4.ルイのポケット
4.ルイのポケット
「だぁーっ! 全然わかんねぇ!」
ジャスティーは操縦桿から手を放した。
「ちょっと! ジャス!」
訓練用のコックピットには赤いランプが点滅し、「Fail」。失敗、と大きく画面に文字が現れた。
「何度失敗すればいいわけ!? あんたって普通に高度を保つことすらできてないじゃないのよ!」
ハルカナはジャスティーの座るシートを揺さぶってジャスの耳元で怒鳴り声をあげた。
「うるさいなっ! 俺はこんなもんで飛ぶぐらいなら走るよ!」
ジャスティーは顔を歪めてそう言った。
「いい考えだな」
そこに波のない冷たい声が聞こえた。
「宇宙を走るとは、今まで聞いたことがない。永遠に走ってろ。役立たずはさっさとネスから走って逃げていいんだぞ」
ライラはジャスティーを冷たく見ると、そう言って去っていった。
「ほらぁ……、しっかりしてよ! こんなんじゃ本物になんて乗れるわけないじゃない」
ジャスティーよりもハルカナの方が焦りを感じているようだった。
「ちっくしょ……」
ジャスティーに返す言葉はない。操縦マニュアルを読んでもすぐに忘れる。感覚でしかわからない。こんな訓練用のマシンじゃ体に何も伝わってこないんだよ、ジャスティーはそう思っていた。
「シップの操縦でもしたことがあるのか?」
ライラは足を止めてその訓練生に話しかけた。
「いえ。でもコツはもうわかりました」
ルイは悠々と空を飛んでいた。架空の隕石や小惑星を、スリルを味わうように高スピードで避けて行く。
「……」
ライラはそんなルイの技術にただただ感心していた。
「ほう、そんなに楽しいか」
「え?」
「笑ってる」
ライラは笑顔とは無関係の人間として育ってきたので、ルイの表情に興味を持った。そこに特別な意味などはなかった。
「あ……」
ルイは笑顔をなくすとそのまま墜落した。
「……。訓練じゃなかったらそのまま死んでたんだぞ。意味がわからんが、俺に話しかけられたぐらいで操縦の手を放すな」
ライラはため息をついてその場から離れた。
「まったく……、期待はしてるんだがな」
所詮ガキか……。ライラは心の中で舌打ちした。
ルイは赤く光ったコックピットの中で蹲った。
「あれっ? なにがどうなって墜落してんのよ」
そこにハルカナがやってきた。
「ハルカナ?」
ルイは顔をあげた。
「ほーら、やっぱりルイだって墜ちてんじゃねぇか」
ルイの目にジャスティーの顔もうつる。
「操縦が簡単すぎて寝ちゃったんだよ。僕としたことが」
ルイは薄笑みを浮かべてジャスティーにさらりと言ってのけた。
「なっ何!?」
「本当よ。ルイってすごく機械に強いのよ」
「それは知ってるけど……」とジャスティーは呟いた。
「ジャス、来いよ」
ルイはそう言った。そしてリセットボタンを押す。画面はこの基地のガレージを映し出していた。
「ばっ……、お前に習うことなんてねぇよ! すぐに追いついてやるんだからな!」
ジャスティーはそう言うとその場を後にした。
「……何? どうしたの?」
ルイはポカンとして言った。
「ライラ隊長に永遠に空を走ってろってさ」
「……。ほんと、体力バカだったんだね、ジャスって」
ルイはクスっと笑った。
「んー、もう少し器用だと思ってたんだけどなぁ」
ハルカナは頭を掻いて困ったように眉を下げる。
「任せてよ、ハルカナ。僕が特訓してあげるよ」
「いいのっ!?」
ハルカナが自分のことのように喜んだ。
「あいつってば変なプライド持っちゃってるのよね、理解できないよ。スペードになりたいって豪語してるくせに素直じゃないんだから。スペースシフターに乗れなきゃ全て終わりだっていうのに」
「ハルカナは教えないの?」
「……ルイ、性格悪いわね、私だってまだ慣れてないわよ」
ハルカナは目を細めてルイを見た。ルイはまた笑った。
ジャスティーは自分のコックピットに戻り、飛行シュミレーションをしているようだが、赤いランプがすぐに点滅する。
「……早すぎる点滅」
それを見て、さすがのルイも顔を引きつらせた。
「はぁーあ……」
ハルカナのため息は止みそうにない。
「……ジャスは、まだ少し悔しいんじゃないかな」
