07 フィソラス350階層守護者攻略戦
初めてそれを見つけた者は甚だしく驚いたらしい。
しかし当然だろう。昨日まで何もなかった湖の中心に、突然目を見張るほど巨大な島が一夜で出現したのだ。普通の神経を持った人間であれば当然腰を抜かす。
その後も暫くの間は誰もその不可思議な島に立ち入ろうとはしなかった。誰かが立ち入りを禁じるまでもなく、そんな得体も知れず、どんな生物が闊歩しているかも分からない島に立ち入ろうと考えるものは一人も居なかったのだ。
しかし次第に騒ぎも収まった所で。
周辺の村の人々によって調査隊が結成される。
彼らの目的は一つ。その島には魔獣等の危険生物が生息しているか否か、周りの町や村に被害が及ぶ可能性が有るのか、無いのか。
そして。それらを調査するために上陸した彼らを待っていたのは――。
「――フィソラス、でしょう?」
「エルゼお前、知ってたのかよ……」
ルムガルド魔境窟。俺の部屋にて。
机を挟んだ向こう側に座り、俺が死ぬ気で片付けた書類群に目を通しているのは当然、美人秘書かつ吸血鬼なエルゼベーナである。彼女は鮮血の如し紅髪を滴る血汐の如く揺らし、一瞬たりとも手元から目を離さずにこう返す。
「当然です。フィソラスは三大秘境である『ミラ大千穴』『凪ぐ絶域』『神樹アトリエスタ』に肩を並べるほどの巨大迷宮です。今なお活動を止めていないダンジョンの中では随一ではないでしょうか。記憶する限りではダンジョンそのものが全て最硬度の魔結晶で出来ており、生み出される魔物もそこそこの強さを誇ったはずです」
にしても彼女のぬらりくらりと文字群を列挙してゆくさまはものの見事の一言に尽きるわけで。見学前の前準備的授業とやらで今日までに培った知識をエルゼに曝け出して叩き付けてやろうとした俺としては、何一つ面白くないわけで。
「特筆すべきはやはり年ごとの魔石採取量で、リバイア大陸の『ヴァイムレグ鉱山』にすら大きくは劣りません。ミスルリナの財政はその殆どが魔結晶の輸出で賄われていますね。……と言うか王よ。その顔。まさかこの程度も知らずに例の学園まで通っておられたのですか?」
「――はッ、な? いやそんなことは無いよう?」
目下の紙束から一瞬たりとも視線を外さず「その顔」とか。額に馬鹿にしか見えない目玉でも付けてんのかこの女。
そんなことを思う俺の目の前で、彼女は息を吐き、ようやく俺の目を見据えた。
「理解しているとは思いますが、もしも貴方が魔王だとバレた場合は即時自主退学です。私としては全くそれで構いませんが、嫌ならばボロが出ないよう念には念を入れておくことをお勧めしますよ」
「あーもう入れてんよ。それこそマトリョシカ並に」
「ならば良いのです」
そう言って、たんと紙束を一度机で揃えた後、エルゼは一度瞳を閉じた。
「こちらも問題なしです。……今日のは中々に手強かったはずですが?」
「ま。今日に限ってミスはしねえさ」
今日に限って、ですか。
微かに呟いて、彼女は呆れたように肩を竦める。
そう。今日はミスルリナに国家予算丸五倍のお宝が降る日。
今日こそが、待ちに待った《フィソラス階層守護者攻略戦》その日なのである。
◆◆◆
登校してすぐ、俺達は第二闘技場とやらに集められた。
どうやらこの場所で攻略式なるものが行われるらしい。
「にしてもフィソラスの攻略式自体をトリエルタでやって貰えるとはな!」
そう言って何故か拳を握るのはレオ=グランドル。例のガタイの良い茶髪野郎である。奴のそんな嬉しそうな表情を見て、俺は眉を上げつつ口を開く。
「そんなに驚くようなことなのか? 言っちまえば前菜みたいなもんだろ?」
「だとしてもその規模が果てしねえんだぜ! なあスロト!」
「うん。この国の中規模以上のギルドのほぼ全てが今回の攻略戦には参加するからね。何十って数のギルドの精鋭がこの場所に集まることになるんだ!」
そう言って奴らは嬉しそうに笑う。
一応、俺も授業でそれなりの説明は受けたためにそれは知っていたが、やはり彼らにとってその精鋭とやらは漏れなく憧れの対象なのだろう。確かに強い輩に憧れる気持ちというのは男である以上俺も分かるし、俺が奴らであれば相当にワクワクしていたに違いない。
