なぜなにイグナクト【本編 第一話の考察】 ★考察③ チョウザメ編★
天のイグナクト 第一話 の深堀です。
3回目の今回はチョウザメです。取材雑記含めて旅の記録をコラムにしました。
なぜなにイグナクト
第三回 チョウザメ・編
夏はクワガタ、そろそろ次は水辺の話も、ということで、今回はチョウザメを取り上げます。1話に登場した、豊根村のキャビア生産の舞台裏です。
【チョウザメの種類について】
「チョウザメ」という名前、実は少し紛らわしいところがあります。 「サメ」という字が入っていますが、チョウザメはサメの仲間ではありません。 硬骨魚類、つまり鯉やマグロと同じ、骨のある魚のグループに属しています。 見た目の姿(体表を覆う硬い鱗板や、細長い体つき)がサメに似ていることから、この名前がついたと言われています。
チョウザメ科の魚は、世界に約27種が知られています。 ロシア・カスピ海周辺に生息するオオチョウザメ、ヨーロッパチョウザメ、比較的小型なコチョウザメ、日本の河川にもかつて生息していたダウリアチョウザメなど、種類によって生息地も大きさも様々です。
そして、この27種のうち、実に23種がIUCN(国際自然保護連合)によって絶滅危惧種に指定されています。 これは、地球上に存在する魚のグループの中でも、突出して絶滅リスクの高い一群だと言えます。 原因としては、乱獲(特に高級食材であるキャビアを目的とした)、河川開発によるダム建設、水質汚染などが挙げられます。 チョウザメは成熟するまでに非常に長い年月を要する魚でもあるため、一度個体数が減ると、回復するまでに極めて長い時間がかかってしまう、という事情もあります。
ちなみに肉として食べると意外と美味いんですよね。 ただ特徴が薄い、ここが食用としては人気を出せない・・・という事でキャビアに目が行くわけです。 作中後半にはある料理人が出てきます。 こいつはもうやたらめったら狂気染みた食材との向き合い方をして己の内の【小宇宙】の存在に気が付いたスゲーやつですw そのモデルとなった人物は3人おりましてその特徴が合わさったら聖なる闘士みたいになったわけでして・・・とまう余興はさておきその者の手でチョウザメ料理が出てきます。 実際に取り寄せて散々研究調理した食材でもあります。 今後登場した際は作中通り作られることをお勧めします。
さて本題ですが養殖の現場では、複数の種を交配させた品種もよく使われています。 代表的なのが「ベステル」で、これはオオチョウザメとコチョウザメを交配させた品種です。 成長の早さや飼育のしやすさなど、それぞれの種の長所を組み合わせる目的で作られています。
1話には、複数のチョウザメが登場しています。 それぞれの特徴を、実際の生態に沿って整理してみます。
■---------------------------------------■ 種類 主な特徴 雌雄判別可年齢 キャビア採集可年数
コチョウザメ 比較的小型で成長が早い。国内養殖主流品種 3〜5年程度
シベリアチョウザメ 養殖適性高 世界的に広く飼育されている品種 3〜7年程度
ロシアチョウザメ 大型品種 成熟までコチョウザメより長い年月 5〜7年場合によっては8〜10年程度かかることも ■---------------------------------------■
※ 年数はあくまで一般的な目安です。実際の成長速度は水温、水質、餌の管理状況、個体差などによって大きく変動するため、飼育環境によって前後します。
これを踏まえると、1話で描かれていた「国内主流のコチョウザメではなく、品種改良のない天然ロシアチョウザメを扱う」という御滝堂不動滝養殖場の選択は、より成長が早く扱いやすいコチョウザメではなく、あえて成熟までにより長い年月を要する、大型のロシアチョウザメを選んだ、ということになります。 これは、経営判断としてはリスクの高い選択です。 その補填のため成長、足の速い個体群も飼育し出荷を開始しています。 実験しながらという感じなんですね。 飼育期間が長引くほど、その間の設備維持費・餌代といったコストがかさみ続け、収益化までの時間も延びるための試行錯誤として作中の個体選別を描写しています。
そして作中で言及される「シベリアチョウザメ」は、旭柰が来訪のついでに本店で販売しようとしていた品種として登場します。 ロシアチョウザメほど成熟に時間はかからないものの、一般的なコチョウザメよりは長い年月を要する、中間的な位置づけの品種と言えます。
つまり1話に登場するこの養殖場は、「早く育てて早く売る」というコチョウザメ中心の効率重視の経営ではなく、あえて時間のかかる品種に長期的な投資を続けている、腰を据えた事業だということが、この年数の違いから見えてきます。 愛する対象への傾倒が愛情でありそれが技となるというのを希望として書くのがこの物語です。 職人も政治家も軍人もみんな愛で動く人たちとして書く事にこだわっています。
【②実際の日本のチョウザメ分布と絶滅】