ルイが言った。
「何が?」
「いや……」
ルイは続きを言わなかった。そしてハルカナの前を通り過ぎて行った。
「え? ちょっと! ルイー!?」
ハルカナの声が遠くに聞こえる。ルイは目を閉じて、ポケットの中に手を入れた。そしてその中にあるものに触れる。手に神経を集中させると、かすかに鼓動を感じることができた。コチ、コチ……。それは正確に時を刻み続けている懐中時計だった。
「ジャス!」
コツン……。
ある日の夜、眠りに落ちる寸前のジャスティーの部屋の窓に石が当たる音がした。
「?」
ジャスティーは、用心深く窓の外を見た。
「ルイ?」
そこにはルイがいた。ルイはジャスティーを手招きする。
「車っ!?」
「うん。全ての操縦の基本は一緒だと思ってる。ジャスティーにはこれがいちばんわかりやすいかと思って」
ルイは言った。
「……はは。思い出すな、これ。よく乗って、レイスターに怒られてた」
ジャスティーは笑って言った。
「当たり前。僕の父さんの車なのになんで勝手に乗ったんだ」
昔のことを2人で思い出していた。
「だってさ、ルイが乗ってるから面白そうで」
「ほんと単純。昔は超下手でよくぶつけてたし」
ルイは昔を思い出すとげんなりしたように言った。
「でっ、でも今は上手いぞ!」
「何回僕が修理したと思ってんの?」
「うっ!」
緑のジープには、ジャスティーがつけた傷がまだ少し残っていた。出来る限りの整備はルイがしていたが、どうしても消えない傷もあった。初めてジャスティーが運転をした日、ルイの車は真正面から木にぶつかった。廃車にならなかったことが奇跡だった。
「ジャス、運転して」
「いいけど……、悩み事?」
ルイはその言葉ににっこりと笑った。それでジャスティーにはわかる。「違う」と。
「それはジャスだよね?」
「……あ、ああ」
ジャスティーはそう言って運転席に乗った。助手席にルイも座る。最近は乗っていなかった。こっそりと抜け出して、遠くの砂漠まで遊びに行っていた頃が懐かしくもあった。
「……どこ行くんだ?」
「昔と同じ。あてはないけど、中央の砂漠まで行こう。誰もいないと思うし」
ジャスティーはエンジンをかけ、シフトレバーを握った。車のエンジンが体を揺らす。車の心臓が動きだした。ドクン、ドクン、ドルン、ドルン。
「一緒だよ。ジャス」
「え?」
「想像してみればいいよ。車と一緒だよ」
「訓練用のシップのこと言ってんのか?」
ジャスティーはエンジンが気持ちよく回るようにキレイにシフトチェンジした。ジャスティーは、暗闇の中でもライトをつけずに運転することができた。
ルイは始めの頃それが怖くて仕方がなかったが、ジャスティーには『見えている』ことがわかり、今では安心して隣に乗ることができるし、その暗闇の中でのドライブが気持ちよくもあった。道のない道を、ジャスティーは走る。
「俺は……、機械と仲良くないんだよ」
「こんなに運転できるのに?」
「だって、これは、ちゃんと俺に意思を伝えてるだろ」
ジャスティーはエンジン音を聞き取り自然にシフトチェンジをしていく。今ではルイよりも運転が上手い。ルイはだからこそジャスティーの運転が好きだった。
「シップも一緒。あの訓練用のマシンだってさ、赤い点滅ランプなんて出したくないんだよ。きっと、ジャスは本物のシップだったらキレイに操縦できるんだろうけどさ、赤い点滅ランプが出る時はきっと何かが起こってるはずだよ。ジャスの目に映る画面、そして操縦する手に集中してみて。この運転ができるジャスにシップの操縦の才能がないわけないんだから」
ルイは少しうらやましい想いを抱いてジャスティーにそう言った。
「……。マシンにも、意思はあるのか」
「僕には聞こえるんだけど」
「じゃあ、あるんだろうな」
ジャスティーは笑ってそう言った。
「何? 今の」
「何が?」
「聞こえてるでしょ? ジャスティーにも」
「? 何が?」
「機械の声!」
「……いや、別に」
ジャスティーは少し分が悪そうに言った。ルイがこんな風に反応するとは思っていなかった。あれ? 興奮してる。
「じゃあなんで……」、こんな風に運転できる?
