金曜 屋上(1)
「里見君」
「…!」
呼びかけられハッとして横を向くと、こちらを覗き込む黒々とした二つの瞳があった。
鴎の頭に、同じ顔を近づけられるのでも気分が大違いだな、という感想と赤村の顔が浮かぶ。
話しかけても、鴎が気の抜けたままの顔をしているのを見た結は、形の整った眉を曇らせる。
「どうかしましたか?」
「えっ?」
「なんだか、様子がいつもと違う気がします」
そこでようやく鴎は、自分が心配されているのに気づいた。どうやら、考え込むあまり意識がまるで外に向けられていなかったらしい。
今日も行われている校舎の監視、結の横に座って一緒に北校舎を眺めていたが、最初から鴎は考え事に没頭してしまい、結に話しかけられても反応していなかったようだ。
慌てて取り繕うように
「ううん、なんでもない、平気だよ、ちょっと考えごとしてて」
と答える。
結は少し鴎の顔を見つめていたが、そうですか、と呟くと前を向いた。鴎は内心ほっと息をつく。
放課後校内を見て回った後、教室に戻り屋上へ向かう時間になるまで、鴎はずっと考え事をしていた。
池上がどこにも見つからなかったからだ。
おかしな振る舞いをする時期が、“逃亡者”が訪れた時期と一致する教師、そしてその教師と関係しているかもしれない生徒は前歴を確認できていない。果たしてこれは“逃亡者”と結びつけるべきか、思案のしどころだ。
やっと手掛かりをつかんだのではないかという思いから、先へ先へと思考を押し進めようとする感情と、あくまで冷静に考えるべきだとそれを抑えようとする理性。二つに引きずられた鴎は、今話しかけられるまでその問題に意識が埋没していた。
気味が悪かったかな、と反省しながら結の顔をちらりと見ると、その腕は膝を抱え込むように、背中は少しだけ丸くなっていた。
結の背筋がピンとしていないのは初めてな気がする。どうしたのかと暢気に考えていると、鴎は昨日の結の様子と、自分たちの間に気まずい雰囲気が流れていたことを思い出した。
そうか、とようやく思い至る。自分は単に考え込んでいただけだが、ずっと話しかけもしないで黙りこくっていたわけで、結からすればいい気持ちではなかっただろう。もしかしたら何か当てこすりのように受け取られたかもしれない。
だからといっていまそれを言い訳がましく弁解するのもおかしい気がして、鴎はこれまで通りに話しかけることで自分の意志を表明しようとした。
慎重に考えを纏めると、口を開いた。
「六城さん、昨日さ」
結の肩がピクリと動く。敢えて昨日のことに触れれば、自分は気にしていないことが伝わると考えて選んだ話題だったが、失敗だっただろうか。
「万先生が親戚だって言ってたけど、やっぱり先生も“可能種”ってこと?」
鴎が努めて明るい声を出した効果があったのか、それとも動揺を表に出さないようにしているのか、結も落ち着いた様子で答える。
「はい。小遣い稼ぎだと言っていました。作家なら人前に立つ機会も少ないので、顔を見られなくて好都合だとも」
へぇと頷きつつ、姿勢が前のめりになるのを抑えようとした。
アルカンスの矜持以外の万が書いた本も、鴎のお気に入りだ。著作の全てを読んでいるし、インタビュー記事なども調べられるだけ調べている。
今までの人生で、これほどに入れ込んだものがほかに見当たらないほどのファンだが、得てしてそういう人種はそうでない人々に白眼視されることは理解している。
だから、鴎はついつい早口になりそうな気持をぐっと堪え、結から万の話を聞き出した。
しかし、本人が気づいていなくとも、万の話を聞けるというだけで鴎の顔は輝いており、それを見た結は
「今度サインでも貰えるか聞いておきましょうか」
ひどく魅力的な提案に思わず身を乗り出す。
「えっ?えっ!?いいの?」
確約は出来ないが言っておく、という結の言葉を、鴎は涙を流しそうな勢いで喜んだ。
「本当に万先生が好きなんですね」
「ま、まぁね。そこそこだけど」
とっくにドハマりしていることに気付かれているとも知らず、鴎は何やら腕組みをしてうんうん言っている。その様子を見る結は少し嬉しげだ。