チョウザメと聞くと、ロシアやカスピ海といった、遠い異国の魚というイメージを持つ方も多いかもしれません。 しかし実は、かつて日本にも、野生のチョウザメが生息していました。 というか択捉の半分も日本領だったんです。 押さえておけば今頃産油国だったかも…
かつて北海道の石狩川、天塩川、釧路川、十勝川といった大河川には、ミカドチョウザメ(サハリンチョウザメとも呼ばれます)と、ダウリアチョウザメという2種のチョウザメが遡上していました。 これらは、海と川を行き来する「遡河回遊魚」で、鮭と同じように、川で生まれ、海で育ち、産卵のために再び川を遡ってくる、という生態を持っていたと考えられています。
今回取材で訪れた時に偶々であったお爺さんに話をお聞きすることができたのですがその方のお父さんはタモもって川入って捕まえてきて晩飯だ!というぐらいの扱いだったそうです。 実際私も養殖の個体を見て触ってきましたが・・・たまにいる警戒心なさすぎる部類の生物でしたW
しかし、これらのチョウザメは、大正から昭和初期にかけて、急速にその姿を消していきました。 河川の開発、水質の変化、そして乱獲といった複数の要因が重なった結果と見られています。 現在、環境省や北海道のレッドリストでは、これらは日本国内種は「絶滅種」として扱われています。
ごく稀に、石狩川周辺で漁業の網に混獲される例が報告されることもありますが、そのほとんどは、既に国内では絶滅したとされているダウリアチョウザメです。
野生の系統が姿を消して以降、日本でチョウザメが再び注目されるようになったのは、養殖という形を通してでした。 国内でのチョウザメ養殖は、地域おこしや新しい特産品づくりの一環として、各地で少しずつ試みられるようになっていきます。 宮崎、山形、岐阜など、複数の地域が、それぞれ独自にチョウザメ養殖に挑戦し、キャビアという高級食材の国産化を目指してきました。 かつて野生の系統が失われた国で、海外から導入された品種を、日本の水と技術で育て直す、という取り組みが、全国各地で静かに広がっていったのです。
私は北海道を現地調べという事で放浪し静岡と愛知で現在の現場を見て回りました。 作中の豊根村はその広がりに自分が寄与できる点があるのではないかなと思い名刺もあちこちに置いてきました。 どうなることでしょうね。
【現実の豊根村】
豊根村のチョウザメ養殖も、この流れの中で生まれた事業の一つです。 2012年、熊谷仁志さんが立ち上げた事業に始まります。 過疎化が進む山間の村で、新しい産業の柱を作ろうという取り組みの一環でした。 その後、この地に移住してきた小早川武史さんが、熊谷さんのもとで3年にわたって師事し、養殖の技術と知見を学びます。 地域おこし協力隊としての任期を終えたのち、小早川さんは独立し、自身のチョウザメ養殖とキャビア生産に乗り出しました。 現在は、チョウザメ養殖に加えて、学習塾や農業といった事業も手掛けており、村の中で多角的に活動を広げています。 私もかなりの長期間車中泊繰り返し【温泉があるのでとても快適でした】あちこち散策してきましたが水源の豊富さと時折見る子供たちの姿に何か盛り上げの手段を思索していました。
豊根村のチョウザメ養殖は、全国各地で進んできた国産キャビア化という大きな流れの中で、一人の先駆者から始まり、その技術を受け継いだ後進が独立して並走する、という形で、少しずつ層を厚くしながら育ってきた産業だと言えます。 かつて日本の川から姿を消したチョウザメが、今、こうした一人ひとりの積み重ねによって、山あいの村で新しい根を張ろうとしています。
【③静岡(伊豆)辺りのチョウザメ飼育】
伊豆・・・それは疲れくたびれたおっさん達がなぜか最後に住み着く桃源郷・・・
そんな伊豆半島のちょうど付け根に位置する函南町でも、チョウザメ養殖が行われています。 ここでは「函南ちょうざめ企業組合」が中心となって、町のきれいな湧水を活かした養殖に取り組んでおり、5種類のチョウザメが育てられています。
この函南町のチョウザメを扱う専門店として、「Sensa-Banbetsu(千差万別)」というレストランが、2022年1月にオープンしました。 もともと表参道のキャビア専門店でシェフを務めていた人物が、函南町のチョウザメの品質に惹かれて2021年に移住し、開業に至った、というのが、この店の成り立ちです。 函南町では、卵を採ってキャビアにするだけでなく、身の部分まで食用として活用することを目標に、チョウザメの飼育に取り組んでいます。 カウンター6席のみ。 また立ち寄りたい店でもあります。
なお、静岡県内では、この函南町とは別に、浜松市天竜区春野町でも、独立した系統のチョウザメ養殖事業が行われています。 同じ静岡県内であっても、それぞれ別の取り組みとして、地域ごとにチョウザメとの関わり方が育まれている、ということになります。
こうして見ていくと、豊根村を含め、日本各地でチョウザメ養殖が少しずつ根付きつつある背景には、「地域おこし」という共通の動機に加えて、キャビアだけでなく、身そのものを新しい食文化として広めていこうとする、それぞれの土地の挑戦があることが見えてきます。
【④取材の途中で出会った、少し変わった光景】
