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なぜなにイグナクト 南極観測船のお話 (『天のイグナクト』第四話【政情と清浄】)

本編第四話への深読み的な物として読んでいただければと存じます。

正直なところ、帆船や南極観測船なんて興味ないって言われてしまいそうな気もしてます。

多分『天のイグナクト』も存在自体がSFなのに掘り過ぎじゃない?と思われるかもしれません。

そういう観点から見ても南極観測船の話はどこまで本編で出すかも悩みました。

ですが通してみた時に 切る 意味がないと感じてしまうほどに物語に組み込まれてることを自覚、そのまま今に至ります。

この辺り(南極観測船)だけで本書けと言われたら簡単に書けてしまうほどに壮大なロマンの山です。その一角だけでもお伝えできればとここで触れてみることにしました。

どうぞご査収ください。

日本の南極探検


本編四話は物語が一色24区から永田町/政治、政争へと舞台が変わりました。


『天のイグナクト』第四話【政情と清浄】


『天のイグナクト』は本編ご覧頂いた方にはもう今更お伝えするまでもなく【物語の幅がちょっとおかしい】作品です。

これは私が過去振り返り、様々な作品を読んでいて感じていたことなのですが、どうも世界の構造が見えない...読後にそう感じることが多かった点への解答として出てしまっている気がします。

『天のイグナクト』はそういう意味でも自分を曝け出してる作品なのかもしれないと自己分析しています。

※その辺はまた長くなるので今回は端折ります。


何故、今回、南極観測船を取り上げたのか?

『天のイグナクト』には今の現実世界が下敷きにあり、その土台の上に骨を組んでいます。

それは何も思い付きでそうしてるわけではなく、登場キャラ全てがこの現実世界の歴史の果てに生きていると私自身が感じてしまっている、それをそのまま文章として吐き出した、それだけの事なんです。

既に登場した者たち以外、後々出てくる他のキャラたちも同様、皆それぞれ背負うモノがあります。

そして南極船も例外ではなく意味があり、必然として物語に出てきます。

その説明のためどうしても紹介しなければならない、実在した偉大な先人がいます。

今回の『なぜなにイグナクト』はその人物を追う形で進めさせてください。



白瀬矗しらせ のぶ

出羽国由利郡金浦村(現在の秋田県にかほ市)出身の日本陸軍軍人、後の日本/南極観測(当時は無謀な冒険扱いで、かなり馬鹿にされたようです)の祖となった人物です。


日本の南極探検は、1910年の白瀬矗しらせ のぶによる私的な挑戦から始まり、戦後の1956年に国家事業としての「南極地域観測隊」へと発展した歴史を持つ、民間の動きが起点となった壮大な国家事業なのです。

※『天のイグナクト』、その 南極観測 に何の意味が?この辺の話は今後チラチラと出てきます。



【Ⅰ】白瀬矗しらせ のぶが率いた最初の航海(1910年〜1911年)

この航海は


「準備不足」

「猛烈な悪天候」

「内紛」


が重なった、壮絶な苦難の連続でした。なんと暗殺未遂まで発生したという地獄付です。

その詳細な経緯をここ含む3つのフェーズに分けて解説します。


・資金難での出航と「開南丸」

白瀬の探検隊はその「探検隊」という呼ばれ方からも政府が認め後押ししてくれた事業ではありませんでした。

調べると アレ な話も多く難解ですが結論としては『やるなら止めないけどそんな資金ないから勝手にしろ』という感じです。

国の支援を得られず、大隈重信を総裁とする「南極探検後援会」の義援金と、国民からの寄付だけで予算が賄われました。

当然寄付だけで運営するので調達できる船も小さい...とても小さいのです...

白瀬たちが購入できたのは、わずか204トンの木造漁船(全長約33メートル)でした。

これを補強(本来必要とする厚みの半分以下の鉄板貼り)し「開南丸かいなんまる」と命名。


これに比較対象としてイギリスがどういう船で挑んでいたかを提示します。



【日本】

開南丸/204トン/全長33メートル

①中古漁船 ②18馬力のエンジン(出力は125cc原付のソレです)


【イギリス】

テラノバ号/約700トン/全長57メートル※なんたらVではないですが似た大きさ重さです

①大型捕鯨船ベース ②140馬力(補助蒸気機関/今のSUVがそのぐらい)



この様を知った人たちからは開南丸は...マッチ箱、そう馬鹿にされたそうです。私はこの話を知り涙しました。

結論から言います。

白瀬はこの漁船に鉄板貼っただけのほぼ帆船で南極まで行って帰ってきて犠牲者0でした。

イギリスは到達したものの極点目指し上陸した選抜メンバーが全員凍死、全滅してしまいました。

船員たちはその記録を持ち帰っています。

もうこの様から、装備があっても判断一つでひどい様に遭遇、容易に【死】が発生する過酷な航海だったことが伺い知れます。


以下その過酷な様が続きます。



【Ⅱ】出発の遅れと南極海での挫折(悪天候と流氷の壁)


・出発の遅れ

白瀬たちが東京・芝浦を出航したのは1910年11月29日でした。南極の夏(12月〜2月)に合わせるには遅すぎる、致命的なタイミングでした。原因はいくつもありますが、主は資金難のためギリギリまで募金を募ったことです。

