第17話 他人の夫婦は面白い
最初の観客は、伯父様だった。
私たちは子爵家の昼食会へ別々の馬車で行った。私はリゼットを途中で迎え、ロラン様は書類を届けてから向かった。
待ち合わせただけなのに、伯父様には不穏に見えたらしい。
「一緒ではないのか」
「後ほどいらっしゃいます」
私はそれだけ答えた。
「侯爵も、もう少し気を遣えばいいものを」
「お忙しいのでしょう」
語尾を軽くした。伯父様は満足そうに頷いた。
リゼットが、私の足を軽くつついた。
彼女には朝、事情を伝えてある。
――私の名前を使わないでね。
――もちろん。
――あと、笑ってしまったら知らないわ。
そう言って、私の隣に乗った。
ロラン様が来ると、伯父様は早速彼を窓辺へ連れていった。
私には聞こえないつもりの声だったが、伯父様は自分が大事な話をしていると思うと、自然に声が大きくなる。
「女には、時々譲ることも必要だ」
「そうですか」
「何でも理屈を言ってはいかん。若い妻は、優しくしてやれば落ち着く」
私は卓上の花を見つめた。
リゼットが隣で、杯を持つ手を震わせている。
「貴女、あれで落ち着く?」
「気絶はするかもしれない」
私たちは少しだけ後ろを向いた。
席に着くと、私はロラン様と三つ離れた。
もともと子爵夫人が決めた席だった。それをわざわざ直さないだけで、伯父様は何度も二人を見比べた。
「侯爵夫人、肉は召し上がるかな」
子爵が尋ねた。
「ええ、お願いします」
皿が回ってくる。私は少し大きい切り身を取った。
ロラン様が私を見た。
その口元が動きかけた。
多いのでは、と言うつもりだろう。朝の菓子を二つ食べたことを彼だけが知っている。
私は目で、黙って、と言った。
彼は水を飲んだ。
伯父様がそのやり取りを見ていた。
「何か言いたいことがあるなら、言えばいい」
「いえ」
ロラン様が答えた。
私は肉を切った。
うっかり笑いそうになるのを堪えるため、少し大きく切りすぎた。
リゼットが私の皿を見て、唇を噛んだ。
食後、伯父様は私に近づいてきた。
「頑固な男だろう」
「存じています」
「若い頃から、人の意見を聞かない」
「御意見にもよるのでしょうね」
伯父様は、それを自分への賛成だと取った。
「私が少し、取り持とう。夫婦というのは、周りに助けられるものだ」
「何をお取り持ちになるのですか」
「まず、冬の催しだ。二人で何かすれば、自然と話す機会も増える」
私は扇を開いた。
その向こうで、リゼットがこちらを見ていた。
「私は音楽の担当をお断りしました」
「だからこそ、改めて機会を与えようと言うのだ。侯爵も、人の役に立つ妻を見れば考えを変える」
私は扇を止めた。
考えを変える。
夫が私をどう思っていると、この人は決めたのだろう。
「役に立てば、夫が優しくなると?」
「男は、自分の顔が立つことを喜ぶ」
私は伯父様の顔を見た。
「それはよく分かりました」
彼は満足した。
私が何を分かったのかは、尋ねなかった。
*
帰りは、私はロラン様の馬車に乗った。
玄関で伯父様がこちらを見ていたので、私は先に乗り、夫が後から乗った。
扉が閉まる。
馬車が動き出す。
角を曲がるまでは、二人とも喋らなかった。
「お肉、大きすぎましたね」
ロラン様が言った。
私は噴き出した。
「貴方が、あんな顔をするから」
「窒息するのではないかと」
「そうなったら、夫婦仲どころではありません」
「ええ。非常に困ります」
彼は私の隣へ移った。
膝が触れた途端、体から余計な力が抜けた。
「伯父様は、私たちに共同作業をさせたいそうです」
「私には、妻を放っておくと外で評判を落とすと言いました」
「ずいぶん放っておいていただいているようで」
「今、取り戻しているところです」
彼の手が私の腰へ回った。
私はその肩へもたれた。
「何をすれば、機嫌を直してくださるのかしら」
「今のところ、直すところがありません」
「でも、世間では」
「世間は、この馬車に乗せていません」
私は彼の手を握った。
外で距離を取った分だけ、近くにいたかった。
それが計画の副作用だとすれば、悪くなかった。
けれど、家に帰る頃には少し疲れていた。
相手を見たい時に見ず、話しかけたい時に黙る。それだけのことが、思ったより面倒だった。
玄関でバジルが上着を受け取った。
「御夕食は、お二人で?」
私は彼を見た。
「もちろん」
バジルは、ほんの少しだけ頷きを深くした。
しまった、と思った。
屋敷の人には、不仲の噂を打ち消さないことを伝えていた。それでも、実際に別々に出ていくのを見ると、気になるのだろう。
ロラン様も気付いた。
「外向けの話です。家では、いつもどおりで」
「承知しております」
執事は微笑まなかった。
「ただ、確認はいたします。お食事が冷めますので」
私は彼へ小さく頭を下げた。
「ええ。お願いします」
悪い芝居は、自分たちだけで済ませるのが難しい。
それを知った上で、私はもう少し続けたいと思っていた。
*
伯母は、私を昼食へ呼んだ。
今度は一人で来て、と書いてある。
私は一人で行った。ロラン様には、帰りに近くまで来てもらうことにした。
伯母の食卓には、私の好きだった蜂蜜のパンがあった。
「覚えていらしたのですね」
「当たり前でしょう。家族ですもの」
私はパンを見た。
ここに住んでいた時は、ジュリエットが手を汚すと言って、あまり出なかった。
伯母は何でも忘れていたわけではない。ただ、必要になるまで使わなかったのだ。
「侯爵も悪い方ではないのでしょうけれど」
「ええ」
「貴女は昔から、言わなくていいことを言うから」
私はパンを切った。
「こちらへ少し戻っていらっしゃい。離れてみれば、ご自分が何を失うか、あちらにも分かるでしょう」
「私がいないと、不便でしょうね」
「そういうことよ」
伯母は頷いた。
同意したかったのは、そちらではなかった。
「その間、灯祭の準備を手伝って。気が紛れるわ」
「やはり、そこへ戻るのですね」
「何のこと?」
私はナイフを皿へ置いた。
少し黙る。
伯母は私が傷ついていると思ったらしく、声を優しくした。
「貴女の場所を、作ってあげようというの」
「私の部屋は、物置では?」
「部屋ならあるわ」
「それは、ジュリエットが使っている場所?」
「もう帰りましたから」
私は笑いそうになって、パンを口へ運んだ。
伯母は私を迎えたい。
空いた場所へ、働くものを戻したい。
その願いの分かりやすさが、以前は恐ろしかったのに、今は腹が立つほど滑稽だった。
帰りに、伯母は厚い紙の束を渡した。
「見ておくだけでいいから」
灯祭の催しの予定だった。
私は受け取った。約束したとは言わず、見るだけならできる。
その中に、私たちの仮面会の客の名前があった。
歌を歌った婦人。
子爵夫人。
オクターヴ氏。
出演の了承を得たとは、どこにも書かれていなかった。
代わりに、紹介者の欄へ私の名前があった。
私はその頁を開いたまま、迎えの馬車へ乗った。
ロラン様が私の顔を見た。
「どうでした」
「不仲は、安く働かせるための道具らしいです」
紙を渡すと、彼の表情が変わった。
「なるほど」
「次は、皆様にも御覧いただきましょう」
彼は頷いた。
私は彼の手を握った。
今度は、笑うためではなかった。




