最終章:愛のために愛しい君は
綺麗な朝日が差し込んでいた。がらんとした部屋に、日の光がいっぱいに広がる。
朝がいい、と言った少年の言うとおりに、タケミは雲ひとつない快晴の早朝に、仕事用に使っている防音完備の物置部屋に少年を連れ込んだ。一つの家具もない部屋は、白い壁紙が目に痛かった。
「おいで」
タケミはいつもと変わらない声色で言って右手を差し出す。少年はそっとそれに左手を乗せる。まるでワルツを踊るかのような優雅さで、二人ともことさらにゆっくりと動いていた。
「椅子がいるか?」
「いえ、いいです。タケミさんの顔が少しでも近くで見られるから」
少年は冗談っぽく笑った。タケミも小さく笑い返した。けれど、きっと今自分の目は暗い色をしているのだろう、と思った。
「ねえ、タケミさん。もう一つお願いがあるんです」
「なんだ」
少年は、タケミの手を大事そうに両手で包みこんだ。
「生まれ変わって、また人間になれたら、また一緒に買い物に連れていってください」
タケミは目を閉じた。勢いをつけて右手で少年の頭を抱きしめると、ああ、とくちびるを震わせる。
「ああ。今度は完全な人間に生まれて、今度こそ一緒に、なんでもしよう。俺はずっと、待っているから」
「その言葉はなんだか、とっても素敵な気がします」
少年は笑って、そっとタケミの腰に両手を回した。少年から触れられるのは初めてで、こんなときに、とタケミは思って背筋を震わせた。じわり、と腹が濡れた。
「本当に、いいのか」
なぜか今更そんな言葉が口をついてしまって、タケミはしまった、と思う。けれど、この少年があとほんの少しでも生きたいと思うのならば、それでいいと思うことこそが真実だった。完全な機械になっても、この少年が生きていればいい。だからタケミはこんなになるまで、少年の願いをかなえてやれなかった。死なせたくなかった。体温の感じられない胴体に、ぎこちなく動く手足に、タケミは情けないような気持ちになる。
「はい。タケミさんに殺されるんなら、いいんです。僕を人間だと言ってくれたタケミさんに看取られて死ぬのなら、僕は、幸せです」
にこりと笑った少年の、目が悲しげに揺れていた。タケミはその皺を撫でて伸ばしてやって、でもそんなことをしても意味はないのだと、思いながらもやめられなかった。
少年が、すう、と息を吸って、大きく笑った。満面の笑みだった。
「じゃあ、タケミさん、少しだけ、さようならです」
ああ、とタケミも大きく息を吐いて、ゆっくりと腰に佩いている拳銃を右手に持ち、カチャリ、と少年の額に押しつけるように標準を合わせた。
「さよならだ」
ためらったのは一瞬で、けれどその一瞬の内にタケミは見てしまった。少年のくちびるが、笑ったのを。
目を見開いたときには、少年の体は音を立てて崩れ落ちていた。額から血と脳漿がゆっくりと流れ出て、けれどバチバチと回路のショートする音がした。外したはずの首の自爆装置がプスプスと焦げた音をたてる。
思わずタケミはその体に縋りついて、だが閉じた瞼はすっかり死人の色をしていた。
タケミは怒涛の声を聞いて、耐えられずに叫んだ。
「嬢ちゃん、嬢ちゃん!」
彼の名前を呼ぼうとしたら、唐突にタケミは彼の名前を知らないことに気がついた。ぶるぶると震えている拳を、ダン、と床に叩きつける。
「ああ、あ、あ、」
何を叫べばいいのかすらわからなくて、けれど口を閉じていることはできなくて、タケミは頬を伝う涙を自覚したけれど、それを止められるすべはなかった。
「バカ、バカ野郎」
それきり部屋は全く静かになって、ただ少し汚れた壁が目に痛かった。