ただいま開店準備中 6
「あ」
食料品店を出たところで、時を知らせる時鐘が鳴り響いた。時鐘は一日三回、朝の7時と正午と夕方の5時に鳴らされるので、今は正午ということになる。
「もう昼か」
「色々と回りましたからね」
「ずいぶん買い込んだが、まだ欲しいものはあるのか?」
「いえ、十分買わせていただきました」
荷物持ちがいるのをいいことに、つい遠慮なく買い込んでしまった。調合用具に調理小物に食品、どれも生活するのに欠かせないものばかりだ。たぶん買い忘れはない筈。
「今すぐ欲しいものは買えたので、あとはまた買いに来ます」
買い物がてらイルクさんに案内してもらったので、町のだいたいの配置はわかった。
「そろそろ帰るか」
「はい。お昼まで付き合わせちゃってごめんなさい」
大物は配送を頼んだので持てるものは手分けして持ったが、イルクさんも私も、これ以上持てないほどの量の荷物を抱えている。ちょっと欲張って買い過ぎたかもしれない。
家まで遠かったら馬車を捕まえたいところだけれど、幸い我が家は歩いてもたかがしれている距離なので歩いて帰ることにした。まあ、遠かったとしても手持ちのお金が足りないので、結局歩きになるのだけど。
とにかく二人して黙々と歩く。イルクさんは無口なので仕方ないが、私は抱えた荷物の重みで腕が痛くて、話す余裕がない。
やっぱり自分には腕力がないのだと、身に染みて感じた。家までの道のりがやたらに遠く感じられて、自分の非力さが情けなくなってくる。
「重いか?もう少し持とうか」
「十分持ってもらってますよ」
いけないいけない。どうも顔に出ていたらしい。イルクさんに荷物のほとんど持ってもらっているのに、これ以上増やすわけにはいかない。
「もうすぐ着くし、平気です」
本当は平気じゃないが、我慢出来ないほどじゃない。そもそも全部、私の荷物だ。
これが兄や父になら遠慮などしないが、イルクさんはギルドの不始末の尻拭いに駆り出された不運な職員にすぎない。せっかくの休日を小娘のお守りに荷物持ちなんて、私がイルクさんなら文句の一つ言いたいところだ。
しかし今日は、本当に自分には体力がないのだと実感した。薬の調合は結構力を使うものなのに、これは問題じゃなかろうか。本気で体力作りを考えた方がいいかもしれない。
でもあんまり筋肉質になるのは、女としてどうだろうか。一応嫁には行きたいので、そこは考えておかないとダメかも。
私は荷物の重みをこらえるために、普段は考えもしない馬鹿なことを考えながら、イルクさんの後について必死で家への道のりを辿った。
やっとのことで家に帰り着き、買った荷物をテーブルに置いて、痛む腕を曲げたり伸ばしているとイルクさんが帰り支度をしているのが見えた。
「あ、待ってください。お昼ご飯を用意しますから」
さんざん振り回した人を空きっ腹で帰すなんてとんでもない。ごちそうしますよ、財布の中身が心細いので大したもてなしは出来ませんが。
「いや、今から仕度するのは時間がかかるだろう。…広場でなにか買っておけばよかったな」
いったん断りかけたイルクさんだったが思い直したのか、脱いで腕にかけていた上着を纏って振り返った。
「そうだな。少し遠いが、いい店を知っているから食べに行こうか」
誘う以上はイルクさんのおごりですね。せっかくの休日に子守りをして、荷物持ちまでしたうえに御馳走までしてくれるなんて、ずいぶんと気のいい人だなあ。
でも食べに行くのは却下で。飲食店街は一区画向こうだ。正直なところを言えば、もう歩きたくないです。疲れました。
それにイルクさんの言う通りのいい店なら、今は昼過ぎで書き入れ時のはず。わざわざ遠出して、空きっ腹を抱えて待たされるなんて嫌ですから。
でもそれ以上に屋台物も勘弁して欲しい。イルクさんがいう広場というは、ダンジョン前の探索者広場のことだ。そこにはいつも探索者向けに安価なアイテムの露店や軽く食べられる軽食の屋台が並んでいる。
ここから近いので、引っ越ししたてのうちは二度ほど屋台のお世話になったが、もう世話になりたくない。
体力勝負の探索者向けの屋台料理だからか、軽食といいながらもいかにも精のつきそうな物ばかりで、とにかくやたら胃に重たいのだ。
屋台で売られているのは、揚げた薄焼きのパン生地に揚げ塩鶏と濃厚なチーズを挟んだものとか、油の浮いた塩スープに油揚げ麺、さらに山盛りの揚げ鶏肉乗せとか……見るからに塩気が強くてベタベタと油っこい、いかにもくどいものばかり。
どれもやたらと塩と油を使いすぎなのだ。特に麺(名前忘れた)にいたっては、塩スープの表面が油揚げ麺から出た油が浮いてギラギラしているなかに揚げ鶏を投入するから、鶏肉から出る脂と揚げ油がスープに加わって、ギラギラを通り越してギトギトしている。なんと言うかもう油のかたまりだ。
たしかに生麺は痛みやすい。だから作りおきを売るしかない屋台には、麺を油通しして出すのは仕方ないのだけど、どうして具材の鶏肉まで揚げるのだろうか。普通に焼けばいいじゃないか。
更に言うと値段の方も割高で、まったくいいところなんてない。
探索者のお兄さんが美味しそうに立ち食いしてなければ買わなかったのになぁ。
たしかに味は美味しかった。しかし舌に油がいつまでも残る感じがしつこくて、すぐに後悔した。残すのも失礼かと頑張ってその場で食べたけど、しばらくは胃もたれして辛かった。探索者って、胃の頑健さも求められるんだろうか。
思い出しただけで胸やけしてきた。…空腹なはずなのに、思い出しただけで胸がいっぱいだ。
商工ギルドからも近いから、イルクさんも利用するのだろうか。
余計なことだけど、今に胃を悪くするから弁当を持参するか、隣の飲食店街まで足を運ぶなりした方が良いと思います。というわけで
「昨夜の残りだけど、スープを温めますね。具はレンズ豆と干し肉です。パンも買って来てるし、美味しいチーズもありますよ。すぐ出来ます」
また歩いて行くより、作る方が早く食べられます。味は………店ほどじゃありませんが、普通に美味しいですよ。
「はい。井戸で手を洗って来てくださいね」
洗いたての清潔な手拭いを差し出して私はにっこり笑い、イルクさんを有無を言わさず中庭へと送り出した。