想をネタにできます!」
「やめて。私がツッコミ役になるの、目に見えてる」
「でも、漫才なら“兄妹じゃない”って強調できるよ」
「……やるの?」
「やるしかないでしょ。鈴木同盟の名誉のために!」
こうして、翌週の昼休み。校内放送で“鈴木くんと鈴木さんの漫才”が流れた。
「どうも〜兄妹じゃないコンビです!」
「いや、兄妹じゃないって言ってるのに、兄妹っぽい登場やめて」
「俺、昨日の夢で佳奈子が宇宙人だったんだよ」
「それ、兄妹じゃないどころか人類じゃないじゃん!」
教室は爆笑だった。
漫才が終わった後、佐藤会長が言った。
「これで、誤解は解けたと思う。ありがとう、鈴木同盟」
「いえ、条約は守られました」
その日の帰り道。
「ねえ、鈴木くん」
「ん?」
「漫才、ちょっと楽しかった」
「俺も。なんか、宇宙より笑いってすごいなって思った」
「それは言いすぎ」
二人は並んで歩いた。
兄妹じゃないけど、兄妹よりも近い。
そんな距離感が、今日も少しだけ更新された。
そして、マンションの前に着いた瞬間。
「じゃあね、和也」
「うん、また明日、佳奈子」
名前で呼び合う声は、誰にも聞かれていない。
でも、二人だけには、ちゃんと届いていた。




