26
声が透き通る。
前の人が、後ろの人に向けて放った言葉。間にいる存在は、ないものとして。
これが、幽霊の世界。
本当はこうなっていたはずだった。
一人、寂しく帰る。
まだ授業中だけど、『亡くなった』と言われた瞬間、誰もが見向きしなくなった。
ポツリと、教科書が開かれているだけ。
みんなの心には……残っていないのかもしれない。
「あ……」
どうやって帰ったかも思い出せず。
「そっか」
ドアに手をかけて、すり抜ける。
わざわざ玄関を通らなくても、このまますり抜ければいいだけだ。
良心という部分がチクリと傷むけど。普通に出来ないのなら、仕方ないと思うことで押さえ込む。
「た、ただいま」
靴は二つ。
一応、声をかけてみる。
ドクドク脈打つ音が煩い。
意味はないけど靴を脱ぎ、開け放たれたリビングへのドアをくぐる。
「――おかえり」
「あ……ただ、いま」
変わらない表情。変わらない、『おかえり』の温かさ。
こんなにも嬉しくて。こんなにも安心できて。
知らず、泣いていた。
彼が、だ。
「…………何で、アナタが泣くワケ?」
「ん? 何でもないが?」
「って言うけど、何でもない顔じゃないって。何が悲しいの?」
「……悲しい?」
「そう。アナタは泣いているの」
確かめるように、彼の手を取り頬に触れさせる。
「………そうか……オレは、悲しいんだな」
悲しさに慣れても、悲しさは感じる。
彼の心にも、残っていた。
その涙は、とても綺麗で。静かに泣く彼の、涙を拭いてあげたい。
だけど、触れるのが怖かった。この手が、すり抜けていくのが……。
そうして臆病になって伸ばしかけた手。引っ込めることもできずに居ると、この手を彼が掴んだ。
正確には、掴んだように見えた。
彼の手はすり抜ける。
「………………オレに、キミを形成する力はないらしい」
虚空を掴んだ手を、彼は悔しそうな表情で見ている。
血が滲むくらいに強く、強く握って。
今のままじゃ、わたしには何もできなくて。それでも何かしようと、触れられない手を伸ばした。
「……好き、だ」
触れられないわたしの手を取り、わたしはその手に引かれるまま動かすと、彼の頬に当たった。
そしてポツリと呟かれた言葉。
「あのさ……わたし、もう死んでいるけど?」
思わず、そう返してしまった。
本当は『ありがとう』なのに。
多分、理由が知りたかったから――ということにしておく。
「死んでいても、現実に、オレはキミを好きだと思った」
「…………刹、那?」
「だから、告げられなかった」
もう死んでいるから。
ずっと、この辛い想いを抱き続けて……。
「こうなることは分かっていた。分かっていたなら、早くに伝えるべきだった」
「逆、じゃない? こうなると分かっているなら、伝えるべきじゃないって」
「……そうも、考えられる。けど、後悔はしたくないからな」
目を閉じて語る。
彼は今、満足はしていないだろう。だけど、後悔もしていない。
「――ウソを言っても、誰も救われない」
「あ、いや……ウソだとは思ってないけど」
「キミのことじゃない。自分の心にも、ウソを言いたくなかった」
人にも、自分にも。
言われた人も言った人も、心に罪悪感を抱く。
だがら、この心に抱く気持ちにも、ウソは言えなかった。
「好きなのは、同じだよ」
「誰、と?」
「アナタ以外に居たら困るし」
アナタが好きだと告げる。この気持ちは、同じなんだと。
彼はしばらく動かず。次に動いた時は、口元を押さえ、真っ赤になっていた。
自分で『好きだ』といった時は、平然としていたのに。他人から好意を口にされるのは苦手、と言うことになるのだろうか。
「死んでからも、嬉しいことってあるんだね」
だから、なのかもしれない。
満たされているから、できること。
今なら。
「晴夏」
「あ、初めてまともに呼んでくれた。何?」
「……オレは」
言いかけて、俯く。
分かっている。
紡ぎたくないと、言いたいのだ。
それでも、そうして欲しいと言うのは酷なのか。そう言われても、彼にしか出来ないことだから。
彼になら、想いを預けてもいい。
「オレは最初、キミに言った。覚えているか?」
「え、何を?」
その時の記憶は……もう、ない。
だけど、確かに聞いた。
「キミの悲しみが、ここで紡がれて行くことを――」




