月曜 放課後(1)
「じゃあ級長、号令」
山口教諭に促された級長が挨拶の音頭を取る。礼を終えると部活生たちはリュックを背負って廊下へ駆け出した。鴎たちが属する二組のHRは、長くはないが短くもない。つまり、上級生たちが来る前に部活の準備を終えておくためには急がねばならないのだ。
それぞれの部室へ向かう剛史と仁からかけられた声に軽く応じたあと、鴎はおもむろに机から立ち上がった。ただし向かう先は図書室だ。入学後どこの部活にも入部しなかった鴎は毎日放課後に図書室を訪れている。
今日も、昨夜睡眠不足を代償に借りた本を読み終えたので、新しい本を探すつもりだ。教科書類を持って帰るタイプの鴎のリュックは重いので、ここに置いておくことにした。まだ教室に残り歓談を続ける生徒、上下関係の緩い運動部や文化部生の横を通りながら生徒でひしめく廊下に出た。
一時間弱過ごしてから、新たに借りた本を手に図書室を出る。鴎は万桐生という、長編小説をいくつか執筆した作家のファンだ。知名度はそこそこで、つまり高校生はほとんど借りていない。先ほど図書室で過ごした時間のほとんども彼の著作のどれを選ぶのか悩むことに費やした。結局鴎が初めて触れた万のシリーズをもう一度読み返すことにした。
まだ黄ばみの薄いハードカバーを手に、夕日が差し込む校舎の中を歩いていると、グラウンドから運動部の掛け声が聞こえてきた。続いてホイッスルの甲高い音が届いた耳に、次いでクラクションが聞こえた気がした。
去年交通事故に遭い、退院してからも未だに走ると足が痛む自分は、おそらくあの輪に加わることはもうないだろう。壁中に染み入るように消えていくそれらの声に取り残されながら、少ししんみりとした気持ちで階段を下りる。
一年生のほとんどは部活に所属しており、そうでない生徒もすでに帰宅する時間だ。二階に連なる一年生の教室にはもう人がいないと思っていたのだが、二組に近づくと明かりがついたままなことに気が付いた。
この時間まで使われているのは珍しいな、と、思いながら足を踏み入れると、中には二人の女子がいた。小学校が一緒だった級長の池上と、こちらはすぐに名前の出てこない女子。声を聞いたのはおそらく自己紹介のときだけだろう。他のことはまったく記憶に残っていない。
委員会の仕事かなと当たりをつけつつ自分の席へ向かおうとすると、級長がそれに気づき何やら救われたような表情をする。
「鴎、いまから時間ないかな、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
そう口にしながら近づいてくる級長の様子を見るに、おそらく面倒な仕事を押し付けられるのだろうという予感がしたが、鴎は馬鹿正直にも、
「用事はないよ」
と、答えてしまった。
級長は顔を明るくすると、今日休みの生徒の代わりに、自分が美化委員と共に仕事をしなければいけないこと、その仕事とは一組から六組までの一年生の教室の点検であること、しかし自分には放課後どうしても外せない用事があること、今はまだ二組の途中なので残りを鴎に代わりにやってほしいことを早口にまくしたてると、
「それじゃあほんとありがとね二人とも用事が入っててさわるいねほんと」
鞄を手に教室を飛び出していき、あとに残されたのはぽかんとした顔の鴎と、黙ったまま、用紙の収められたバインダーを胸の前に持つ女子生徒の二人だけだった。