06 ストーム・イヴ
都市国家ミスルリナは、国家としてはかなり異常な部類の国である。
まず、一年を通して四季折々と、気候が安定するミルス大陸の中部に位置するにも関わらず、農業が全く行われていない。土地が限られている都市国家という性質を鑑みれば致し方ないことでもあるのだが、流石に全くというのは妙だろう。
その上ミスルリナ周辺の森林地帯は魔獣の出現率が高く、地中に潜む魔脈の動きも活発。おまけにミスルリナ自体が広い湖に囲まれちょっとした島国の様な立地であるため、他国との交易にはあまり向かないのだが――。
それにも関わらず。
ミスルリナはミルス大陸一、二を争うほどの経済力を持つ都市国家なのである。
「それが何故か分かりますか? ギル=ベルクルス君」
「…………」
分かるわけねえだろうが。
そう言い放つのは簡単だ。けれども現在は紛れもなく授業中なのであり、机数個分の空間を挟んだ向こう側に立っているのは紛うことなき先公なのである。それが例え新米だろうが、髪色が桃色だろうが関係ない。そう関係ない。
だからこそこの場は真面目かつ正確に答えを述べなければならないと意気込んで、俺は立ち上がる。
「飯がうま」
「《地下迷宮フィソラス》の存在があったからですね」
背後で微かに縦ロールが鼻を鳴らすような音が聞こえてくるが無視貫徹。
知らないものは知らないのである仕方ないだろうが!
「皆さんご存知かと思いますが、先日、フィソラスの349層が突破されました」
重ねて訳の分からないことを抜かし出す先公だった。しかし皆が知っている『だろう』的な、希望的観測的な、仮にがあれば置いてけぼり的な、こういう話のしかたってあまり良くない気がする。レーナに関しちゃ隣で寝ちゃってるよもう。
「本校では例年《フィソラス階層守護者討伐戦》の見学を特別に行わせて頂いています。本来これは限られたごく僅かな人々しか立ち会うことの出来ない、とても貴重な体験です。入学直後という忙しい時期と重なってしまいましたが、皆さんの仲も深まる良い機会かと思います。詳しい説明などは後ほど行いますので、誰と同じ班になりたいか、なんてことも考えておいて下さいね」
「あー」
結局その後の説明とやらも全く分からず途方に暮れる放課後である。客観的にみて、フィソラスの詳細を聞けず、もういいやと半ば理解することを放棄してしまったこの性根が敗因だとは思う。
とまあ聞くは一時の恥的なことを申されるかも知れないが今回ばかりは違ったのだ。他の奴ら完全に全員知ってる顔しやがるし? あの状況で「ふぃそらすって何すか!」なんてのたまったら無知無知のむちお君的なあだ名が一生付き纏う。
うし。
「もーかえろ」
「待つのですわ」
そんな言葉とともに、ため息を押し潰すような手のひらが机に叩き付けられた。
閉じられたレーナのまつ毛がぴくりと動き、俺は二度嘆息。
「んだよ縦ロール。俺はお前が良いと言ったからお前の財布がぺらっぺらのペラロールになるまで飯を食らったわけであって、あれは恐喝のたぐいでは決してないから先公に言いつけたら許さねえぞ!」
「……はあ? 財布? 何を言――……って、ああ。貴方、私がそんな過去のことを蒸し返すような小さい女に見えまして?」
何がとは言わないが凄まじく小さい女だろうが。そんな感じで鼻を鳴らしたら滅茶滅茶怒られた。口に出してないのに怒られた。
ぎゃーすかと喚き散らす縦ロールを引き千切るようにして宥め、呼吸が正常になった後にようやく本題へと突入する。
「……貴方。さっきの説明ちんぷんかんぷんだったでしょう?」
「なッッ、いや、んなわけがねえだろ!? なあレーナ!?」
「すぴー……はい……分からないものは分かりませんよねーギル様! すぴー」
「…………」
ズッパァッッン、と阿呆の首の後をぶん殴る。
ミシリと机の脚から嫌な音が響く辺り俺のマジさがよく分かると思われるが、白い前髪をかすかに揺らして起き上がり、気持ち良さそうに伸びをする彼女を見ていたら、威力百割増しで殴ればよかったとちょっぴり後悔。
そんな俺達を見て、細い腰に手を当てながら、縦ロール、ラシャーナは言う。
「隠さなくたって、先の説明での貴方の顔を見れば一発で分かりますわ。これはあくまでも予想ですけれど、フィソラスが何かってことすら知らなくて、話に付いていけてないのでは?」
「い、いや! そんなことは!」
「じゃあフィソラスについて説明してくださる? 十秒で」
はいもうお手上げである。諸手を天にかざすのみである。
しかし、俺達がこの国での常識レベルの知識すら持っていないことがバレるのは不味い。特に俺達の強さの片鱗を垣間見ているこの女にバレるのは甚だ不味い。招待がバレれば即終了の青春を駆け抜けている身としては尋常でなく不味い。
そもそもルムガルドに戻ればウルズに聞けるし、馬鹿でかい書庫もある。ここはなんとしても――と思ったのだが。
