三人
「…終わった?」
眩いばかりの光が室内を駆け抜け、収まった。重く柔らかいものがぶつかる音がして、鴎はベンチから身を乗り出した。
三人の協力が必要だと言われ、頼られることへの嬉しさと足がすくむような恐ろしさを入り混じらせていたが、実際にしたことはゴミ箱を投げつけただけだった。
勝負は一瞬で、物を投げながらでは集中できないという結の言葉に嘘はなかっただろうが、ベンチ裏に隠れるしかない無力さには歯がゆさが付きまとった。
再び室内は暗闇に閉ざされ、ベンチに張り付き呆然としていた鴎は、結は力を出し尽くするらしいから、せめて終わったら駆け寄ろう、と考えていたことを思い出す。
「結!」
通路を抜けると、薙刀に寄りかかって肩を上下させる結の姿があった。足音で気づき、こちらを見る額には汗が浮かんでいる。しかし、心配を隠せない鴎の顔を見ると、こくりと頷いた。
どうやら本当に終わったらしい。ほっと息をつくと同時に、壊れてしまった柵が目につく。覗き込んだ先を思うと、近寄る気にもなれない。
「鴎君」
「うん?」
「…ごめんなさい」
そう口にすると、結は座りこんでしまった。
「結!?」
「私は、平気です。でも、クレアが、クレアも疲弊しています」
クレアは四階にいるはずだが、結は風で感知しているのだろう。
「そこから見えると思うので、声を掛けてくれませんか?」
「うん、分かった!」
迷わず返事をして、二階の縁へ向かう。
「ありがとうございます」
か細いが確かに聞こえてくる声に背中を押されつつ、下を見ないようにしてちぎれた手すりまで近寄る。
恐る恐る頭だけ出して上を仰ぐと、結の言った通り、同じ場所から身を乗り出して下を見ているクレアがいた。
「クレア!」
「…うそでしょ」
その声を聞いた途端、汗が冷たくなった。つい先ほどまで視界に入れるのも恐ろしかったそちら側へ、クレアの瞳が指し示すものへ向かって、ゆっくりと首を回す。
粉々になった床の中心に、黒く大きい何かが横たわっていた。それはピクリとも動かない。衝撃的だが、安心していいはずだ。だが、クレアの呟きは引きつっていた。
「まだ残ってる…!」
意味は判然としないが、それがどうやら自分たちにとって望ましくないことは分かる。床で隔てられたクレアから震えが伝わる。背後で結が腰を上げた。そして鴎がゴクリと生唾を飲み下した瞬間、炭がモゾりと揺れた。
丸い部位で両目が開かれ、そこが頭だったのだと気づいた。悲鳴を漏らす二人を余所に、炭は恐るべきスピードで起き上がると、どこにそんな力が残っていたのか、ビルの出口へ駆け出す。
逃げるそれを反射的に追おうとして、がらりと何かが崩れる音がした。上からだ。
見上げると、バランスを崩したクレアが四階から放り出されていた。どんなに優れた運動神経を持っていても、あれでは身動きが取れない。
受け止めきれるのか?
そう意見する怖気づいた部分を叱りつけて、鴎は縁のぎりぎりまで身を乗り出した。しかし、ここへ落ちてくるころには接触した鴎を諸共に一階へ叩きつける速度だろう。
どうして最後の最後に…。
鴎がべそをかきそうになったとき、後ろから風が吹き抜けた。すると、クレアが水の中に入り込んだように失速した。結の風だ。
触れてもケガをしない速度まで落ち込んだクレアを両手で掴み、何とか二階まで引き込んだ。同時に風が消え、鴎とクレアは床に倒れ込んだ。
「かはっ」
打ち付けられた体から空気が抜け出る。強い痛みに涙が滲んだが、鴎は我慢して立ち上がった。横を見ると、クレアがうつ伏せになっていた。
「クレア」
そう呼び掛けると、クレアがごろりと転がって仰向けになった。
「…生きてる」
ほっと胸を撫で下ろすと、結もよろよろこちらへ来ていた。一時は死を覚悟したが、三人揃ってここにいる。
脱力してへなへなとひざを折った鴎だったが、クレアの声に肩を叩かれる。
「…あいつもね」
最期に捉えた後ろ姿を思い出す。考えたくもないが、まだ走って逃げる位の余力があったらしい。
力なさげに瞳を伏せる結にも、寝ころんだままのクレアにも、追いかける体力は残っていないだろう。二人があれだけ苦労して、追い返すので精一杯だった。自分一人で走っていったってどうにもならない。
沈黙が膝に訴える重みになりかけたとき、結がピクリと動いた。
「…心配ありません」
鴎とクレアの視線に気づいていないのか、片手を耳に当てたまま、
「叔父が対処するそうです」
「庵さんが…?」
もしかして、結を車に乗せてきていたのだろうか。ならばなぜ戦闘に参加していなかったのかという疑問が湧いたが、結は安心しきった顔で、なら信じていいのだろう、と鴎も肩の力を抜いた。
「なに、じゃあもうほんとに終わり?」
庵に会ったことのないクレアは釈然としないようで、結に確認の声を投げる。
「はい」
そうして二人が向かい合った。
…あ!
どうなるのかと鴎が気をもんでいると、今更緩んだ姿を見られるのが恥ずかしくなったのか、ぷいと逸らした顔をクレアが腕で覆ってしまい、すぐにその時間は終わった。
抱き合うのを期待していたわけではないが、そっけなくも思える態度に、鴎は結をちらりと見た。ところが結は口元を綻ばせている。気恥ずかしさのせいだと理解しているらしい。
そんな二人の様子を見ていると、喧嘩するよりはよっぽどましか、と気楽になった。