これまでの取材の過程で、一つ、印象に残っている出来事があります。
伊豆・修善寺周辺を訪れた際、少し時間が空いたので、近くの観光地をふらふらと歩いていました。 すると、ある観光施設の敷地内に、大きな池がありました。 近づいて中を覗いてみると、そこにいたのは、鯉ではなく、チョウザメでした。
施設の方に話を伺うと、近くでチョウザメの養殖が行われていて、そこから譲り受けた個体を、ほとんど鯉と同じような感覚で、この池に放して飼っている、とのことでした。 特別な展示として大々的に扱われているわけではなく、なんというか、非常に自然体で、日常の風景の一部としてチョウザメがそこにいる、という状態でした。
伊豆半島は、函南町をはじめ、チョウザメ養殖に縁のある土地です。 こうした養殖の広がりが、こういった思いがけない形で、観光地の池にまでチョウザメを連れてきていたのだと思うと、少し面白い気持ちになりました。
正直なところ、この施設が具体的にどこだったか、正式な名称までは特定しきれていません。 ただ、伊豆という土地が、キャビアや高級食材としての枠を超えて、こんなふうにチョウザメと共存している光景がある、ということ自体は、実際に目にした、確かな記憶です。
取材とは、いつも計画通りに進むものばかりではなく、こうした偶然の出会いが、次の発見につながることもあります。 1話に登場する豊根村のチョウザメたちも、こうした各地の取り組みの積み重ねの延長線上に、確かに存在しています。
【取材と実食、そして作品として描くということ】
ここまで、チョウザメという魚の分布と絶滅の歴史、豊根村での養殖の始まり、そして静岡・伊豆エリアでの取り組みを見てきました。 最後に、なぜこの題材を、これほど時間をかけて取材し、作品の中に組み込んだのか、その理由に触れて締めくくりたいと思います。
1話に登場する御滝堂不動滝養殖場は、あえて成熟までに長い年月を要するロシアチョウザメを扱う、という設定になっています。 これは架空の設定ですが、湧水が出続けている場所でもあります。 実際に日本各地で行われているチョウザメ養殖の現場を歩いてみると、この「時間のかかる産業を選ぶ」という判断が、決して大げさな創作ではないことが分かります。
チョウザメは、卵を持つまでに数年、種類によっては十年近くを要する魚です。 その間、餌代や設備の維持費といったコストは、当然発生し続けます。 すぐに利益の出る仕事ではありません。 それでも、豊根村の熊谷さんや小早川さん、函南町の組合の方々、伊豆で出会った施設の方々、それぞれが、この時間のかかる魚と、根気強く向き合い続けています。
実際に現地に足を運び、養殖場を見せてもらい、そこで育てられたチョウザメやキャビアを実際に口にしてみると、そこには、単なる高級食材という以上の、育てた人たちの時間と手間の蓄積を感じます。 一口のキャビアの向こうに、数年、あるいは十年近くという歳月と、その間ずっと魚と向き合い続けてきた人たちの存在がある。 それを知ってから食べると、味わい方が少し変わってくるように思います。
天のイグナクトという作品の中で、豊根村の養殖場を描くにあたり、こうした現実の取り組みを下敷きにしたのは、単に舞台設定にリアリティを持たせるためだけではありません。 地道に、時間をかけて、新しい産業を根付かせようとしている人たちがいる、その事実そのものを、少しでも多くの人に知ってもらいたい、という思いがあります。
そして私の知り合いたちが寄ってたかってチョウザメ料理を試作しては家で実験台となった者たちの思いも載せていきたいと思います。 ちなみに満場一致で選ばれたチョウザメ料理は揚げでした。 メチャクチャ手をかけたそれは作中でも決戦に出向く者たちへの手向けとして出てきます。 こうご期待を!
作中の旭柰たちが背負っている「魚食文化への敬意」は、こうした、実際に取材の中で出会ってきた人たちの姿勢と、地続きのものです。
チョウザメという、かつて日本の川から姿を消し、今また各地で少しずつ根を張り直そうとしている魚。 その歩みを知ることが、1話をより深く味わうための、一つの手がかりになれば幸いです。
作中様々な食品/酒/魚が登場しますが、【天のイグナクト】はほぼそれらを実際に足を運び、時に専門家の協力を得ながら、食べたり時には釣舩に乗って確かめてきたものが下敷きになっています。 深堀はこちらで行っていきますので、次回のなぜなにイグナクトも、どうぞお楽しみに。
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【下駄のイグナクト】
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天のイグナクトはハードSFの体裁ですがこのように各話を徹底した取材と可能な限りの一次資料から掘り返して書いています。適当な思い付きでは書いていない、この辺りに目を向けて頂けると幸いです。
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