”虎伏せ”仕込み
クレアと鴎を離脱させた結が同じように外へ飛び出してから、和助は変わらぬ場所に立ち続けていた。クレアを痛めつけたのと同じ、吹き抜けを囲う手すりの前、通路が見える位置。
窓ガラスが割れてしまった側からは時折風が入ってきて、それは夏らしい温さだったが、嫌いではなかった。
結たちが作戦を立てた上で攻撃を仕掛けてくることを予期しながら、和助はそこに留まっていた。それは相手がどう考えを巡らそうが、自分が敗れることはないという自信の表れであり、裏付けるのは自身が十年前の四摂家の変を生き延びたことと、水野家が誇る“命題”にあった。
四摂家の一つ佐久間家は時間を“命題”として与えれており、その支族である水野家出身の和助は、体感時間を操ることができる。
連発は出来ず、持続時間も精々が三秒程度で、それも反動で一日中頭痛がする代物だが、これがあれば輪転状態の結の薙刀さえ避けられるのは確認済みだ。
六城家の当主と言っても、“虎伏せ”がいる以上、どう考えてもお飾りだと思っていたが、まさか輪転を使えるとは。
しかし肝を冷やしただけの見返りはあった。
明らかに結は日に二度輪転を使える練度には達していなかった上に、奇襲に使われたことから、おそらくあれは最速の動きだった。そして自分はそれに対応できた。
そうと分かれば問題はない。自分はここで待っていれば向こうから接触してくる。そしてそれがどんな奇襲だろうと、”命題”を持つこの身なら冷静に躱せるのだ。どこからであろうと自分の元にたどり着くまでにハチの巣にしてやる。
もちろん“虎伏せ”経由で水野家のことは知られているだろうが、それだって問題ない。知られたからと言って通用しないような柔な力ではないのだ。軽く揉んでやったあと、結を細切れにしていれば、目当ての番だろう。
そうだ、もうすぐだ。暇つぶしとウォーミングアップのつもりで子供と遊んでいたら、思わぬ獲物が飛び込んできた。あの鮮烈な銀色は見間違えるはずもない。そしてそれにも自分は怖気づくことはなかった。
この銃を扱えると分かった途端に、あの男の姪と出会った。何か大きな存在が、時の訪れを和助に告げているようだった。もう少しで本懐を遂げる。雌伏の十年の意味が分かる。
そのことを考えると、口の中が渇いて仕方がない。
「さっさとしろよ…」
すると、和助の呟きに呼応するように、辺りの空気が変化した。結か、クレアか、どちらにせよ、“可能種”がこの階にいる。音もなく階段を下りてきたようだが、この調子ならもう目の前の廊下に潜んでいるかもしれない。
失態だな、と和助は軽く舌打ちした。考えに耽る余り、注意が疎かになっていた。とはいっても、こちらの勝利はその程度では揺るがない。
和助はライフルを構え、狙いを正面に向けた。緊張の糸が紡がれ、集中力が高まる。長年の宿願を目の前にした身体は、明らかに精力が違った。恐らく、今なら最高記録も更新して、“命題”を発動できる。嬉しい誤算だ。
和助がゆっくりと息を吸い終わったとき、目の前で動きが生じた。通路から何かがこちらへ飛び込んでくる。その全体像を把握する前に、何か判断のできない先の方だけが見えた。
避けようとして、クレアに壁際へ追い詰められたときのことを思い出した。あのとき火球を撃っていれば、回避不能の状態で蹴り飛ばされることもなかった。
いきなり押し付けられた二者択一にも、迷いを見せずに対応する。即座に引き金を引き、それを撃つと同時に、“命題”を発動する。
狙いは正確で、弾丸は目標へと迷いなく進んでいった。直撃。
砕け散るそれを、引き伸ばされた時間の中で和助の翡翠の目は捉えた。これは人ではない、ゴミ箱だ。
そして銃口がそちらに向いた隙をつき、影が廊下から飛び出た。追う様に照準を向けながら確認する。
結だ。
