金曜 生物準備室(2)
そうだ、思い出せ。あんなスリッパの音にビビるために、こんな不気味な場所に来たわけじゃないだろ。
逃亡者が大谷であることははっきりした。後は結がこちらに到着するまで時間を稼ぐ。何故かはわからないが、大谷は今すぐ鴎を殺すつもりはないらしい。もっと情報を引き出せるか、やってみよう。
鴎の喉仏が上下に動くのと同時に、壁際に設置された棚の上、三つほど並んだ水槽の壁に魚がぶつかったのか、コツンと音がする。鴎はそれを横目に話を切り出した。
「…校内に潜伏してるのが逃亡者なら、うまく紛れ込んでいても、周りの人との思い出はないはずだと思った。だから、まずクラスの皆に話を聞いてどこの中学から来たのかを確かめた」
しわがれた声に、口が乾ききっていたことを自覚する。鴎が一旦口を閉じると、大谷が腕を組みながらうんうんと頷く。
「鴎君、クラスメイト全員に聞いてて、えらいなあと思ったよ。まず身近なことからやってみようって心意気には、心を動かされずにいられなかったね」
こいつは…。
苦虫を噛み潰す思いで、鴎は大谷の顔を見る。今の今まで不明瞭だったが、自分がカエルに襲われたことは知られていた。掃除のときの一件も、向こうは確信をもってこちらの腹を探っていたというわけか。 そう思うと途端に、あの時大谷が浮かべていたのがしたり顔だったような気がしてくる。
「やる前からそんな気はしてたけど、この方法は失敗だった。全校生徒に尋ねるんじゃ時間がかかりすぎるし、一人で遠くから来た生徒は確かめようがない。」
そのあとに、と鴎が続けようとしていたところに、大谷が割り込む。
「まあ、そこらへんは結局私にたどり着いてなかったみたいだし、いいや。聞きたいのは」
遮られた形の鴎が身構えていると
「私のカエルたち、あれについてはどうなの?」
一瞬あの臭いを鼻が捉えたような気がして、気後れする。
そういえば結からは、カエルについて逃亡者の仕業だとしか聞いていなかった。“遺産”とやらが関わるのかについても。
まずい、咄嗟に言葉が出てこない。それに引きずられるように思考が硬直する。
「しょうがないなあ、じゃあヒントあげるよ」
鴎の様子を見かねたように、大谷が大げさにため息をつくと口を開く。
「私は鴎君を誘うためにここを選びましたが、利用するのは初めてじゃありません。それはどうしてでしょうか。あ、ここってのは教室ね。この準備室」
道理でどこも鍵が開いてばかりだったわけだ。内心軽い納得を覚えつつ、鴎はひとまずそのことを横に置き、質問を口中で呟く。
どうして準備室を選んだのか?
「向こうの校舎から見えるし、教室を一つ経由するから」
簡単に自分をここへ拘束できる。
大谷が軽く両眉を上げる。
「そういうのすぐ出てくるんだねぇ。合ってるよ。でも惜しい、もう一つ理由があります」
もう一つ、とは。質問の答え、そして意図が読めず、鴎が必死に知恵を絞っていると、コツンという音がもう一度響いた。
自然と引き寄せられた視線が、三つの水槽、そしてその横にもう一つ空の水槽を捉える。そのとき、鴎はあることを思い出した。
「…六城さんは、前にもこの高校の近くでおかしな生き物と戦ったって言ってた。」
水槽を見つめ中身を確かながら、その先を口にする。
「オタマジャクシと」
小魚、サンショウウオ、オタマジャクシ、そしてもう一つ、空の水槽には
「ザリガニ」
生物担当の赤村は、趣味で生き物を飼育していたと聞く。ひょっとして今は亡き哀れなザリガニは
「この水槽からとってたの…?」
「正解っ!」
突然の大声に肩をすくめた鴎は、向けた視線の先、大谷が両手で握りしめているモノを見て体が凍り付く。




