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 八時三十分。

 カバンを持ち、靴を履く。


「じゃ、行ってきます」


 ドアを開けながら振り返る。


「……行って、らっしゃい」


 見送るのは兄さんだった。表情は、やっぱりどこか険しい。

 彼の姿はない。一応、声はかけた。

 だけど返ってきた返事は……弱々しいものだった。昨日の夕飯も、その後も、普通だったのに。

 やっぱり、使った力が戻っていなかったのだろう。兄さんが倒れた手前、無理にでも元気でいたのかな?


「どうしました?」


「ん……何でもない。具合、悪そうだったからちょっと、気になっただけ」


「そうですか」


「でも、兄さんが居るから心配していないから。大丈夫だって、思っているからね」


「……そう、ですね。そうだと、いいのですが」


 笑顔が、堅い。

 それは彼への気持ちの表れか。

 だけど大丈夫だと信じているし、ずっとこのままはないって信じたい。

 帰ってきたら、おかえりくらいは言ってくれるだろう――って。


「――晴夏」


「何?」


「私も紡さんも、アナタの帰りを待っていますから」


「は? 何、その今生の別れみたいな言い方は?」


「おかしいですか?」


「おかしいって」


 ただ遊びに出かけるだけなんだし。普通に『いってらっしゃい』だけで十分なんだ。


「ま、いいけど。いってきます」


 ドアを開ける。

 外は、曇り空。

 ゆっくり歩いても、二十分。残りの十分を、近くの自販機からジュースを買って、ちょっとずつ飲みながら待つ。

 本屋は九時オープンのため、時間を潰そうにも他の当てはなく。

 約束の九時、少し前。

 公園前にみんなが集まる。

 私服姿の友だちは、見慣れているのに酷く懐かしい。そう思うくらい、付き合いが減っていたんだなと思う。


「じゃ、今日はとことん楽しむよー!」


「……それって宴会みたいだよ」


 でも、楽しそうに笑う表情が嬉しくて、つられて意気揚々に歩き出す。

 悲しかったことも、痛かったことも、まとめて飛んで行くような。


「ほら、早く来る」


「あ、うん」


 気分に浸って歩いていると、みんなはもう隣町への入り口に居る。それほど広くもない公園だから、あっという間で。

 ザワリッと風が吹き、立ち止まり、見えない風の方向に振り返る。

 見えるのは元居た町の入り口。


 遠くて、近い。


 近くて、遙かな場所。


 このまま行ってもいいのだろうか――と、何故か疑問ができた。


「は~るかぁ~、早く行こうよー!」


「あ……うん」


 前には、待っている友達が居る。

 だけど後ろにも、待っている人が居た。

 後ろ髪を引かれるって、このことなのだろうか。


「ほら、バス着ちゃうよ!」


「あ」


 手を引かれ、どんどん出口を目指していく。

 時計は、九時一分。

 バスまであと四分。






 ――――まで、あと数歩。




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