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 家に戻ると、


「すみません、ご迷惑をおかけ致しました」


 ただいまの声に反応した兄さんが、玄関先にひょっこりと顔を出し言った言葉。

 今朝の状態からは想像できないくらい、ものすごく元気だ。

 でも、良かった。


「本当に予定外でした。こんなにも締め切りが重なるなんて、思いもしませんでした」


 笑って言うことじゃない。

 呆れつつも聞いてみる。


「兄さん、ちゃんと予定組んで仕事しているの?」


「ええ。毎月きちんとしています。今回は代筆や差し替えがありましたので」


 それは、よくあるらしい。

 毎月のコラムを書いている人が急病だったり、特集記事の内容が変わったり。雑誌も新聞も、記事としていることは日々変わって行く。

 だから、記者は大変で。ライターも、似たように大変だと言う。


「ですが、乗り越えました。今日から暫くは暇です」


「それはいいことだ」


 と、彼は言うけど、


「いや……実際問題よくないって」


 暇なのは、社会人が生活していくうえでマズいとは思う。特に、これから結婚をするとなると、お金は必要だ。

 稼げる内に稼いでおくのも、先を見れば安心できることだけど。

 倒れたのを見てしまった今は、ゆっくりと休んで欲しいと思うから、複雑だ。

 とりあえずは、いつも以上に元気になって欲しい。ただ、それだけを願う。

 ずっと……。


「――晴秋さん」


 会話が途切れた隙を狙ってか、彼が口を挟む。

 何ですかと顔を向けた兄さんに、紙袋を差し出した。


「ありがとう御座います。なかなか見つからなかったでしょう?」


「いや……頼まれた二冊の内、一冊はこの辺にはないと踏んで、少し足を伸ばしたから大丈夫だ。もう一冊はここでも手に入る」


 とは言うけど、大丈夫じゃなかったと思う。

 この町や隣町近辺の本屋は、雑誌以外は流通ルートが違うのか、発売日から一日遅れて入ってくる。それに、小さな出版社の本は、運がよくて一・二冊入る程度。品数は満足とは言えなかった。

 そうなると、大きい本屋になるけど……一番近くて、電車で一時間。そこになければ更に一時間先だ。

 多分、苦労した。気を使って言わないのだろう。


「明日で良かったら、ついでに買って来たのに」


「今日中に必要だったので、夕飯の買出し時では間に合わなかったからつい、ですね……」


「買い出しじゃないよ。明日、友だちと出かけるの」


 予定を話すと、兄さんの表情が険しくなった。


「…………念のためお聞きしますが、どちらまで?」


「隣町だけど」


 更に険しくなってしまった。そして何故か彼も険しい表情。

 長い沈黙の果て。


「……そう、ですか。出かけるときは、声をかけてください。紡さんにも、ですよ?」


「兄さん?」


「はい。大丈夫ですよ……きっと」


 そう言って、くしゃりと頭を撫でられた。

 優しくて、温かくて。とても懐かしくて。

 ――すごく、悲しい。


「明日、晩御飯は少し遅めにして、鍋にしましょう。三人で鍋パーティーです」


「何で?」


「そうしたいからです。絶対に、鍋です」


 ワガママっぽいことを言う兄さんは、初めてかもしれない。

 けど、無邪気と言うか、無理に明るく振舞っていると言うか。

 何だか胸がザワザワする。


「……ん。分かった。早めに切り上げて、帰りに材料買ってくるから」


 兄さんは仕事だろうし。彼は……いろんな意味でダメだろうから。

 いつもは任せっきりだから、久しぶりに気合いを入れようかな。

 鍋は楽だから――なんて。  




「だから……帰ってきてください」




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