喧嘩別れ
結は雷に打たれたように固まった。
「お父さんの…」
同じように驚きつつも、事情を何も知らない鴎には、結がクレアへ向ける視線の意味するところが分からない。
対するクレアが結から離さない目からも考えは読めないが、それはクレア本人が見下すような目つきですべてを覆い隠しているからだ。
冷静を通り越して冷徹な態度で、観察するような視線を送っている。
先に逸らしたのは結の方だった。顔を足元に向け、そのまま落ちていきそうな低い声で呟く。
「そうですか…」
鴎は、さしもの結も落ち込んでいるのだろうと思った。しかし、上げた顔は出会ったときと同じ、感情の読めないものだった。
鴎はクレアがそれに少したじろいだような気配を感じたが、浮かべる表情は変わらない。
クレアの視線を正面から受け止めたまま、結は毅然とした態度をとっている。
「先ほど名前だけは申し上げましたが、六城家現当主、六城結です」
頭を下げ、礼をすると再びクレアに向き合った。
「父、六城代は九年前に戦闘行動中消息を絶ちました。当家としては死亡したものとして扱っています。ですから、ご用件があれば私がうかがいます」
鴎は驚嘆の思いで結の顔を見つめる。
数秒前に、父親が海外で不倫してできた子供だと名乗る人物が現れたばかりだというのに、即座に態度を切り替えこんな口上を口にすることが、自分にできるだろうか。
「…別に、用事があるわけじゃない」
横目で窺うクレアも、結の落ち着いた声は予想外だったようで、考えがまとまらないうちに喋り出したことがさ迷った視線から分かった。
「ただ、あんたの父親のせいで苦労した人間がいるんだって、一言言っておきたかっただけ」
そのときだけは結を睨みつけながらクレアは吐き捨てるように言った。
「そうですか」
同意でも否定でもない言葉を口にすると、後はクレアを黙って見ている。綻びを欠片も見せない結に堪えかねたのか、クレアが口を開く。
「そうですかって、それだけ?ほかに言うことは無いの?」
「まだ不満が?」
極めて事務的な、感情の居場所をまるで連想させない口調。
しかし鴎は、その硬すぎる目つきに、動揺しているのはクレアだけではないと気づいた。
敢えて当主としての立場に徹することで、内面を表に出さないようにしているのだ。常にもまして黒々とした瞳に、クレアは果たしてどう映っているのだろうか。
先に取り澄ました態度を一変させたのはクレアだった。
ぎゅっと唇を噛み締めたその顔に、もう先ほどの面影はない。潤んでいるわけでもない水色から、なぜだか今にも涙が零れ落ちてきそうな気がした。
「謝罪でもあるんだと思ってたけど!?」
「私があなたに何かしましたか?」
城壁などとっくに崩れてしまった。最初から土の壁でしかなかったのかもしれない。
憎しみをぶつけるような、眉根を寄せるような険しい目つきではない。言い返せない悔しさをにじませた顔で、結を睨みつけている。
「何もしてないなら関係ないわけ?」
言い合いに慣れていないのだろう。自分でも何を言いたいのか分からなくなっているのが見て取れる。
鴎は、これ以上はダメだと思った。ついさっき、何かが決まってしまったが、この先は本当におしまいだ。待ち受けているのは袋小路ですらない。嵌れば抜け出せない泥沼だ。
「待って、結」
「黙っててよ!裏切者!」
言葉は鴎の胸をドスリと刺したが、それ以上に、こちらを向くクレアが涙を浮かべていることの方が衝撃的だった。
「わ、私は…」
叫んだ勢いで零れたそれは、後から後からポロポロと流れ落ちる。
本人も、驚きをそのまま顔に出した鴎を見て気づいたのか、ハッと目元を覆おうとする。しかし真前にいる結から隠すのには遅すぎた。
結の沈黙は、鴎には泣き顔を見てしまった気まずさと戸惑いからくるものだと分かるが、クレアにとっては眼差しだけの冷ややかな侮蔑でしかなかった。
これ以上ない辱めを受けた怒りと、沸き上がった激情に紅潮した頬は二人の視界から消え、後に残ったのは走り去っていく後ろ姿だけだった。