ゴミ箱で注意を引き、その間に登場する。
何のことは無い工夫だが、読まれていたな、という思いがある。当たれば戦闘不能は免れない銃撃を避けるのに、その策は素直すぎる。今の和助の思考は、結の予想をなぞっただけだという苦い感覚があった。どこかで先ほどの場面を見ていたのだろうか。ともかくこれで第一関門はクリアされたわけだ。
だが和助までの距離を埋めるほどのアドバンテージではない。あと三歩も行かない内に、ライフルの弾丸は結を撃ち抜く。
”可能種”の腕力は、銃の反動で照準がぶれることを許さない。威嚇も込めて、発射しながら結へと銃口を近づける。あと二歩、一歩、…。
しかし、届かない。和助に対して真っすぐではなく弧を描く軌道の結に、何故か狙いが追いつかない。
どうしてだ、という問いに、答えはすぐに帰ってきた。あの薙刀は、恐らく風を操る“遺産”。結は一定速度ではなく、歩を進めるごとに加速している。和助の予測する動きとは差異があるのだ。
そうと分かれば、律儀に追いかけ続けることもない。結が進む先を予想して、そこに弾丸を置いておく感覚だ。
その通りに行動しようとした和助が銃を大きく横に動かしたとき、突然結の姿が見えなくなった。床から噴き出した炎の柱が、その姿形を覆い隠してしまったのだ。
マズいな。
胃からせり上がる焦燥感に、和助は手の先の動きが少し心もとなくなった。柱は次々と噴き上がり、レーンのように結の移動経路を示している。
とにかくそこを狙い撃つが、弾丸が柱を吹き飛ばすときには、結は既に次の柱の後ろに移ってしまっている。柱と柱の間を移動するときしか姿は見えない。これでは結の加速度は予測できず、発砲音だけがその背中に追いすがるように虚しく響く。
一向にその姿を捉えられないまま、和助は既に結の移動した場所の射撃を繰り返す。柱だけがその数を減らしていき、遂には残すところ三つだけとなった。
その喉元まで白刃が迫っていることを理解し、頭が沸騰しかけたとき、慌てる必要はない、と囁かれた気がした。例え接近を許しても、薙刀を振るう動きは読めるのだ。そして何より、その前に仕留めるやり方はある。
最も和助に近い柱も、すぐ傍というわけではない。ある程度離れていて、ここを抜かして肉薄することはできないのだ。つまり、結は必ずこの柱を超えてこちらに向かってくる。
最終到達地点が判明している以上、残った仕事はそこに鉛玉をぶち込むだけだ。急速に冷却された思考は、その没入度だけを増していった。
再びカウントダウンが始まる。三つ、二つ、…
最後とその手前の柱を移動する影の先端が見えた時点で、和助は引き金を押し込んだ。解き放たれた銃弾の嵐、最後の柱から出てきた影は、その中に突っ込むために進んでいるようだった。
柱が掻き消え、それをいとも簡単に消し飛ばした弾丸が壁も粉々にする。それでおしまいだ。
終わった、その言葉が胸をよぎったとき、影の輪郭に気づく。人ではない、これは…
「薙刀です」
炎を纏うようにして、炎柱の中を突っ切った結に、成す術もなく右足を叩き込まれる。
加速の乗った一撃は重く、柵ごと和助を吹き飛ばすのに十分だった。
ぐるりと視界が入れ替わる中、脳が完敗だと両手を上げるが、これでは自分に決定打を与えられないはずだ、と和助は思った。
その答えは、ぶつかった手すり諸共に落ちた吹き抜けからの景色が示していた。四階の手すりが破壊されると同時に、金色の毛先が踊り、最大サイズの火球がこちらへ迫る。
引っかかることを確信したうえでの陽動作戦、こちらの捕捉を徹底的に妨害するための加速と、敢えて隙間を設けた目隠し。そしてまんまと誘導された自分は、最後の罠にも引っかかり、身動きの取れない空中でただそのときを待っている。
「…くそっ」
爆炎がビル中を照らした。




