↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凄腕スパイは甘い嘘を焼き上げる 〜秘密の菓子店を営んでいたら、冷酷公爵様が常連になりました〜  作者: 美並ナナ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
32/32

エピローグ

「――ヘンベイン、今回は特別任務だ」


「はい!」


影の本部で、総長は一人の女性諜報員へ任務を伝えていた。


すべての説明を終えると、隣に座るエレナへ目を向ける。


「ベラドンナ、何か補足はあるか?」


「いえ、問題ありません」


「では、さっそく潜入の準備に取り掛かります! 失礼します!」


ハキハキと答えると、ヘンベインは軽く頭を下げ立ち去っていく。


その場には総長とエレナが残された。


「お前もたまには現場に戻ってみるか?」


「ふふっ、それもいいかもしれませんね。でも総長、もう私が出る幕はありませんよ」


そう微笑みながら、エレナはヘンベインの後ろ姿に視線を送った。


エレナの結婚から五年。


結婚後しばらくは、公爵夫人でありながら影のエースとして活躍していたエレナも、二年前に一線を退いた。


今は影の特別顧問として、後進の育成に携わり、己が培った経験を次代へ伝えている。


「……ヘンベインは頼もしい諜報員に育ったな」


「はい。特に変装、潜入、色仕掛けは、きっと誰にも負けませんよ。今回の任務も安心して任せられます」


エレナは温かな眼差しを、遠くの方で仲間たちと話し合う彼女へ向けた。


「私ももう年だ。そろそろ後任を見繕う頃かもしれんな」


「もし真剣にお考えなら、特別顧問としてお手伝いしますのでおっしゃってください」


「ああ、その時は頼もう。だが……引退しても、これといってすることもないからな」


「総長、私は……総長のことを本当の父親のように思っています。なので、いつでも我が家にお越しください。私たち《《四人》》でお待ちしています」


エレナが真剣な面持ちで告げると、総長は一瞬目を見開いた。


そしてふっと唇に笑みを浮かべ、つぶやく。


「――それはありがたい。コーデリア様とカシアンへのいい土産話になりそうだ」



◇◇◇



その夜の夕食後。


エレナとジークヴァルトは居間でソファに並んで座り、今日一日の出来事を語り合っていた。


こうして互いの日常を分かち合う時間を、二人は大切にしている。


そこに流れる穏やかな空気は、かつて菓子店で過ごしたひとときを思わせた。


「そうか、総長がそんなことを」  


「はい。私もジーク様も、すでに実の両親を亡くしていますから、ヴィンセントとフィオナには祖父母がいません。……だから総長がこの子たちを、祖父のように可愛がってくれたら嬉しいなと思って」


そう話しながら、エレナは己の腕の中で眠る、小さな男の子を見つめる。


ジークヴァルトもまた、瓜二つの小さな女の子を腕に抱いていた。


二人は一年半前、男女の双子に恵まれた。


エレナが現役を引退したのも、懐妊が理由だった。


「意外と総長は、孫を甘やかしそうだな」


その場面を想像したのか、ジークヴァルトが小さく吹き出す。


すると、そのわずかな動きに反応したのか、ふいにフィオナが目を覚ました。


「とーたま」


舌足らずな声を漏らし、小さな手でジークヴァルトの服をきゅっと掴む。


不思議なことに、ヴィンセントもつられるように目を覚まし、「かーたま」とエレナの方へ甘えるように頬を押しつけてきた。


エレナとジークヴァルトは、思わず顔を見合わせる。


「ふふっ、二人とも起きちゃいましたね」


「ほぼ同時にな。さすが双子だ」


二人は自然と笑顔をこぼし、笑い合う。


「あ、そうだ。忘れてた! 実は本部から戻った後、今日はお菓子を作ったんです。ジーク様、もしまだお腹に余裕があれば、召し上がりますか?」


「もちろんだ。私が菓子は別腹なのを、エレナもよく知っているだろう?」


「そうですね。しかも、林檎パイですから」


「それは楽しみだ」


エレナは息子をジークヴァルトに預けると、厨房に赴き、林檎パイを石窯で軽く温めた。


本来、公爵夫人が厨房に立つことなどない。


けれど、エレナは例外だ。


平民のエレナとして営んでいた菓子店は、さすがに続けられなくなってしまったため、その代わりに公爵邸で菓子を焼いている。


今ではジークヴァルト専属の菓子職人のようなものだった。


(今日は子ども用のお菓子も作ったのよね。喜んでくれるかしら?)


エレナは弾むような足取りで居間へ戻り、机上に菓子を並べた。


林檎の甘酸っぱい香りと、バターの香ばしい香りが部屋を満たしていく。


「いい匂いだ」


目元を綻ばせたジークヴァルトが、さっそく林檎パイを頬張る。


かつて眉間に皺を刻んで食べていた夫の顔に、今では隠しきれない幸福が浮かんでいた。


「これ、ほしい!」  


「たべる!」


双子も目をキラキラ輝かせて、元気よく手足をばたつかせ始めた。


「ヴィンセントとフィオナは、こっちね?」


そう言ってエレナは、パイの代わりに、林檎のコンポートを差し出す。


子供用に砂糖控えめで、柔らかく煮た林檎を二人の口元へ運んだ。


「おいしー!」


「もっと、もっと!」


キャッキャッと笑顔を弾けさせる双子に、エレナはにっこり微笑んだ。


その時、ふと横顔に突き刺さるような視線を感じた。


(えっ?)


ハッとジークヴァルトを見れば、彼はじとりとした眼差しでエレナを見据えている。


「ジーク様?」


「初めて見る菓子だが……それは、新作か?」


「ええ、まぁ。試しに作ったものなので、新作といえば新作ですけど」


「私も食べたい」


「……ただ煮ただけですよ?」


「どんなものでも、林檎の新作だけは逃したくない」


やけに真剣な顔でそう言われ、エレナは思わず吹き出してしまった。


笑いで手を震わせながら、子どもたちにしたように夫の口元へ林檎を差し出す。


「甘さは控えめだが、林檎本来の甘みが引き出されていて、これはこれでうまいな。ワインと合いそうだ」


ジークヴァルトは目を閉じて感覚を研ぎ澄ましながら、熱心に感想を口にする。


そして咀嚼し終え、目を開けると――ふいにエレナの首裏に手を回して引き寄せた。


「んっ」


二人の唇が重なる。


その口づけは林檎の甘酸っぱい味がした。


「――やはり、どんな菓子よりも、エレナの唇が一番だな」


「もう、子どもの前ですよ……!」


エレナはほんのり頬を染め、夫を睨めつけながらも、胸が温かなものでいっぱいだった。


(心から愛する人と結ばれて、子宝にまで恵まれて……私は本当に幸せ者だわ)


こんな日がくるなんて、数年前までは思っていなかった。


ずっと見守ってくれた総長とシスター。


娘の幸せを願ってくれた母・コーデリア。


そして、命に代えてこの国の平和を守った父・カシアン。


今の自分があるのは、彼らのおかげだ。


(大切な人たちとの、このかけがえのない日々を守るために――私もこの国をジーク様と守っていくわ)


国家安全保障局長官の妻として。


影の特別顧問として。


そして双子の母として。


これからもジークヴァルトと互いの信念を尊重し、手を取り合って人生を歩んでいこうと、エレナは心に誓った。



〜END〜


最後までお読みいただきありがとうございました!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。