第01話 お似合いという呪い
私の結婚を、伯母は三回褒めた。
一回目は、これで家が静かになる、と。
二回目は、あちらの侯爵ならあなたにも耐えられる、と。
三回目は婚礼の朝、鏡の中の私へ向かって、やはり口を閉じていれば綺麗だ、と言った。
褒め言葉には、その人が何を望んでいるかが出るらしい。
伯母は私に、家から出て、他人に耐えられ、黙っていてほしかった。
望みが三つとも叶うのだから、もっと嬉しそうな顔をなさればいいのに。
「聞いているの、ヴィヴィアン」
「ええ。今日は口を閉じていればよろしいのですね」
「その返し方よ」
アデライド伯母は、私の髪に挿された真珠の櫛を押し込んだ。頭皮が少し痛んだ。
鏡の中で、支度を手伝ってくれていた女中のエマが肩を縮める。エマが挿した櫛だった。伯母が気に入るまで挿し直せば、今度は髪が乱れていると叱られる。昨日の夕食からずっと、その繰り返しだ。
「これで結構です。エマ、ありがとう」
「まだ右側が」
「侯爵様が右側からしか私をご覧にならない方でしたら、その時は考えます」
エマが唇を結んだ。
笑うのを我慢してくれたのだと思う。
伯母は櫛から手を離した。
「最後までそうなのね」
最後。
その一言が、今日いちばんの祝福だった。
八歳で両親を亡くしてから、十六年暮らした屋敷だ。
従姉ジュリエットが王都で最も似合う青を見つけるために、私は青いリボンを二十三本並べた。彼女が夜会で話す本を選ぶために、先に七冊読んだ。伯母が客へ披露する機知が思いつかない時は、私が考えた。
私が実際に話すと、機知は悪口になった。
同じ言葉でも、言う人の席によって名前が変わる。
それを覚えたのが十五歳で、黙るのを諦めたのが二十歳だった。
「お相手の評判は聞いているでしょうね」
「ええ」
「冷酷で、金に細かく、恩を知らない」
「お金に大らかな方に好かれやすい御評判ですね」
伯母が目を閉じた。
私は、今日はこれで四回目だ、と数えた。
ロラン・ド・ヴェルヌ侯爵。
二十九歳。独身。父親の死後、五年前に家を継いだ。
王都の人々が彼について言うことを並べると、ひどく暇な男になる。慈善家を泣かせ、美しい女性を追い返し、伯父の楽しみを奪い、領地から来た請願者にその場で帰りの馬車を用意したそうだ。
最後の件は、宿代まで出したという話も聞いた。
ところが宿代の部分を話す人は、いつも声が小さい。
私は侯爵と二度だけ顔を合わせていた。
一度は遠くから挨拶をし、もう一度は婚約の取り決めの席で、雨が降っていますね、と言った。
彼は、降っています、と答えた。
王都で聞いた噂のうち、その返事だけは自分で確かめた事実だ。
「嫁いでからまで、私に恥をかかせないで」
伯母はようやく鏡から私本人へ目を移した。
「侯爵様の伯父様も、この縁組には随分お心を砕いてくださったのだから」
「はい」
私は返事をした。
黙っているための返事は得意だった。
*
礼拝堂には白い花が飾られていた。
とても美しい。近くで嗅ぐと、少し甘すぎる。
家から持ってきたものは革の鞄が一つと、母の小さな手鏡と、花嫁衣装の内側へ縫いつけた銀貨が四枚。鞄には、ジュリエットに渡さず残した本が二冊入っていた。
嫁ぐ相手が本当に冷酷だった時のために、銀貨は自分で縫った。
腰のあたりで、歩くたびに一枚だけ軽く鳴る。
祭壇の前の夫となる人は、その音には気づかなかったと思う。
背が高く、灰色の礼服がよく似合っていた。黒髪はきちんと撫でつけてあり、まっすぐな眉の下の目も濃い色だ。
痩せているのかと思ったが、隣へ立ってみると肩幅がある。
怖そうな顔だった。
怖そうな顔を自分で管理している人の顔でもあった。
「お待たせしました」
「まだ鐘は鳴っていません」
雨の時と同じく、正確な人だった。
私は差し出された手の上に指を置いた。
温かかった。
その温度が、聞かされてきた評判よりずっと具体的だったので、少し困った。
誓いは短かった。
司祭が私の名前を間違えなかったことにほっとし、侯爵が返事をためらわなかったことに驚いているうちに、私の指には指輪がはまっていた。
金の輪は、関節のところで少しだけ引っかかった。
侯爵は押し込まなかった。
「痛みますか」
小声だった。
「いいえ」
「では、少し曲げて」
言われたとおりにすると、輪はすんなり収まった。
式の途中でこんなことを聞いていいのだろうか。
伯母なら、客がお待ちよ、と言ったはずだ。
私は夫の顔を見上げたが、彼はもう司祭を見ていた。
祝宴は、そこからが長かった。
銀器が鳴り、扇が揺れ、何人もの人が私たちに似合いの夫婦だと言った。
誰も、どういうところが似合っているのかは説明しない。
私も尋ねなかった。
口を閉じていれば綺麗なのだそうだから。
