なぜなにイグナクト【本編 第二話の考察】 ★考察 一色24区★ ■前編■
一色24区へ繋がる話の前編です。気楽に読んで頂けるものも必要かなと思い書いておりますのでご参考までにどうぞよろしくお願い致します。
【本編一話/二話もどうぞよろしくお願いいたします】
https://ncode.syosetu.com/n9446mk/1/
https://ncode.syosetu.com/n9446mk/2
はい!良い子の皆さん!げんきですかー!
こんばんはこんにちはおはようございます
なぜなにイグナクト【本編 第二話の考察】 一色24区 考察回/前編です。
色々考えたんですがSF的展開は少し区分けを考えていきたいと思うのでひとまず本編何話に関しての話ですよ~というのは基本的に物語世界の関連にとどめることにいたします。
SF的な話の場合は
★SF技術考察★
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こういう出だしに致します。お手数おかけいたします。ライトニングボルトの話をまとめているのでそれはその枠で近日公開します。
ということで作中舞台の一色24区の話の前編です。
この話はわりと時代を遡って見ていくと面白いので歴史のお話から入らせていただきます。
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■【小笠原諸島が「発見され、幕府が調査する」に至った流れ】■
① 1593年(文禄2年)――小笠原貞頼の発見伝承
ここを始まりとします。
当然、当時は東京都ないんですがなんでそんなに島まで管轄してますのん?という起点はここがわかりやすいからスタートに持ってきました。
東京都などの公的資料では、1593年に信濃国深志(松本)の城主・小笠原長時の孫にあたる小笠原民部少輔貞頼が無人島を発見したと伝えられている、とされています。これが現在の「小笠原」という名称の由来とされています。
だがしかし!!!
ここはかなり重要な注意点があります。
-⇓ ⇓ ⇓ ⇓-
①現在の研究では、小笠原貞頼そのものの実在性には疑問が呈されている。
②東京都の近年の資料でも、後世に小笠原貞頼の子孫を称した小笠原貞任の主張が捏造だったことなどから、貞頼は実在しなかったと考えられている。
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なんやて...
したがって、
「1593年、小笠原貞頼が発見した」
ではなく、
「1593年に小笠原貞頼が発見したと伝えられている」
と書くのが忠実のようです。
ちなみに東京都の小笠原国立公園管理計画では、1543年(天文12年)にスペイン船サン・ファン号がフィリピンから東へ航行中、三つの島を発見し「火山列島」と命名したことが、小笠原諸島に関する最初の記録がありますが飲料水が不足していたため上陸は断念し、フィリピンへ帰宅されましたとさ。
ここで重要なのは「小笠原諸島全体を現在の認識で発見した」という話とは少し違うので、端的に言えばなんか島ありますやん、水ないし喉乾いたから帰りますという天には注意が必要です。見ただけで俺のもんやはジャイアニズムより酷いですからね。
そして1669年ごろ
――
偶然の漂流が「無人島が存在する」という情報を幕府にもたらす
ここが、今回の「なぜ幕府が調査しに行くことになったのか」という話では非常に面白いところです。
1669年末、紀州で蜜柑を積んで江戸へ向かっていた船が遭難。
約70日間漂流した末に無人島へ漂着しました。
現在の母島にあたる島だったと考えられています。
乗組員はそこに約50日間滞在し、その後、
父島 → 聟島 → 八丈島
を経由して帰還。
そして、この漂流事件が幕府に報告されます。
つまり幕府側に、
「八丈島のさらに先に、どうも人の住んでいない島が存在するらしい」
という情報が入ったわけです。
この時期の八丈島は島流しの流刑地でした。ここでよく誤解されるのが流刑地だから世紀末覇者ヒャーハーな世界?と思われてる話を時折耳にしますが逆です。島流しに会う人は対外が政争で敗れた人たち、つまりその時代で中々の知識人だったりするんです。ということでフロンティア精神を持った知識人とかもいたりしてキチンとした規律が保たれている場合がほとんどです。
少し逸れましたが本題に戻ります。
1674年
――
幕府が「本当にそんな島があるのか?」を確認しようとしました。延宝2年(1674年)。幕府の勘定頭から、長崎代官を務めていた末次平蔵に対して、
八丈島付近に「人無島」があるという情報の真偽を確かめよ
