シャルペロと私
『サララー。今日は買い物だったんでしょ』
「そうよ。いろいろ回って来たわ。シャルペロも来ればよかったのに」
夕食の支度をしていると、いつの間にどこからか現れたシャルペロが話し掛けてきた。散歩にでも出ていたか、屋根の上で日向ぼっこでもしていたのだろう。
『やだよ。人混みキライだもん。ボクは適当に歩き回ってるからいいよ』
正確には《人が嫌い》だ。緑の精霊が本性であるシャルペロは、基本的に私以外の人間と関わりたがらない。今日のように私が家族以外の人間と一緒にいると、いつの間にか姿を隠してしまう。
今日もイルクさんが荷物を抱えて入って来たのを見たとたんに、ふいっとどこかに消えてしまった。
そんなところも本物の猫のようで面白いが、精霊の中でも闇と緑の精霊は臆病で気難しいと聞くので、シャルペロに限った話ではないのだろう。事実彼らは契約を結ぶことが滅多にないらしい。
本来なら使い魔は契約主から勝手に離れたりしないらしいが、私とシャルペロの場合はちょっと特殊だ。血の盟約ですでに別の精霊と契約を結んでいる私は、本来なら使い魔との契約が出来ないはずなのだから。
「まあ、好きにしなさい」
それに精霊は元来が気儘なもので、たとえ契約者であろうとも縛ることは出来ない。契約者はお願いして力を貸してもらっているだけなのだ。
たとえ契約したとしても、あくまでも精霊が上位なのだが、そこらを勘違いして契約すれば精霊を自由に使役出来ると思っている者がいる。
しかし精霊が言うことを聞かないことに腹をたて、無理に従えさせたり迂闊に危害を加えようものなら、手酷いしっぺ返しを受けるだけだ。
もし精霊に害を加えることが出来るなら、それは同じく精霊の上位の存在だけ。そうは言っても、精霊が同族で争うような人間と同じ愚挙に出ることはありえないが。
彼ら精霊こそが、万物を司る摂理そのもの。たとえ時に無慈悲に思える精霊の行いにも、必ず法則があるという。広く見れば世界の秩序を保つため、必要なのだと言われている。
私も実際のところ、シャルペロがなにを考えているのかわからないことも多い。そんな訳の分からないものを従えようなんて、まともな頭があれば考えることはない筈だから、しっぺ返しを食らった人間に同情なんてしないが。
『ねえ。また昨日のスープの残り? あの赤い奴に全部食べさせたらよかったのに』
「赤い奴じゃなくて、イルクさん。それに贅沢は敵」
シャルペロを見ているととてもそんな高尚な存在とは思えないけれど、私欲のために戦争を始める人間などよりは、遥かに上等だとは思う。
『せめて味付け変えてね』
「無理に食べなくていいわよ」
昼間すっかり具を食べてしまったスープの残りの鍋に水を足し、水で戻したひよこ豆を二つかみと刻んだニンジン、玉ねぎをほうり込んで、竈にかけながら言ってやった。
『食べるよー。ひよこ豆好きだもん』
私はひよこ豆よりレンズ豆の方が好きだな。水戻しも短時間で楽だし。ゆうべはレンズ豆と干し肉のスープだった。
そういえば最近葉物を食べていない。そろそろキャベツが出回る時期だから、今度市場で買って来よう。キャベツどっさりのスープもいいなあ。
豆が煮えてきたところで塩壺から塩を一つまみ取って、鍋へ入れた。さらに煮込みながら、調理台に置いた乳鉢で、乾燥トウガラシをゴリゴリと磨り潰す。
そうしているうちに、いい具合に煮立ってきた鍋へ、粉にしたトウガラシを加えた。これでシャルペロの望み通りのピリッと辛いスープになる。
トウガラシ入りといってもそんなに量が入ってはないから、辛すぎるほどではない。
「うーん。ちょっと足りないかな」
味を確かめてみたら辛味はあっても、塩気が足りなかったので、もう少し塩を足して味を整えた。うん。いい感じ。
『出来た?』
もう一度私が味見するのを見ていたシャルペロが目を輝かせた。君も味見がしたいのね。でもまだ完成じゃないんだよ、シャルペロ。しばし待て。
私はさらに食料戸棚から卵を取り出して見せた。食いしん坊のシャルペロのために、特別にスープに卵を落としてあげよう。
『卵!』
「そう、今日のスープは落とし玉子入りよ。好きでしょ?」
『好き』
実はこの卵。そろそろ使わないと傷みそうで、危ないのだ。いくら高いからって、惜しんで腐らせたら意味がない。もう食べちゃおうね。
シャルペロは私が鍋に卵を二つ割り入れるのを、尻尾をゆらゆらさせながら見ている。
卵もシャルペロの好物なのだ。
しかし本当に食べるのが好きだなぁ。元々精霊なのだから、食事を取る必要はないのに。
たとえ実体化していても精霊は生き物ではない。つねに大気中に満ちているマナを呼吸しているので、食事をする必要はないと教えてくれたのはシャルペロ自身だ。
