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第1話「本日の配達、うち一通が意味不明」

 王都の朝は早い。だが、王都郵便局の朝はもっと早い。

 夜明け前の薄暗い仕分け室は、今日も今日とて他人のプライバシーを肴にした品評会で沸いていた。


「おい見ろよ。子爵家の三男坊、また男爵令嬢に『しだれ柳』の詩を送ってるぞ」

「今月三回目だろ、それ。あの男、どんだけ引き出し少ないんだ」

「しかもこれ、宛先が『水辺の乙女』になってる。便覧(びんらん)引く俺たちの身にもなれっての」


 先輩局員たちが笑い合いながら、厚手の紙札を次々と木箱へ投げ入れていく。

 詩歌便(しいかびん)

 それが、この国の貴族たちが夢中になっている厄介な遊びだ。厚い紙札の片面に短い詩をしたため、余白に宛先と差出人を直接書き込む。封筒に入れず、隠さないことで「誰に見られても恥ずかしくない高尚なやり取り」を気取るわけだが、運ぶ側からすれば中身は丸見えだ。

 結果として、郵便局員は王都で最も貴族の内情に詳しい集団となっている。


 俺は先輩たちの会話をBGMに聞き流しながら、自分の担当区の仕分け台へ向かった。

 その途中、控え室の壁に据え付けられた大きな黒板の前を通り過ぎる。

 黒板はチョークの線で左右に分割されている。左半分は各区の真面目な『配達実績表』。そして右半分がこれだ。


『レイ・ハルトの陥落日』

 ・気づかないフリをやめる日:二倍

 ・名前で呼ぶ日:四倍

 ・自爆して処刑される日:十倍


 白墨で書かれたふざけたオッズ表。局員たちが小遣いを出し合っている非公式の賭け屋だ。

 視界の端に入ったが、俺は立ち止まらない。表情筋を完全に固定し、歩調も変えずに通り過ぎる。

 陥落などしない。俺は優秀で、誠実で、極端に几帳面な一介の配達員だ。


 仕分け台の前に立ち、リントヴルム侯爵邸へ向かう郵便物の束に向き合う。

 請求書、夜会の招待状、親戚からの挨拶状。それらを完璧な手際で鞄へ収めていく。

 そして、最後に一枚の紙札だけが台の上に残った。


 ふちが金糸で縁取られた、最高級の羊皮紙。

 その片面には、差出人の名前『クラウディア・リントヴルム』の文字と、流麗な筆記体で書かれた何らかの詩が同居しているはずだ。


 俺は息を止めた。

 視線は紙札の端、差出人と宛先の文字だけに固定し、詩が書かれているであろう中央の空間からは一ミリも動かさない。視界の端にすら入れない。

 両手の指先だけを使い、爆発物の信管を抜くような慎重さで、その紙札を持ち上げた。


 鞄の底から油紙(あぶらがみ)を取り出す。

 紙札の角を折らないように気をつけながら、一枚、二枚と重ねて丁寧に包む。雨粒一つ、ほこり一つ寄せ付けないための完全防備だ。


(ただの業務だ)


 油紙がカサリと鳴る音を聞きながら、脳内で復唱する。

 そうだ。これは侯爵邸の郵便物を汚さないための、配達員としての過剰なまでの誠実さだ。決して、この手紙を特別扱いしているわけではない。

 もし俺が、この詩歌便に込められた意味を「自分宛ての恋文かもしれない」などと早とちりして、侯爵令嬢に向かって鼻の下を伸ばそうものなら、どうなる。

 不敬罪、あるいは身の程知らずの妄想狂として、平民の首など一瞬で飛ぶ。物理的にだ。


 俺は命が惜しい。

 だから、これが三十八通目であろうと、ただの郵便物だ。それ以上でも以下でもない。

 危うく傾きそうになる思考を、無理やり論理でねじ伏せる。自意識過剰になるな。思い上がるな。俺はただの配達員だ。


 完璧に包み終えた三十八通目を、鞄のいちばん上にそっと置く。

 ふと視線を感じて顔を上げると、二階の局長室の窓から、ボンド局長がコーヒーカップを片手にこちらを見下ろしていた。

 目が合う。局長は無言でカップを掲げ、口ひげの端を少しだけ上げた。


 その静かな視線に、腹の底をすべて見透かされているような薄ら寒さを覚えながら、俺は短く会釈を返す。

 革鞄の留め具をカチンと鳴らして下ろした。

 さあ、今日も完璧な配達を始めよう。

 中身が全部見えているラブレターを、中身がまったく読めないフリをして、ご本人様へ叩き返しに行く恐怖の業務の始まりだ。

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