という趣旨の命令が出されます。
そこで調査に当たったのが、
船頭 嶋谷市左衛門
上乗(船荷物などを管理する役) 中尾庄右衛門
ここがかなり面白いところで、少なくとも現在確認できる資料からは、
「幕府が何か壮大な国家計画を立てて小笠原を調査した」
とまでは断定できません。
私も色々漁りましたが島の確認以外にどのような目的があったのか、なぜこの時期だったのかは、現存資料からは明らかではないという感じです。
したがって、
遭難者から「無人島がある」という情報が入る
↓
幕府が情報の真偽を確認しようとする
というところ、ここまではかなりきれいに史料で追えます。
https://www.t-borderislands.metro.tokyo.lg.jp/
https://www.t-borderislands.metro.tokyo.lg.jp/interview/interview28.html?utm_source=chatgpt.com
⇑
この辺りなんかはとても親切で入り口としてはお勧めです。
1675年(延宝3年)
――
幕府が実際に調査に動きました。そして1675年。
幕府の命を受けた嶋谷市左衛門らが小笠原諸島へ渡ります。
東京都の資料では、この調査は約20日間にわたる巡検だったとされています。父島・母島に木標を建て、日本領であることを示したとする資料もあります。
さらに調査は単なる「島を見て帰ってきました」ではありません。
島へ上陸し、
島の周囲を船で巡航、南方にある別の大きな島を確認、海の深さを調査、海藻などを調査、植物・動物・鉱物を調査、一部を採取して本土へ持ち帰る、島の大きさや地形を絵図に記録etc
という、かなり今の視点で見ても本格的な調査をしています。こういうのに一緒に行きたい...
国立国会図書館も、延宝3年(1675年)の嶋谷市左衛門らによる調査を、小笠原諸島の本格的な調査・測量として位置づけています。
そしてこの時、幕府は島々を 「無人島」 と呼びました。
つまり、簡略化すると
1593年
小笠原貞頼が発見した――と伝承される。
↓
1669年ごろ
紀州から江戸へ向かう船が漂流。無人島に漂着。
↓
1670年代
「八丈島の先に無人島がある」という情報が幕府に入る。
↓
1674年
幕府が情報の真偽を確認するため調査を命じる。
↓
1675年
嶋谷市左衛門らが実際に現地へ行き、島の地形・海・動植物・鉱物などを調査・測量。
↓
「無人島」=幕府が実地確認した島
こんな流れですかね。
ここからさらに面白いのは、「調査したからすぐ開拓・行政支配」という話にはならず、その後しばらく無人島のまま完全放置されることです。19世紀になって欧米の捕鯨船が頻繁に立ち寄るようになり、1830年には外国人・太平洋諸島民による最初の定住が始まります。面白いのはこの人たち戦後日本人になってくれたんですよ。ここでもし俺たちはアメリカ人だ!!となってたら...少しうすら寒いものがあります。
この後の「なぜ江戸幕府が一度調査した無人島を、19世紀になって改めて日本領として押さえに行く必要が出てきたのか」まで追うと、1861年の咸臨丸派遣、そして最終的な1876年の国際的な日本領承認へきれいにつながります。
この辺りは次回(明日)更新の中編でお届けいたします。
一色24区は根が深いのです。
ということで予告
一色24区の番外編やります!
実際の愛知一色区の発展には江戸幕府倒れて以降
森 一族
この血筋の人達がかなりゴリゴリ動いております。特に 『森治郎』 という人物はとても興味深い、一色区と森一族と今の閉じてしまった漁港、そこからの『天のイグナクト』での一色24区、この夏に再度取材へ旅立とうと思います。
では『天のイグナクト』本編に引き続き なぜなにイグナクト もよろしくお願いいたします!!
2026年8月09日 冴祈統乾
【本編一話/二話もどうぞよろしくお願いいたします】
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【下駄のイグナクト】
(取材/ロケ/備忘録※本格稼働はお盆明けとなります。)
https://x.com/getanoignact
前編は主に江戸、そして後々東京がなんで島まで管理してますのん?
という所を掘る前段階の話です。
ちなみにこの話を深くやり過ぎるとドロドロの政治劇からの島流しで本が書けちゃいますので軽めにしてあります。知りたい人は大きめの都内図書館などでこもると変なスイッチ入るかもしれないのでお勧めです。
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