まあ、これほどの大規模戦闘というのも珍しいから、大なり小なり今も楽しみであることに間違いはないのだが。
「……! ……!」
そしてどうやらそれは隣に立つレーナも同じようで、彼女はそわりそわりと落ち着きなくその手を延々と動かしていた。
「――ねえ。そこの貴方達。ラシャーナ班の五人?」
「あ、はい。なんでしょう」
唐突に呼びかけられ、気怠そうに腕を組んでいたラシャーナは顔を上げる。俺達も同様にその謎の声の主へと顔を向け――それが例の桃色教師ミーシャからの呼び止めだと理解する。
怪訝そうに首を傾げるラシャーナ、そして俺に向けて、ミーシャは言った。
「授業での前説明でも言ったけど、もしも問題を起こしたり、それこそ攻略の邪魔なんかしたら最悪の場合退学の可能性もあるからね。……その、気をつけてね」
ミーシャ先生は本当に、それはそれは心の底から心配そうにそう言った。でもまあそれもそうだろう。これだけの規模の攻略に学生の身分で立ち入れるなど、普通はありえない。言わずとも内心では反対している者も大勢いるはずだ。そんな中で問題を起こせば来年からはこの見学も断られる可能性が出てくる。
そんな彼女の意図を汲み取った俺は、その真っ直ぐな瞳を見返して。
「任せて下さい。そしてつかぬ事をお伺いしますが何故にこの阿呆じゃなく俺を見据えてらっしゃるんですか。ねえもしかして先生見る目皆無じゃありませんか?」
「はっ。当然ですわね。あれだけの問題行動を起こしていたら――」
「……いや、その、先生としては貴方も割と心配なのだけど」
なッッッ、と明後日辺りに空が降ってくるとでも告げられたような反応を返すラシャーナを俺は心ゆくまで嘲笑い、凄まじく微妙な表情を浮かべるミーシャを見て落ち着いた。そんな俺達を見て、レオが言う。
「ま、話を聞く限り決闘騒動は間違いなくラシャーナが悪いしな! 昔っからそうだ! ラシャーナには何度苦渋を舐めさせられたことか! なあスロト!」
「うん。ラナに適うトラブルメーカーはそうそう居ないね!」
「な! ギル様だって負けてません! ギル様はよもや厄介ごとの巣窟です!」
「あー殴るぞ」
とまあ当然のように闘犬が如く噛み付いてくる縦ロールを三人でいなす光景をミーシャは尾骶骨の底から心配そうに見つめた後、ため息を零してこう言った。
「何か向こうの方で不都合があったみたいで少し攻略式の開始時間が遅れてるけど、大人しく待っててね。……ホント、お願いね」
頼むことしか出来ない己の無力さを嘆くようなその踵に、俺達はやはり少しだけ落ち着きを取り戻す。あれもしかしてこれって全て彼女の思惑通り? お見事あっぱれ手のひらダンスとはこのことか。
ぐるんぐるんに舌を巻く俺の前で、レオが頬を掻き。
「にしても、不都合ねえ。もう大体の面子は揃ってるみたいだけどな」
「大きなことをするときのトラブルなんざ予定調和みたいなもんだ。問題はその後どこまで帳尻合わせられるか。ま、全部舞台を動かしてる奴の力量次第だけどな」
言うと、ラシャーナがほんの少しだけ眉を上げてみせる。んだよ俺がマトモな事を言うのがそんなに珍しいかよ珍しいね珍しいですよね自己完結。
「……はあ」
俺は大仰に息を吐いて、レオと同じく辺りを見回してみせる。
まあ、確かに俺たちの目の前にはかなりの数の人間。揃いも揃って強面の《攻略者達》が集まっていた。人種や姿格好は様々だが、皆等しく、己が所属する『ギルド』の証をなんらかの方法で身に付けている。
「まー。揃いも揃って必死な顔して、ご苦労様なこった」
このフィソラス攻略戦は凄まじい時間と労力と人員。そして金が必要とされるが、それを鑑みてもそれ以上、それこそ異常な額の大金が湧いて出る。まあ有り体に言えば、多少のリスクで超々ハイリターンの激ウマな仕事なのである。
それを、このミスルリナに星の数ある『ギルド』が我先にと攻略に乗り出そうとするのだが。彼らを取り仕切る方法がこれまた画期的だ。
攻略の権利を、各々のギルドに『売る』のである。
守護者の予想討伐時間をあらかじめ予測、設定し、そこから導き出される全体攻略時間を細切れで売り捌くのだ。
無論、これはあくまでも予測であるため、討伐が予想よりも早く済めば最後の枠を買い取ったギルドは戦闘に参加出来ず、報酬の分配もされない。従って、確実に戦闘に参加出来る初めの枠の方が基本的にその値段は高く設定される。
