出会う
二店ほど回った辺りで、鴎がもじもじしだした。
「クレア、ちょっと外すね」
「トイレ?」
「…うん」
文句を言っている余裕がなかったのか、鴎は急いで店を出ていった。
一人になって服を眺めていると、フロアがその大きさをひどく増したように感じられた。
久しぶりだ。こんなに人がたくさんいるのに、自分は一人だけだという感覚。体が内側からギュッと縮んでしまいそうな孤独感。
本国ではずっと一緒で、切っても切れない悪友のようにクレアの後ろから影を落としていたそれを、鴎といる間は忘れていた。
ホテルのベッドで天井を眺めているときは、何時にも増してクレアの心を締め付けていたのに、どうしてだろう。
答えはわかっている。母親が亡くなって、保護者と決別する前から、もう何年も冗談を口にしたことはなかった。
誰かとあそこまで踏み込んだ会話をしたのが、それこそ久しぶりだったからだ。単純なものだが、それを自嘲する気にはならなかった。
しばらく店内をうろついた後、見繕った数点を持って会計しようとした。
「ん?」
そのレジは、日本に来て初めて見る無人化されたものだった。勝手の良くわからないクレアがその前で立ち尽くしていると
「買い物カゴを置けばいいんです」
という声がした。
横には、クレアと同じ年頃に見える少女が立っていた。言われるままにカゴを台に置くと、料金が表示された。
「お金を払えば、それで終わりです」
精算を終え、邪魔にならないよう通路の脇に移動したクレアは、少女に向き直って礼を言う。
「ありがとう。日本に来るの初めてだから、よくわからなかったの」
黒髪をポニーテールにして、ゆったりとした服を着た少女は、喋り方に限らず、在り方自体が静かな水面のような印象をクレアに与えた。
「そうですか。お役に立ててよかった」
と頷く。
ごくさりげない態度に、感じがいいな、と思った。向けられる好意や善意の裏を嗅ぎ取る嗅覚はあちらで鍛えられたが、使わないで済むのならそれが一番良かった。
それでお別れでも良かったが、何となく、もう少し話してみたい気がした。
「あなたも服を買いに来たの?」
と尋ねる。
「はい。さっきまで他の店を見ていて、ここではどうしようか考えていました」
おまけにとても丁寧な話し方だ。鴎は最初からため口だったし、この少女が特別礼儀正しいのだろう。
そうしてクレアの姿を眺めた少女が、
「素敵な服ですね」
まともに受け取れば単なるお世辞だが、少女の表情と語調には形だけのものではない真心があった。飢えている者だけに備わる敏感さが、クレアに、氷を溶かす暖かさに触れていることを教えた。
しかし、褒められて喜ぶような素直さはとっくの昔に錆びついていたので、クレアは当たり前だと言わんばかりに胸を張る。
「これ?まぁね。オシャレには自信があるから」
そう言って少女の服装へちらりと目をやる。悪くはない、穏やかな外見によく似合っている。ただ、顔が整っているのだからもう少し冒険すればいいのに、と思った。
「私も雑誌はよく読みますが、真似くらいしか出来ないので憧れますね」
黒々とした、宝石の様に見るものを引き込む瞳には、これまで自分に向けられたどんなものとも違う輝きがあった。
「そこまで言うなら、教えてくれたお礼に選ぶの手伝おうか?」
自分で口にしていながら、クレアはそのことをひどく意外に思った。そして同時に、こんな物言いしかできないことが残念だった。
そのまま別れるのもなんだから、無愛想にならない程度に、しかし馴れ馴れしくはないくらいに、少し話そうと思っただけだ。
それなのに、少女の目の輝きと、裏に何も感じさせない声に触れると、もっと話したくなった。
こんな風に、まるで友達をつくるときのような文句を言うことはもう二度とないと思っていたのに。
それでも、自分が傷つけられないために人を突き放すような言い方しかできない。もう性分になってしまっているのだろうか。
「選ぶのをですか?」
少女も突然の申し出に驚いたのか、目がまん丸になっている。
何を勘違いしているんだと嘲笑う声が聞こえた気がして、クレアは咄嗟に目を逸らした。
「い、いやじゃなければ、だから。別に、断ったって…」
何を調子に乗っているのだ。誰だっていきなりこんなことを申し出られれば、断るに決まっている。
段々萎んでいく声に合わせて、この場から消えてしまいたい、そうクレアが思ったとき
「…その、迷惑でなければ」
経験のない分野に手を出すときを思わせる慎重さで、少女はひどく堅苦しい言葉を選ぶ。
「恥ずかしながら、人と買い物をするのは初めてなので、見苦しいところをお見せするかもしれませんが」
二人とも極度の緊張を漂わせているが、それが自分のみでなく相手も同じだとは気づかない。
クレアは決して顔には出さないが、その態度が自分に遠慮したものではないかと不安になった。
こんなことも久しぶりだ。場合によっては何もかもを捨てる決心をしてこの国に来たはずなのに、また何かを得ようとしている。それも自分から。
彼のせいだ。自分自身にメリットの無い提案をしてきた彼。飾り気のない善意を向けられたあのときに、調子がめっきりおかしくなった。
そのせいでクレアは今、あの初対面の相手との、独特な緊張感と焦りを感じる羽目になっている。長らく忘れていたそれは、ほとんど未経験に近く、クレアは手のひらに汗が滲みだしたのを感じる。
すると視界の奥から、その少年がこちらにやってくるのが見えた。クレアに反応して、少女も彼を視界に収める。
「鴎」
「鴎君」
え?
クレアと少女は互いの顔を見合わせる。そこには自分が浮かべるものとすっかり同じ表情があった。