「いやあ、二人を並べると安心するね」
夫の伯父ガストン卿は、三杯目の葡萄酒を手にしていた。
赤い鼻の下に整えた髭がある。その髭は笑っていたが、目は侯爵の指輪を見ていた。
「こういう女房がいれば、お前も少しは丸くなろう。ヴィヴィアン嬢は、何しろ言い返すことでは誰にも負けんというではないか」
「買いかぶりですわ」
伯母が横から微笑んだ。
「躾が行き届きませんで。侯爵様にお任せできて、私もようやく肩の荷が下りました」
二人は笑った。
近くの客も笑った。
私は、肉料理に添えられた梨を見ていた。
煮すぎている。
今この席で私と最も気持ちが近いのは、その梨だと思った。
「肩の荷でしたか」
隣で夫が言った。
低い声だった。
私は梨から目を上げた。
「それなら、私への引渡しはもう済んでいます」
伯母の笑みが止まった。
「ロラン、そういう意味でおっしゃったのではないよ」
「承知しています、伯父上」
夫は杯を置いた。
置く音も静かだった。
「妻は荷物ではありませんから、間違いを先に済ませていただけて幸いです」
誰かが咳をした。
ガストン卿は大げさに笑って、その誰かの肩を叩いた。伯母は私を見た。私が夫に何かを言わせたと思っている顔だった。
私はまだ、この人の好きな食べ物も知らない。
「では新郎新婦に」
誰かが杯を上げてくれて、ひとまず話は終わった。
私はようやく梨を食べた。
やはり煮すぎていた。
それでも、さっきより少し味がした。
*
祝宴の半ばに、私たちは庭へ出た。
花嫁の化粧を直すという名目だった。化粧を直すのになぜ新郎までついてくるのか、誰も聞かなかった。皆、次の料理に忙しかった。
礼拝堂の脇には、四角く刈られた月桂樹が二本あった。
夫はその陰で足を止めた。
「申し訳ありません」
私は振り返った。
「何がでしょう」
「伯父の言葉です」
「伯母の分は、私がお詫びすべきですか」
「いいえ。あなたの言葉ではない」
私は、扇を開きかけた手を止めた。
自分のことではないのに謝る必要はない。
そんな理屈は知っていた。知っていたのに、それを他人の口から聞くと、案外扱いに困る。
「では、お互いに何も言わずにいましょう」
侯爵が私を見た。
「伯父は、言い足さないと通じない人です」
「伯母は、言い足すと怒る人です」
少し間があった。
「難しいですね」
「ええ。大変お似合いだと思います」
夫の目が、私から宴の広間へ動いた。
そこでは伯母とガストン卿が、並んで別の客に話しかけていた。
私の意図した二人を、彼は正確に見た。
「今から入れ替えますか」
私は彼を見た。
彼は真顔だった。
「夫婦を」
我慢が間に合わなかった。
笑った瞬間、鼻の奥がつんとした。
泣きそうになったのではない。ずっと胸の高い位置へ押し込んでいた息を、一度に吐いたからだった。
「おやめください」
「名案だと思ったのですが」
「司祭様がお気の毒です」
「では延期しましょう」
彼の口の端が少し上がった。
怖い顔が崩れた。
その崩れ方に、私は妙に見入った。
「今のは、聞かなかったことにしてください」
私は扇を開いた。
「どこからです」
「大変お似合い、のあたりから」
「惜しいですね」
「惜しい?」
「今日、初めて意見が合ったのに」
風が月桂樹の葉を揺らした。
広間からは笑い声が聞こえた。今度の笑い声は、ここまで追ってこなかった。
「侯爵様」
「はい」
「私、あまり性格がよろしくないのです」
「伯父から伺いました」
「それなら、かなり大げさに伝わっていると思います」
「半分として聞きました」
「半分でも、きっと多いです」
彼は少し考えた。
「では自分で確かめます」
私は扇の陰で唇を結んだ。
褒め言葉をもらったわけではない。
性格が悪くてもいいと言ってもらったわけでもない。
それなのに、手袋の中で指が少し緩んだ。
「私も、そうします」
「どうぞ」
夫が腕を差し出した。
私がその腕に手をかけた時、腰の銀貨がちり、と鳴った。
夫の視線が一瞬だけ下がった。
気づいた。
花嫁衣装に逃げ賃を縫ってきたことを、どう説明しよう。
「そのままで」
彼は言った。
「座る時、痛くありませんか」
指輪の時と同じ声だった。
私は、何だか負けたような気持ちになった。
「少し」
「馬車にはクッションがあります」
それだけで、彼は歩きだした。
銀貨の目的を聞かないまま。
広間へ戻ると、伯母がこちらを見つけた。
口を閉じなさい、と目が言った。
私は夫の腕へ置いた指を、ほんの少し曲げた。
「ロラン様」
名前で呼ぶのは初めてだった。
彼がこちらを向いた。
「先ほどの梨は、煮すぎていましたね」
夫は、伯母ではなく私を見ていた。
「ええ。あれはもう、梨だったものです」
私たちは同時に口を閉じた。
笑いを隠すためだった。