「ルイが言ったから、そうなんだろうと思ってさ」
「え?」
「ほら、昔っから、お前機械バラして組み立ててって、やってたじゃないか。あれはまだ動いてるか?」
ジャスティーはネスの清々しい夜風を浴びながらルイに聞いた。
「あ……、うん」
ルイはポケットに手を入れた。その様子を見てジャスティーは優しく笑った。
「俺にはてんで理解できなかったけど、お前がそれをバラし、そして組み立てるのを見るの、好きだったんだよなぁ」
その言葉にルイは驚いてジャスを見た。
「嘘だ」
「? なんで?」
「だっ、だって、変な顔して見てたし、僕から遠ざかったじゃないか」
ジャスティーはルイが機械をいじりだすと、その場からはなれ、ハルカナと2人で走り回って遊んでいた。
「だって、邪魔だろ」
ケロッとした顔でジャスティーは言った。
「は?」
「ルイが笑うのって、機械いじってる時ぐらいだったし」
それを聞くとルイは顔を赤らめた。
「いっ、今はそうじゃないだろ」
「そうだけど、でも、本当に笑ってる時は今だって機械に触れてる時だよ」
ジャスティーはそう言った。ルイは少し照れ臭かった。
「すげぇよな。ちょっと嫉妬しちゃったけどさ、俺よりも、操縦はルイの方が上手いって。ま、俺だって落第しないようには努めるよ。ルイのおかげで、なんとなくあの訓練マシンとの付き合い方もわかってきたし」
「そうじゃなきゃ困る」
ルイは少しぶすくれてそう言った。
「なぁ、確かなものってのは、別に機械だけじゃない。ルイ、俺は必ず、お前と一緒に空を飛ぶよ。そして、お前と一緒にこの先も、ずっと暮らすんだ」
ルイは光のない運転ができるジャスティーに感謝した。風が涙をすぐにさらってくれることにも。ジャスティー自身は何もわかっていないけど、確かにルイの心に失った温かみを与えていた。
ルイは、幼い頃に母親が家を出て行き、ずっと父親と2人で暮らしていた。父親はルイを不自由なく育ててはくれたが、幼い日に母親に捨てられたショックは、繊細なルイの心に確かな爪痕を残していた。
「ルイ、機械っていうのは確かなものだ。何か問題があるのなら、悪いのは全てそれを扱った人間の方だ。機械は間違わないから。機械を愛し、手を加えたなら、それは確かに自分の愛に応えてくれる。機械が正常に動くということは、自分は間違っていない愛を注いだということだ」
幼いころ、父親からそう言われたルイは、確かなものを確認するため、母親の使っていた懐中時計をバラしては組み立てていた。確かなものしか信じられなくて、人と接することは苦手だった。ぼんやりと見えるシルエットは、自分を捨てて出て行く母親の形をした影。全ての人の後ろには、その影が見えていた。
「すっげぇ……」
ある日、懐中時計を組み立て終わり、満足の笑みを知らずに浮かべていた時、隣にジャスティーがいた。
「何してんのかと思ってたけど、お前がつくったわけ?」
「ちっ……ちが……」
「なぁ、これ、壊れたんだけどさ、内緒で直してくれない?」
その手にあるのはボロボロになった南京錠だった。
「……無理」
「なんでだよっ!」
「システムが存在しないもん。くっつけるだけじゃだめなんだし、絶対部品落としてるし粉々になりすぎだし、南京錠ってのは組み立てるものじゃないよ。1つ1つのパーツがないと無理なの。僕は修理っていうか、組み立てることを専門としてるんだからね」
「役に立たねぇなぁ」
「なっ!」
ルイは顔を真っ赤にして怒った。
「だっだから、大事にしろよ! モノだからって、なんでも直るとは限らないんだぞ! お前の使い方が悪いから機械が死んだんだ!」
「……そうだな」
ルイはハッとした。しまった、僕、こんなこと言って……。
「気をつけるよ」
ジャスティーは笑ってそう言った。
「ま、待って……」
ルイは自分の家のガレージに戻り、キレイに光る銀色の細長いピンを持ってきた。
「これ、使っていいよ。今度教える。南京錠、鍵がなくても開けることができるから」
「サンキュ!」
ジャスティーは笑った。
結局、その細長いピンはすぐにジャスティーからぽっきりと折られてしまった。
「……はは」
ルイは歪に笑っていた。
「お前がいないと俺、無理みたい」
ジャスティーは苦笑いをしながらそう言った。
「しょうがないなぁ、今度からなんかあったら呼んでよ」
「頼りにしてるっ!」
ジャスティーは心から言った。ルイは嬉しかった。『お前がいないと』『頼りにしてる』。
その、言葉が。
「あれ? ミズ!」
ルイに近づいてくるミズの姿が見えた。
「げっ!」
ジャスティーはその言葉にそう反応した。そして、逃げた。
「まったく……」
ミズはため息混じりにそう言った。
「どうしたの?」
「壊すんだって、あいつ」
そこにはいつか見たあの南京錠があった。
「まったく……」
ルイもまた同じようにそう言った。変わってないじゃないか。
「ルイ、機械に強いんだってな、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「えっ! 僕に?」
「もちろん」
ミズのその顔も優しかった。ルイにとって、自分を必要としてくれる人の存在はとても大事なことだった。生きるという上で、ここにいていいと、感じることができた。
確かなものとしか付き合えないなんて、なんてつまらない人間なんだろう。
夜に輝くコウテンを見つめ、ジャスティーは言った。
「ルイ、明日は飛べる気がする」
「そうじゃなきゃ困る」
次の日。
赤いランプは点滅を止めない。
「ルイ、お前がいないと無理みたい」
昔のルイなら喜ぶところだが、今のルイにはまったく喜べなかった。
「何度言ったらわかるんだよ!」