しかし食事をするという行為を覚え、楽しんでいるシャルペロは、色々と試したがる。ネズミの干物に興味を持たなかったのは、幸いだった。
『ねえ、パンある?』
「買ってきたわよ」
私は平たいパンのかたまりを見せた。最近は外国から小麦の柔らかいパンが入ってきているが、やはり主流は黒麦のパンだ。
それどころか小麦のパンはパン屋でも見たことがない。
一番の理由は、小麦自体が輸入品で値段が高いことだろう。作っても材料費のせいで単価が高くなりすぎて、売れるとは思えない。作るだけムダなのだ。
しかしそれ以前に、この国では小麦のパンは合わない。私もずいぶん前に、実家の食卓で食べる機会があったが、また食べたいとは思わなかった。
小麦のパンはどうにもフニャフニャと柔らかすぎて頼りない。なんというか焼きが足りない半生のままのようで、さして噛まないうちに口の中で団子状になるのが、どうにも気持ちが悪い。
味の方も黒麦のパンよりぼんやりしていて、好きになれなかった。たぶん小麦のパンを好む国の人たちと私では、味覚が違うのだろう。
聞いた話だがその国では、食感が柔らかいものほど美味しいともてはやされるらしい。
確かに小麦のパンは柔らかだったが、それを美味しいと私は感じられなかった。
私はまだまだ顎も歯も丈夫だ。年寄りじゃあるまいし、あんまり柔らかいと頼りなくて食べた気がしない。やはりしっかり噛み締められて、お腹にたまる黒麦のパンの方が好きなのだ。
年をとって歯が弱くなったら小麦のパンもいいかもしれないが、今は別に食べたいと思わない。
それだって行儀は悪いが、黒麦のパンをスープに浸して柔らかくして食べればいいし、パン以外のもの、大麦の粥や芋や豆などを食べれば済むことだ。
家族も私と同じように思ったのか、それ以来小麦のパンが食卓にあがることはなかった。
まあ、元々が小麦の生産に適さないから、黒麦や大麦や芋が主食になった国だ。舌に合わないものは仕方がない。
その小麦のパンだが、たとえ高価でも王侯などの富裕層が気に入れば、だんだん広まっていっただろうが、その王侯でさえ黒麦のパンの方がいいと言うとは、小麦のパンを持ち込んだ人も思わなかっただろう。
小麦の輸入量がふえないからと、せっかく小麦のパンの調理法を持ち込んだのに、まさかの味覚の違いという壁が存在するとは想定外だっただろうなぁ。気の毒に。
まあ、さして美味くもない物を馬鹿高い金を払って食べる人はいないってことだ。あるものが美味しければ、それで十分でしょう。
味覚といえば、大麦で作ったお酒にエールがある。
このエールだが、外国では庶民の飲み物で、王侯はあまり口にしないらしい。しかし我が国では、王侯貴族に坊さんまでもがエールが大好きで、こぞって領民に作らせている。
もちろん庶民もエールが大好きだ。地方によって色々種類があるようだし、私はまだ未成年だから飲んだことはないが、男女関係なく飲む。
そもそもエールは、生水よりも安心安全で水分と栄養を一緒に取れる、お値打ちな飲み物なのだ。
病人にはエールで作ったスープを飲ませるし、野良仕事のお昼ご飯代わりに携帯している人もいるくらいだ。
ただ利尿作用があるから、エールだけ飲んで他の水分も補給しないと脱水になるから注意ですが。真夏などの暑い日には特に危険ですよ。
切り分けたパンと落とし玉子入りのスープの夕食を食べたあと、シャルペロが満足そうに舌舐めずりをして言った。
『ねえ。今日散歩したとこに、いっぱい使える草が生えてたよ』
「どんな?」
『たんぽぽとかオオバコとかトリカブトとか、いろいろ』
シャルペロは散歩中に見つけた薬草の生えている場所を時々教えてくれる。まだこの町の植生を知らないので非常に助かる。
たまに崖っぷちとか、よその敷地とか、到底採りに行けない場所のときもあるが、まあ良しとしよう。
採ってきてくれたらもっと助かるが、そこまでは私も期待していない。だってシャルペロだし。
「たんぽぽとオオバコは助かるわ」
たんぽぽの若葉はサラダにすれば美味しくて、市場でもよく見かける野菜だが、葉だけでなく根っこの部分も薬としてよく使う。オオバコもいくらあっても困らない。
「トリカブトかー。あっても困らないけどねー。うーん」
トリカブトは毒草として有名で知らない人がいないくらいだが、もちろん薬としても色々と利用できる。
できるんだが、やはり毒性が強すぎて使いどころが難しいから、私はあまり使わないのだ。
たいして欲しくはないけど、使うときもあるかも知れない。とりあえず採っておいて保存しておけばいいか。
『近くにビワの木もあったよ』
ビワ! それは助かる。果実の時季にはまだ早いだろうが、葉が手に入れば十分だ。
シャルペロから詳しく場所を聞き出しながら、私は浮き浮きと明日以降の予定を考えた。