ま、これら全部が先日までの授業内の説明で教えられたこと。ミーシャの受け売りであるのだが。
『――おい。来たぞ』
そして、それらの売買が成立するという事は、それを売るだけの権利を持つ何者かが存在すると言う事。
俺はゆらりと瞳を閉じ、開けて、今しがた『中々の強さ』の集団がこの第二闘技場に立ち入ってきたことを理解する。同時に自然とこの人混みがぱっくりと2つに割れ、その中心を流れるように進む人の列が視界に踏み入ってくる。
それは真白を貴重として真紅の直線が到るところに刻まれた甲冑に身を包んだ、十数名の集団。どれほど愚鈍な輩であろうと理解できるほどの圧を放つ一団。
白刻騎士団。
彼らこそが、地下迷宮フィソラスの所有権を持つ国内最大の『ギルド』である。
「――遅れて申し訳ないが、謝辞は程々に。私が今回この攻略式の進行をさせて頂く白刻騎士団第二紅蓮隊隊長カミール=サンクティスだ」
設置されていた壇上へと上がり、口火を切ったのは長い金髪を揚々と揺らす一人の美女だった。彼女はこの人数の前でも微かな動揺すら見せることなく、口調は無礼講とばかりに威風堂々と、この場の空気そのものを席巻してみせる。
彼女は一筋の笑みも見せず、ただ淡々と、叩き付けるようにして口を開く。
「早速始めさせて貰うが――まずは。我らが『炎神』殿から挨拶を頂こう」
その一言で、壇上、カミールと名乗った金髪の女性と同じ甲冑に身を包んだ一人の少女が前に歩み出る。
それはエルゼが鮮血であるとするならば、まるで燃え盛る炎のように真っ赤な髪を持つ、揺らぎの一つすら見せない一人の少女で。同色のまつ毛を持ち上げて、凛とした紅眼で真っ直ぐに見据える、負けず嫌いな一人の少女で。
「……ご紹介に預かり感謝申し上げます。ご存知の通り、私が第一紅蓮隊副隊」
嫌で嫌で仕方がないほどに見覚えのある。
大炎上女だったから。
「エルナバード=エルゼベルデです」
俺は絶句したのである。
「なっはっは!! おいおい知らなかったのかよギル! それで喧嘩売って勝っちまうんだから――もはや流石としか言いようがねえな!!」
レオは紫色の世界で豪快に笑う。
その眩しいにもほどがある笑顔に顔を顰めながら、俺は肩を竦めてみせる。
「知らねえもんは仕方ねえだろ。俺は白刻自体知らなかったし」
「それはそれで笑える話だな!」
「ギル様を笑うなこの猿! そもそも赤髪に喧嘩を売ったのは縦ロールでしょう!」
唐突に正論をぶっ放したレーナに驚きつつも、俺達は暗いフィソラスの坑道内を歩く。既知の通りフィソラスは現在『350層』まで攻略済み。つまり350層分徒歩で降りなければならないのかと言えば、それは違う。
「それにしても、十層毎、ボス階層毎に簡易回廊を設置するなんて。流石としか言いようがありませんわね」
「だね。つまりは全部で三十五個……幾ら掛かるか想像もしたくないや」
そんな風にスロトが言うのも致し方ない。あの魔結晶は普通に暮らしていればまずお目に掛かることはない程のお宝であり、平俗に働いていれば一生どころか優に三生半はせねば買うことも出来ないほどのお値段を誇るのである。
まあ、毎日の通学に使用するなど何処ぞの王族でもなければ到底不可能。
エルゼもだいぶ渋ったねうん。
「……さて。ここを潜ったら遂に三百五十層だ」
そう呟いたのは名も知らぬ冒険者風の男である。何処かのギルドに所属しているのかも知らないが、ひとまずはこの班の案内役なのだそうだ。
「この先は戦場だ。空気一つ。雰囲気一つとっても君達の良い刺激になるかと思う。くれぐれも周りの邪魔にだけはしないように、有意義な時間を過ごしてくれ」
それだけ言って踵を返すと、案内役は簡易回廊に踏み入った。
残された俺達は、一度顔を見合わせて。
「……それじゃ、行きますわよ」
「ああ!」
レオが意気込んで、スロトが頷いて、俺達はその戦場へと足を踏み入れる。
三日間。
これが平均した階層守護者一体を討伐するのに掛かる時間だ。真っ当に考えればかなり長いが、フィソラスの守護者というのは一般的なモンスターのそれと比べれば圧倒的に体力が多く、どんな攻撃に晒されようが殆どゾンビ的に耐えてみせる。
