月曜 朝 少女の場合
「……というわけで今週は所々で雨が降るようです。傘やカッパをなるべく持ち歩くようにしましょう」
スピーカーから流れる天気予報士の声に耳を傾けつつ、少女は後部座席の窓から外をぼんやりと眺めていた。車中を漂う塵を浮かび上がらせるように差し込む日差しが、車の振動に合わせて揺れる少女の毛先も照らしている。行儀よくそろえられた両膝の上には、握りこむ形の両手がこれまた行儀よく載せられていた。
少女は毎朝、叔父が運転する車で自身の通う高校へ送り届けられていたが、今朝はその車が運悪く交通ラッシュに巻き込まれていた。前にも後ろにも並んだ車が、搭乗者のいら立ちを伝えるようにエンジン音を唸らせていた。
いつもならとっくに教室へたどり着いている時間だが、このままでは朝礼に間に合うかどうかも怪しい。しかし少女に焦りは見受けられず、無表情とまではいかなくとも感情の色の薄い表情を浮かべていた。
「悪い、五分遅れただけでこんなに混むと思わなかった」
「いえ……」
ハンドルを握る叔父から向けられた謝罪の言葉に、少女が返す声は鈍いものだった。顔も車外へ向けられたままだ。もともと教室では待ち時間を椅子に座って過ごすだけであり、それが車のシートであろうと変わらないという気持ちがある。学校が楽しくて仕方がないという心境とはかけ離れた思いであることは、少女の瞳の暗さに見て取れた。
そんな少女の様子をバックミラー越しにちらりと確かめた叔父は、声を掛けようとして果たせず、行き場を失くした視線を正面へ向けなおした。
少女は相変わらず、窓ガラス越しに外を眺めている。視線の先には堤防があり、先ほどから人が行き交っている。近隣に学校が多いようで、その割合は学生が高めだ。
自転車に乗って横二列に並ぶ高校生たち、奇声を上げながら駆け回る小学生たち、隣に誰かがいる彼らを、少女の黒々とした瞳が写すときだけ、その眼差しがわずかに揺れる。
少女は車を追い越していく一人一人の顔に視線を送り続けた。誰も少女には気づかないことを確かめるように。それが終わると顔は伏せられるが、視界の端に人が移るたびに視線はまた上げられる。
五人ほどで固まって歩く中学生たちの顔を見つめ終わったとき、少女は視界の端に捉えた樹皮の色に反応した。もう花の散ってしまった梅の木だった。
先ほどまで失望とも落胆ともつかない色を浮かべていた瞳に、何か切実なものが籠められる。木を通してその何かに思いを馳せていた少女は、また一人、誰かが道を走ってくるのに気がつくのが遅れた。
ハッとしてそちらに注視すると、見覚えのある制服を着た男の子、少女と同じ高校の生徒だ。短めの黒い髪のその少年は、背負ったリュックを揺らしながら、応援したくなるくらい必死に腕を振って走っている。その割には大してスピードは出ておらず、どことなくフォームもおかしい。
ここまでくれば大抵の生徒が友人と合流して一緒に登校するため、独りで走っている少年に、少女の視線は自然と吸い寄せられる。少女が見つめていると、少年は疲れたのか立ち止まり、膝に手をついて前かがみになった。何度も荒い呼吸を繰り返し、そして視線に気づいたかのように、少女の乗る車へと顔を向けた。
大きく口を開け苦しそうにしていた少年の顔に不思議そうな表情が浮かぶ。目が合った。そのことを脳が言語化する前に、少女の目が見開き、体は呼吸を止める。握った手の指先には力が籠められ、肘は体の両脇にピタリとついた。
突然、体が軽く座席に沈んだ。あっという間に少年は梅の木とともに視界から消えていく。車が発進したのだと気づくのに数秒かかった。汚れ一つない車窓が反射する自分の姿を見て、少女は、こんなに驚いたのは何年ぶりだろうと思わざるを得なかった。