「だから、別に隠さなくたって良いのですわ。貴方達、辺境の出でしょう? あの《炎神》に余裕を持って立ち合える、異常な強さとその白髪、この辺で生まれ育っていたら確実に噂になっておりますもの」
「……白髪なんざ別に珍しかねえだろ。ほらあの庭掃除のオッサンも――」
「私達だってここに来たばかりの時は何も知らなかったのですわ。三度目です」
隠さなくたって良いと言って。
「この後、空いているならこの街を案内してさしあげますわよ」
◆◆◆
「――で、お前らは誰?」
「いやー。酷いね……」
言われるがまま成されるがまま、ミスルリナの端っこへと赴くその途中で。何故か付いてきた知らない男二人組に俺はそう問い掛けた。いや普通聞くだろ普通。
今反応を返した小柄な男は、栗毛で眼鏡を掛けた少し地味めの少年。その隣にはガタイの良い茶髪で短髪の男が立っていた。奴ら二人は前を歩くラシャーナに目配せをした後、ガタイの良い方から口を開く。
「肩の数字を見てくれよ。ギル、だっけか。俺はお前と同じ――ぜろッッッ!?」
瞬間、男はレーナの流れるような飛びすね蹴りを食らって悶絶する。
「ギル様を呼び捨てとは良いゴミぶんですねこのゴリラおと――ッッこふ!?」
「あー悪い、お前らも0組だったか。なら自己紹介で見たはずなんだけどもな」
恐らく、自分の番に気持ちが行き過ぎて右から左だったのだろう。恐ろしいほど本末転倒を地で行っているとは思うが、致し方ないよね初めてだったんだから。
そんなことを思いつつ肩を竦める俺に、例の男は言う。
「あ、改めて紹介させてもらうが俺はレオ=グランドル。得意魔法は肉体強化で、ただ硬いだけが取り柄の男! ラシャーナとはガキの頃からの幼馴染だ。宜しく!」
「ん、ああ。俺は――」
「ギル、だろ? 宜しくな」
レオ=グランドル。
俺が食らっても正味二、三秒は悶絶するスネ蹴りから一瞬で立ち直るとは。恐れ入った。硬さが取り柄というのもあながち嘘では無いのかもしれない。
「僕はスロト。スロト=ストロミーネ。僕も二人とは幼名馴染みだよ。宜しくね」
「ああ。宜しく」
小さく照れたような笑みをこぼした後で、スロトと名乗る少年は言う。
「にしても、昨日はラナを助けてくれて有難うね。本当は僕らで解決しなきゃならなかったんだろうけど、僕らがご飯を取りに行ってる間にああなっちゃったみたいで、結局あの事件の当事者が彼女だってことも今日初めて知ったくらいで……」
「見ての通りラシャーナはすぐ面倒に首を突っ込むからな。面倒掛けたなギル!」
キッ、とラシャーナに睨まれる二人は見合って小さく笑った。奴ら、本当に仲が良いのだなと思うと同時、昨日の出来事が『あの事件』として消化されるほどに噂されている事実に嘆息する。いーやまあ当然といえば当然なのだろうが。
「しっかし、あの『炎神』をぶちのめしたってのは、マジですげえな! ラシャーナ、入試での数万って数字もあながち間違いじゃねーんじゃねーか!?」
「はん。どうだか。流石にまだそこまでは信用なりませんわ」
「……お前な」
そんな俺の様子に肩を竦めつつ、ラシャーナは言う。
「それで。ここに来るまでの説明で、辺境出身のお二人さんは《フィソラス》について、ある程度は理解できましたの?」
「まー、おかげさまで」
するとラシャーナは縦ロールを軽く揺らした。隣に立つレーナに関しては理解しているか分からないが、少なくとも俺が理解していれば教えることも出来る。
フィソラスとは、一言で言えば馬鹿でかい地下ダンジョンの名称だ。
馬鹿でかいとは言ったものの、このダンジョンは本当に、それはそれは文字通りに馬鹿でかく、規模で言えばこのミスルリナという都市国家ですらフィソラスの発生時に地殻変動で生まれた湖の島であるという。
そもそもミスルリナという国は、フィソラスを攻略するために様々な人物や団体が集まり、その中で結成されたギルドが寄り集まって生まれた国らしい。王様が居ないことは知っていたが、そんな経緯があると分かればそれも頷ける話である。
「そして、この週末に行われる、この国最大のイベントこそが《階層守護者攻略戦》ですわ」
「それは、一般的なダンジョンで言う、所謂ボスモンスター的なもんか?」
俺のその問い掛けにラシャーナは軽く頷く。
そして、その後は茶髪少年スロトが引き継ぐ形で口を開いた。
「フィソラスは十階層毎に強力なモンスターを据えててね、それを倒す為にこの街中のギルドが協力し合うんだけど、例年トリエルタの新入生はその攻略戦を見学させて貰えるんだ!」
「そうなんだぜ。まあこの話は結構有名だから、ギルもそっちの女も知ってるかと思ったんだけどな」
その言葉には小さく肩を竦めてみせる。