そのため攻略には大量の人員と、大量の物資、そして時間を掛けて、前もって編成されたパーティをその都度交代させながら攻略することが必須となる訳だ。
守護者の間と呼ばれる攻略戦の舞台と巨大な扉を一つ挟んだその向こう側には大量の食料やポーション。簡易診療所、攻略本部などが設置され、戦術に優れた者達が行われている戦闘を参考に有効な攻略を練ることを可能とする。
時間を掛け、徹底的にリスクを排除し、勝利をもぎ取る。
それが《フィソラス階層守護者攻略戦》なのだ。
『――第一波来るぞ!! 右舷タンカー第一から第二まで衝撃備え!!』
「……見ろよギル。凄えよあの守護者。滅茶苦茶強そうだぜ」
「ああ」
『――右舷下がり左舷前へ! 右舷は回復次第守護詠唱“溜め”用意!』
「しかも今戦ってるギルドの奴ら。あの動き。流石はプロだなおい」
「だな」
『――よし着弾! 第一から第三までヴィザ隊詠唱開始! 目標は眼球中心!!』
「……なあ、ギル」
「なんだレオ」
『……対魔値が高い。第二から第四までのアタッカーで目を削る! 第一は援護!』
「正直言って、普通に凄えよ? あんなデカイ魔獣を相手に小せえ人間が束になって、結局は倒しちまう。ほんと凄えよ。もはや感動的だぜ。……けどさ?」
守護者の間の隅。ご丁寧にも色の付いたテープで区切られた空間の中で律儀に体育座りの体勢のまま、レオは叫ぶ。
「圧倒的にシュール過ぎんだろうがこの状況ッ!!」
一度に五名まで。
その厳しすぎる条件のお陰で、既にシュールな見学会は一斑辺り二十分という中々に微妙な時間しか与えられていない。そして奴は思ってしまったのだろう。
先週の殆どの授業を潰して五時間近く待たされて、コレだけですか――と。
「……こんなに素晴らしい時間を楽しめないなんて。可哀想な人達ですわね」
「本当だよ。見てよ凄いよ。あの連携にあの的確な指示。本当に感動だよ」
「…………」
然し。中には十分に楽しめている方々も居るようで何よりだと思いつつ、俺は息を吐きながら辺りを軽く見回す。
ここに来るまでの間は見るからに魔結晶らしい紫色の壁や床で構成された空間だったが、この守護者の間とやらは瞬きが止まらないほどに真っ白だった。広さは『大体の球技は余裕に出来る』程度。一度開いたら閉じないという巨大な扉から様々な物資や人員が補給されてゆく様を一瞥して、レオが更に口を開く。
「……つってもなあ! やっぱ俺達は身体動かす方が良いんだよ!」
「レオ……アンタ本当に筋肉バカですわね。あの首席様でも見習いなさい。凄まじく癪に障りますけれど、流石、素晴らしい戦いぶりですわよ」
彼女が顎で指すその先には例の炎神様の姿があった。
彼女を炎神たらしめるあの炎は出していない様子だが、それでもその戦いぶり、そして指揮官として戦闘を組み立てるそのセンスも素晴らしい。
例の案内人曰く、彼女率いる第一紅蓮隊の担当する時間帯に見学できた俺達は至極幸運なのだそう。
「でもよ。流石に飽きたぜ!」
「遂に飽き発言勃発ですの……」
他愛もなく、心底呆れたようにラシャーナがため息を吐いた。
そんな時だった。
ガタン、と。
「…………………あ?」
誰かが気付いて、誰かが呟いて、誰かが視線を揺らし、誰かが絶句する。
数度目であるが、本来守護者の討伐にかかる時間は三日間程度だ。それも人員を幾度となく追加し、交換し、必要な物資を必要なだけ持ち込んだ上に数百名もの攻略者が協力してようやく守護者は膝を付くのである。
けれど、もしもその全てが満足にいかなかったらどうなるだろうか。
たっぷりと時間を掛けるような余裕はなく、満足のいく数の人員も確保できず、ロクに食料も口にできず戦えばどうなるか――なんて、誰かに聞くまでもない。
死ぬしか無いだろう。
「――――ッッ!!?」
それは、“中”と“外”との唯一の外交手段。
それは、この場の全ての人間にとって、たった1つの生命線。
それは、美麗に細部まで装飾された、超巨大な――『扉』。
「…………いり……ぐち、が」
突然この場を支配した守護者の咆哮は、何処か、この場の全てを嘲るようで。
誰ともなく、誰かが、呟く。
「…………閉じ――やがった」
そう。無慈悲に閉じきったその一枚の扉から。
地獄の幕は開く。




