第三章 スカートと銃口
タケミは二人連れで街の大通りを歩いていた。この街の全盛期の頃よりは少なくなったといえども、それなりに人はいる。不精髭のある男と子犬のような少年の二人連れは、その流れに溶け込んでいた。
ふとガラス張りのウィンドウを眺めて、タケミは足を止める。少年が振り返った。
「どうしたんですか、タケミさん」
タケミは少し考える仕草をして、それから少年の顔を真っ直ぐに見て口を開いた。
「なあ、嬢ちゃんは、スカートとかはかねえのか」
は、と少年の目が見開いて、それから怒ったような色を目に浮かべた。
「なに言ってるんですか、タケミさん。何度も言ってますが、僕は男です」
「いやそれはわかってるんだけどよ、なんてえか、言葉のあやだ。俺はつまり、お前はよく子供が着るような服は着ねえのか、って言ったんだよ」
タケミがそう弁解すると、少年はぱちぱちと瞬きをした。意味がわからない、と顔に書いてある、その下に着ているのは、どう見ても彼の主人から支給されたのであろう革でできたスーツだった。
「僕は、小さな頃にこの街に来てから着たことがあるのはこれしかないので、そういう感覚がわかりません」
少年はなんでもないことのようにそう言った。タケミも表情を変えず、そうか、と返す。けれど一つ自分の顎を撫でると、ぐい、と少年の腕を引っ張った。
「じゃあ、俺が嬢ちゃんに色んな服を買ってやる。ショッピングの楽しさってのを教えてやるよ」
え、と少年が戸惑った声をあげる。タケミはそれを無視して少年の腕を引きずっていった。
まず入ったのはジーンズの専門店。「おしゃれは足元からって言うが、嬢ちゃんの靴はもう十分しゃれてるからな」と言って革靴を指差すと、少年は首を傾げた。その細い足に、見合う色はないかとシェルフを荒らす。
「嬢ちゃんがいつも着ているのは黒だから、こんなのはどうだ」
と言ってタケミが手に取ったのは、かなり色落ちした淡い水色。膝が見える程度にダメージがついていた。
「何ですか、これ。穴があいてるじゃないですか」
「これがジーンズのおしゃれなんだよ。それくらいの常識もないのか」
少年が驚いたように言ったのに、タケミは呆れた顔をして返す。少年は、「僕の周りにはスーツしかいないんですよ」と頬を膨らませた。
もう一着色違いの茶色を選ぶとカードで買って、次はメンズの洋装店に行く。少年は慌てたようにタケミの手を止めようとするから、タケミもそれをかわすために小走りになりながら店へと入った。
「タケミさん! そんなことしなくていいですから!」
小声で叫んだ少年に、タケミはあえて淡々とした表情をした。
「これは俺の道楽だ。嬢ちゃんが気にすることはない」
突き放すようにすると、少年は何か言いたそうな顔をしながらも黙った。その足にはかせたジーンズを見ながら、上に着せるのはどんなのがいいか、と合わせていく。
「やっぱり、秋だからロンティーに、……ベスト、か。ジャケットは後回しだ」
白のシンプルなロングティーシャツを手に取ると、ベスト選びを始めた。
「それともニットがいいか。お前はどっちがいい?」
タケミが尋ねると、少年は困り切った顔をしてくちびるを舐めた。
「僕には全然わかりません。というか、こんなお店が場違いな気がするんですが」
「ああ、これなんてどうだ。チャコールグレイのニット」
合わせてみて、やっぱり違うな、と棚に戻す。次に取り上げたのは黒のベストで、裏地がタータンチェックになっていた。
「これ。これだよ。いいじゃねえか」
タケミは頬をほころばせながら、これに決めた、とされるがままの少年の頭を撫でた。そのままジャケットにも手を出そうとすると、慌てた仕草で止められた。
「もう、もう結構です。十分です。これ以上は大丈夫です」
「そうか。まだ涼しくなってきたばっかりだしな」
試着室で全ての服を着た少年を見て、タケミはニヤニヤと頬を緩めた。
細く、身長の割に長い足には淡い蒼色のダメージジーンズがだぼついた感触ではかれている。その上半身を包むのはタイトな白いロングティーシャツで、その白さを際立たせる真っ黒のベストがちんまりと乗せられている。けれど後ろを向くと、目に飛び込んでくるのは秋らしいタータンチェック。なにかこの少年には、赤い色が似合う気がした。手をつけていないのは靴だけだが、真っ黒のローファーは、なぜか一番可愛げがあった。
「なに、タケミさん。気持ち悪いですよ」
「ガキを着飾らせる親の気持ちがわかったぜ」
むしろ犬か、と笑うと、遅いパンチが飛んできた。
そのままの格好で、二人はまた街を歩く。
これは親子連れにでも見えるのだろうか、とタケミは思ってウィンドウを眺めた。援助交際のカップルのように見えた。
「どうしたんですか、タケミさん。眉間にしわが寄ってますよ」
「気にするな」
タケミは溜め息をついて、それからホテルに向かう足を少し速めた。ビジネスホテルはもう目の前にあった。わざとらしく植えられている木を横目に、二人はエントランスをくぐりエレベーターに乗る。
「それにしても、タケミさんって」
少年はそこまで言っていったん口を閉じた。タケミは「なんだ」とうながしてやる。少年は確かめるようにゆっくりと言葉を落とした。
「タケミさんって、全然、殺し屋っぽくありません。なんでそんなに、いい人っていうか、なんでそんなに普通なんですか」
タケミはその台詞に、沈黙して顎を撫でた。実を言えば、いつもいつも言われている言葉だった。
どうしてあなたはそんなに常識人なの、殺し屋のくせに。
けれどタケミは元々殺しだけで生計を立ててきたわけではないし、常識が身についてから殺し屋になった。そしてタケミの精神は、そんな生活で壊れる繊細さというものを、全く持ち合わせていなかったのだ。
どうして常識を持っていることが非難されるんだ。タケミはいつも思う。
あの悪友のように悪魔の化身のような人間ならば普通だと言われるのなら、人間とはつまりなんだ、とタケミは溜め息をつく。けれど、自分が一番人間らしくないことはわかっていた。
「悪かったな、普通で」
タケミが皮肉気に息を吐き出すと、少年は慌てて付け足した。
「いえ、タケミさんがいい人で、本当によかったです」
「お世辞はいらねえよ」
「いえ本当に、僕はタケミさんに救われました」
少年の言葉は、重いくらいに、ひどく真実味があった。タケミは少年を振り返る。少年は真面目な顔をして、じっとタケミを見つめていた。
「僕の体を見て、顔を逸らす人も面白がる人もいたけれど、大丈夫か、って言ってくれた人は、タケミさんだけです」
その言葉に、タケミはなんと返していいかわからずに黙った。代わりにじっと見つめ返すと、少年は笑った。まるで痛みを知らないような、無垢な笑顔だった。
「タケミさんが来てくれて、本当によかった」
その顔のまま言われたから、タケミは困ってしまった。この子供はどうして今更そんなことを言うのか、と思って、そしてなぜそんな顔で笑えるのか、と思った。今になって、この子供の存在が真実に自分の胸の中をしっかりと占めているのに気がついた。ただ、珍しい生き物を見ているだけのつもりでいたのに。
今まで思っていたよりも、自分はずっとバカで優しいらしい。タケミはガリガリと顎をかいた。
「それを言うなら、俺もだな」
わざとらしい冗談の口調でそう返すと、なのに少年は目を見開いて、ひどく嬉しそうな顔をして笑った。