金曜 屋上(7)
もう一度フェンスに近寄り、落ちそうになるほど身を乗り出し確認する。やはり、生物室に明かりがついている。あっと息を呑んでいると、その光は消えてしまった。
この時間帯に校舎で、しかも結が屋上から離れた途端に?
そこからは考えるまでもなく、体が動き出した。向かう先は生物室だ。後を追うように、一人はまずくないかという疑念が湧いたが、ひょっとすれば侵入者の正体が判明するかもしれないのだという声に掻き消された。
屋上から下の階のベランダへ通じる梯子を下り、渡り廊下へ走る。一度後ろを振り返ったが三階の廊下には何の姿も捉えられず、そのまま足を引きずるようにして北校舎へ向かう。
目指す生物室は三階の端。ドアノブに手を掛けたところで、普段ならここは施錠されていることに気づいたが、意外にも北校舎への扉は簡単に開いた。
入り込んだ先、三階全体の廊下へ繋がる通路の角で急停止し頭だけ突き出して覗き込む。しかし、そこにあるのはしんとした空気だけであることを確認し、再び足を動かした。
教室に近づくにつれ速度を緩め、扉の前に立つ。扉一枚先の音を聞き洩らさないように、鴎は息を止めた。それでも耳に伝わってくるのは痛いような静寂だけだ。
人の気配は感じられない。引き手に手を掛けると、重さから鍵がかかっていないことが分かった。扉と壁の僅かな隙間から中を覗き込もうとするが、精々正面には誰もいない程度のことしか窺えない。
見間違いだったのだろうか。鴎がそう思った時、ガラガラと何かが引きずられるように動く音が耳に届いた。窓ガラスが開かれる音。間違いない、この先で誰かが教室の窓を開いた。
半ば以上が驚きの空白に埋められた思考の残った部分に、どうしてという問いが沸き起こる。逃げるためではという返答。窓が締められる音がしないことが、それを裏打ちしているような気がして、鴎は生唾をごくりと飲み込む。
いますぐ追いかければ、後ろ姿くらい拝めるかもしれない。そして自分がこんな時間にここにいるのは、どうにかして彼女の役に立ちたかったからだ。
この場から立ち去ることを選んでしまいそうになる意思を二つの理由で補強して、鴎は引き戸にかけた三本指に力を込めた。
開かれた扉が勢いよく走ったばかりのレールを踏み越え、鴎は生物室に立ち入った。今更ながら、焦燥感と期待が混ざり合わずに胃の中をぐるぐるとしているような感覚に襲われる。
クラスごとに割り当てられた教室とは違い、生物室には水道付きの固定された机が並ぶ。それらに影を落とす窓ガラスのどれもが閉められたままで、生物室はまるで廊下の延長であると主張するように、その静けさも同じくしていた。
人っ子一人いない教室を見渡した鴎は、後ろの方まで進み机と机の間も確認する。壁際に設置された水道の台の上、メダカかのような小魚が泳ぐ水槽の横を通り過ぎ、そして正面、入口とは逆にある扉に視線を向ける。生物部でもない鴎はその部屋、準備室に足を踏み入れたことがない。
どうしてここは開き戸なんだろうと考えながら、ドアノブに手をかけ、足を踏み入れる。
「逃げないでね」
突然言葉を向けられた鴎は、自身の心臓が大きく跳ねあがるのを感じた。ゆっくりと、顔を声の方へと向ける。
高校指定の制服に身を包み、向かいの校舎を眺めていたその人物は窓を閉めると、くるりと体を回す。そのままスリッパが床をする音を響かせながら、壁際に設置されていた台に腰掛けた。わずかにそよいでいたカーテンがすとんと音を立てて壁にぶつかる。
「ハロー」
足を組み、鴎に向き直ったのは大谷茉莉だった。




