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 おはようと、一番に言葉を交わしたのは、兄さんと話す彼だった。

 そこに居るのが当たり前で。もう驚くことはなかった。

 ここまで辿り着くのに一ヶ月。長かったようで、短かったような。


「――春は、意外と近いのかもしれませんね」


「は?」


「晴秋さん?」


「いいことです」


 一人でクスクス笑う兄さん。

 季節は秋で、春はまだまだ遠いのに……呆れつつも、笑う兄さんは久しぶりだ。たったそれだけのことでも、家の雰囲気が随分と変わる。

 明るくなって、心も明るくなれた。やっぱり、家族っていいな。


「さて、今日から心機一転。仕事を再開です」


「心機一転って言っても、やることは変わらないんじゃ……」


「気分の問題です」


「あ、そ」


 学校も心機一転……は、できない。

 たとえば新しい学期になっても、友達は変わらないし、環境だって大差ないから、いつも同じ気持ちで居られる。

 そういう点では、いいのかもしれない。

 そういう点では、あまり嬉しくないかも。

 気分の問題なんだろうけど。変わらないままが、何よりだったりした。


「紡さんも心機一転ですよね?」


「……まあ、ある意味では」


「何かあったの?」


 朝、驚かれなかったことだろうか。そう思って聞いたら、


「……それを、キミが聞くのか?」


 と、何だか落ち込んだ感じで返された。

 何が彼を心機一転させたのだろう。

 気には、なった。

 ――そうだ。気になるといえば、兄さんの仕事量だ。

 兄さんの仕事は主に、雑誌のコラムが中心だ。その他に、企画記事の構成をやったり、代筆をやったり。

 何というか、文章に携わることならなんでもやっていた。何故か小説は書かないけど。

 そのおかげか、仕事も順調に来ているし、安定している。代償は、外出が思うように行かないということか。

 最近、仕事の量が増えたと言っていた。その増えた理由はいろいろだけど、倒れるくらいの量にされるのは、どういうことだろう?

 尋ねたら、『一定じゃなく不安定な分、仕方のないことなんですよ』と返された。


「心配ですか?」


「何て言うか、生活の収入源が兄さんにのしかかったから……でも、生活が困難になってないでしょ?」


「確かに、余裕がないわけではありませんが。ほら、万が一もありますし。蓄えて損することはありませんよ」


「……万が一って何の?」


「晴夏の結婚費用、ですかね」


「ぶっ!」


 思わず、吹き出した。

 吹き出さずにはいられないほどの即答。

 そもそも、万が一と言うのは圧迫する『何か』が起こった場合だろう。結婚が万が一なんて、それは『しない』可能性が高いと言っていると同じ。

 ……願望は、ないといえばウソになるけど。


「あ、あのさ……そんな万が一より、自分の万が一を考えないの?」


「晴夏は、私に万が一なんてあり得ると思いますか?」


「ない」


「はっきり言うな」


「だって、そうだし」


 外出が少ないから、事故に遭う確率は低い。

 出版社ともきちんと契約して、仕事もあるし、収入も安定。一応、彼女も居る。結婚も考えていると言っていた。

 あり得ない。たとえ彼女にフラレたとしても、万が一は使わないだろうから。

 ない、と言えた。


「安心して下さい。私にお金の万が一はあり得ませんから」


「お金じゃないならあるの?」


「それなりに。ですが対処は済んでいます。だから何も心配はありません」


 いつものように、ニッコリと笑う兄さん。

 本人が大丈夫と言うのなら、それを信じるしかないんだ。


 ――だけどこの世界はいつ、何かが起こってもおかしくない。


 そんな感じで朝が過ぎ、もうすぐお昼になろうとした頃だ。

 カタンッと投函される音、バイクの遠ざかった音を聞き、ポストを覗きに行く。

 今月も、今週も、今日も、郵便物が届いた。

 送られてきたのは、兄さんが書いた記事が載っている雑誌だ。いつもはメール便なのに、今回郵便で届いたのは何故だろう。

 雑誌なら先に読んでもいいと言われているので、遠慮なくパラパラと捲り、兄さんの記事を探す。目次に名前があると、探すのも楽だけど……。

 ふと、読者ページに目が止まった。

 いつもは流して読むだけなのに、この時は何故か止まってしまった。

 ある読者からの投稿記事。




 新明出版ライターの神城晴秋は、今も意識不明で入院している。



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