金曜 放課後(1)
HRの挨拶が終わると、廊下のあちこちで扉ががらりと開けられ、椅子のしまわれる騒々しい音とともに生徒が飛び出す、つまりいつも通りの放課後が訪れた。
椅子に座ったままぼんやりしていた鴎は、級長の池上に声を掛けられた。
「鴎、ちょっと頼み事していい?」
「…うん」
ゆっくりと頷く。じんわりと、手に汗がにじむのには訳があった。この時間を迎えるまでにクラス内の調査が終了したのだ。
池上望、二組総勢三十六人の内、鴎と結を除くと三人だけの県外出身者、そのリストに名前を連ねている。
「何度も悪いんだけど、仕事変わってくれない?」
今日休んでいる生徒の分の仕事をしてほしい、そう伝えると、池上は顔の前で両手を組みその横から覗くように頭を動かし鴎を見る。
鴎がいいよと答えると、オーバーに感謝を述べつつ荷物を抱えて教室を飛び出した。
少し待ち、鴎も椅子から立ちあがる。最初に仕事を変わったときも、池上はひどく急いで教室を出て行った。何か用がある、という一事だけで言えばおかしくはない行動、しかし先ほどの情報を踏まえれば話は別だ。
そして池上は、此処の所いつも放課後どこかへ急いで向かっている。追いかける価値は十分あると思った。
廊下に出ると、HRを終えた生徒が学年問わず辺りを駆け回っていて、教室を出るのがもう少し遅れていれば、渡り廊下を行くのが池上だと気づくのは困難だったろう。
見失わないようにその後を追いかけたが、北校舎へ移動して階段を上ったところで姿が消えた。
こちらの校舎を使うのは二、三の文化系の部活くらいなので、行き交う生徒は途端に途絶えた。右足に走るズキズキとした痛みに顔をしかめつつ、息を切らしながら辺りを見回すと横開きの扉があり、その上には“生物室”と刻まれたプレートがあった。
浅い呼吸を繰り返しながら、その扉を見つめる。もう一度周りを確認するが池上の姿はない。
少し覗いてみて、ここにいるのかどうか確認しよう。軽い考えで開けようとした扉は思っていたよりも重く、状況と合わさって奇妙な違和感を鴎に与えた。
扉にかけた片手に力を籠めようとしたところ、背後から怒声が飛んできた。
「おい!」
びくりと竦んだ鴎の肩が掴まれ、後ろに振り向かされる。視界いっぱいに紅潮した赤村の顔が広がった。
「何をしているんだ、お前!」
掴まれたままの肩に痛みが走ったが、不快感よりも戸惑いが勝った。何故ここに赤村が、という鴎の疑問に、頭上のネームプレートが答える。
赤村は明らかに興奮した様子で、鴎をすさまじい目力で睨みつけている。突然むき出しの感情をぶつけられた鴎は、しどろもどろに答えを口にする。
「い、いや僕は何も」
「嘘をつけ!」
赤村は激しい剣幕で鴎の言葉を遮った。
「じゃあ何で生物室に入ろうとしたんだ、言ってみろ!」
二度目の質問、考えこめば却って落ち着いていたかもしれないが、なまじ目的がはっきりしていただけに鴎は即座に答えを口にした。
「人を探してたんです。用事があって…」
レスポンスの速さとは裏腹に、ひどくうろたえた口調になってしまった。鴎は、これだと赤村の疑念は増すばかりではないのか、と思ったが、意外にもその語勢は幾分か落ち着いた。
「人探しだぁ?」
赤村は、しばらく鴎を猜疑の目でじろじろと眺めた。
「誰をだ」
「あの、池上っていう…」
その名前を出すと赤村の表情が一変した。こちらから顔を遠ざけると、肩を掴んでいた両手を離す。
「そ、そうか。じゃあ違うか…」
そう口にすると、最近授業中に見せるぼんやりとした顔に戻った。
鴎が驚きとともにその顔を見つめているのに気づくと、打って変わってどんよりとした目で一瞥をくれ
「生物室にその一年生はいないよ、他をあたりなさい」
そう言ってあとは黙っている。
「はい…」
返事をすると鴎も踵を返し、生物室と赤村から離れる。階段を下りて、扉が開く音が聞こえやっと、話していた間中感じていた粘りつくような空気から解放された気がした。