今更のように良くよく思い出してみれば、この辺に滅茶苦茶デカいダンジョンがあるというのは確かに聞いたことがある気がする。一度アスモスやらウルズやらと攻略するかという話にもなったのだが、何処かが完全に国有化しているという話で止めたのだった。
そんなことを思い出しつつ、すっかり赤みの抜けた空を見て縦ロールに言う。
「しっかし、まだ付かねえのか? そもそも今からフィソラスを見に行くって話だったが、この方向で合ってるような気は微塵もしねえんだよな」
「確かに違いますけど合ってますのよ。黙って付いてきなさい」
そんな珍妙なことをのたまう女に眉をひそめながらも、歩く。
この通りは俺とレーナが通学に使う南大通りとは真逆の北大通り。とは言えどこもかしこも露店やらの出店が立ち並ぶさまは殆ど変わらずで、気を緩めればすぐさま立ち止まってしまいそうだ。
言った傍から速攻ではぐれかける阿呆レーナを引っ付かみ、歩くこと数分。
「――着きましたわよ」
まず感嘆する。眼の前に映し出されたのは、相互する星空だった。空と湖で相対する星空。それは落ちてきそうなと表現するしか無いような満点加減で、それがまたミスルリナをすっぽりと包み込むような湖に反射して美しく輝く。
それは星空を映した湖単体としても十分に綺麗だが、この情景を更に芸術的なまでに押し上げているのは、向こう岸まで伸びる巨大な橋だった。所々に添えられた美しい装飾や、ほのかに白く光る全体像からはかなり大掛かりな魔術の匂いを感じる。それも機能性をどこまでも追求した機能美溢れる造形で。
「凄えな」
「うん。ミスルリナ南大橋だね。他にも東西北と三本の橋があるよ」
俺の簡単にスロトは頷く。
一切合切の無駄を排除し、省き取り除いたそのフォルムが星空の中で踊るさまは見事の一言で、あのレーナまでもがキラキラとその瞳を輝かせて見入っていた。
「橋なら入国する時に嫌でも目に入ったでしょう? そんなに驚くことですの?」
「あーいや。あの時は馬車でぐーすか寝てたんだわ俺達。長旅だったもんな!」
「です!」
とまあ実際は《簡易回廊》の魔脈移動で入国しているために、未だこの湖を近場から見ることが出来ていなかっただけなのだが。
「知ってっか、ギル。こいつは関所を備えたこの国唯一の外交手段だが、外敵に攻められたりした時はクルッと回って正方形に組み合い結界化するんだぜ?」
「…………」
この無駄に垂れ流されている魔力はそのためかと納得する。
ミルス大陸は他と比べても比較的戦争の類が少ない地域なのだが、一年に一度《月喰らい》と呼ばれる、アネモネ大興奮の死人のお祭りが行われる。その時期なんかになれば、多分だが、この結界の発動を拝めるのではないだろうか。
まず逃げ場がなくなるからアネモネにはその時期の立ち入りを禁じようと思いつつ、隣で相も変わらず煌々と目を輝かせ、興奮したように真っ白な髪をふわふわ揺らす少女を見ていたら。
「……ちょっと。そろそろ本題に入りたいのですけれど」
ラシャーナに声を掛けられ――振り返る。
「なるほどな」
視線の奥。一言で言えば綺麗な円形の丘のようなこの街の中心部。その中心で荘厳と佇むのは紛れもなく《フィソラス》だった。それはそれは――例え理解していなくても、確実に分かるほどの存在感をそれは放っていた。
満天の星空の下。街の明かりで真っ赤に燃え上がるその様はこの場の何よりも圧倒的に、凶悪なまでに記憶に刻み込まれるほどの情景で。
「この辺りは大きな建物が少ないですから。全体像が綺麗に見て取れるのですわ」
「……お前が見せたかったのはこの光景ってことでいいんだな?」
「ええ」
確かにこれはそれほどの価値があるかもしれない悔しいけれど、そう思う俺に。
彼女は続けて言う。
「貴方。今日の先生が言ったことは覚えてます?」
「あ? いやなんも」
隠そうともせずにため息を吐き捨てた後で、ラシャーナは言う。
「来週の討伐戦見学のために班編成を考えておけって、言ってましたでしょう」
「あー。言われてみればってやつだな丁度」
凄まじく美しい空の下で奴は再び息を吐くが、この状況でそれを口に出したということはつまり、そういうことなのだろう。そんなことを思い片眉を上げてみせる俺に、案の定彼女はこう申し出た。
「どうせ貴方達のような偏屈者はあぶれるでしょう? 別に私としてはそれでも構わないのですけど、一応とはいえ顔見知りになった以上見殺しにするのは流石に忍びありませんわ」
「……後らへん矛盾がむんむんだぞ」
「とにかく!」
彼女は片手を腰に当て、片手で輝く縦ロールを弄りながら。スロトとレオを一瞬だけ振り返り、何も言わずに俺を見据えて口を開いた。
「この五人で班を組みますわよ。文句はありまして?」
「ありますね!」
「黙ってろこの阿呆が!」
とまあこんな具合であるわけで。
後日ミーシャ先生が驚愕したことは言うまでもない。