ですが、出航を翌年へ持ち越すなどは資金的にも絶対に無理な情勢。

暗雲立ち込める船出でした。


・出航後

ニュージーランドを経由、1911年3月にようやく南極圏(ロス海)に到達しましたが、すでに南極は冬に向かっていました。

あちこちが氷で閉ざされる海、目の前に現れたのは、厚さ数メートルの頑丈な流氷帯。

他国の船は小さな氷なら押し込む装甲と馬力がありましたが開南丸は圧倒的非力、小さな氷に挟まれても、船体がきしみ、いつ圧壊してもおかしくない危機に直面しました。

-20℃を下回る極寒、視界を奪う猛吹雪ブリザードが船を襲い無念の撤退を決断。

これ以上の前進は全滅を意味するため、白瀬は南緯74度16分付近で上陸を断念。

1911年5月1日、命からがらオーストラリアのシドニーへ引き返しました。




【Ⅲ】シドニーでの「乞食こじき生活」と内紛


・シドニー生活

シドニーへ到着したものの、探検隊にはもうお金が残っていませんでした。

白瀬たちは港でテント生活を余儀なくされ乞食と侮蔑されたそうです。

シドニー港の入り江でのテント生活、そこでサモア人などからバナナを分けてもらうような極貧生活を送りました。

現地メディアからは「黄色の陣笠をかぶった珍客」「自殺行為の探検隊」とまで嘲笑されました。

当然隊員の士気も下がります...そりゃそうですよね...気持ちはわかるけど...


・隊の分裂(内紛)

この極限状態のなかで、白瀬のリーダーシップに不満を持つ一部の隊員(書記長など)との間で激しい内紛が勃発します。一部の隊員は白瀬を暗殺しようと毒殺計画まで企てたと言われており、隊の統率が完全に崩壊しかけました。

ですがここである人物の助力がありました。

絶望的な状況を救ったのは、シドニーの科学者エッジワース・デイヴィ教授(自身も南極探検経験者)でした。

彼の登場が白瀬たちの奇跡の再挑戦への路を拓きます。

エッジワース・デイヴィ教授は自身も南磁極(方位磁石が真下を指す地点)に到達した偉大な polar explorer(極地探検家)です。

彼は白瀬の熱意を認め、現地での食料調達や、テント生活のための土地手配を無償で手助けしてくれたのです。

その助けは多くの人が想像する、おおよそ【困ってる他者に何かをしてあげた】規模、ではありませんでした。


当時、白瀬たちがシドニーに到着した際、現地は「白豪主義(白人最優先主義)」の真っ只中。

さらにアジアの小さな国から、ボロボロの漁船でやってきた白瀬たちは、現地メディアから「ペンギンを密猟しに来たスパイ」「自殺志願者」と厳しく叩かれていました。

これを見かねたデイヴィ教授は、白瀬の目的がその熱意とともに、純粋な科学探検であることをすぐに見抜き、現地大手新聞紙『シドニー・モーニング・ヘラルド』などに


【彼らは決してスパイなどではない。命を賭けて科学に挑む、尊敬すべき探検家である】


と擁護する記事まで寄稿、世論をひっくり返して味方に変えてくれました。

当時の記録を漁っていて私も手が震えました。

人を助けること、志に共感すること、それが一体になることの尊さを感じられる記録がいくつもありました。

共感とリスペクトは『天のイグナクト』の中で大事なテーマの一つでもありますが、現実でこんな事があったのかと...


教授は最終的には自身の所有地を無償のキャンプ地として提供、教授とその妻は、テント生活を送る日本人のために、頻繁に食料や生活物資を差し入れ、温かく見守り続けました。

精神的に追い詰められていた白瀬に対しても徹底的なフォローを入れてくれたようで、「それぞれの時期での南極の氷の状態」や「どのルートを進むべきか」といった当時では極秘の最新科学データを惜しみなく教え、2度目の挑戦に向けた具体的なアドバイスを与えます。


体制を立て直し、1911年11月に開南丸が再び南極へ旅立つ際、教授はシドニーの市長や多くの科学者たちを呼び集め、公式な歓送会(見送りセレモニー)を主催しました。

これはキチンと当時の新聞にも記録が残されており、世論がどれほど好転したのかがうかがい知れます。半年前は「乞食こじき」と罵られた日本の探検隊が、最後はオーストラリア国民から万雷の拍手と歓声で送り出されることになったのです。

これはすべて教授の尽力によるものでした。

白瀬はこの教授へのせめてもの礼として『渡せるものがこれしかないと』と家宝の刀剣を託されたそうです。


陸奥守包保むつのかみ かねやす


名前を聞いてビビっと来た人もいるかもしれませんね。

某刀剣キャラでもこの刀を冠した創作がされてます。

教授に送られた刀は左陸奥と呼ばれる業物(わざもの)で、ここは詳しくやると滅茶苦茶ながくなるため端折ります。

好きな人は調べてみてください。

※ついでに美術館など周遊コース含めて調べるともう愛が止まらなくなるかもしれません。


話を戻します。

この刀は現在もオーストラリア・シドニーの「オーストラリア博物館」に所蔵、日豪友好のシンボル「白瀬の刀」/「Shirase sword(白瀬の刀)」として大切に保管されています。

ちなみにこの刀、マスコミが扱うときに「友情の刀(Sword of Friendship)」と称されることもあるようでもうそれだけで泣けてしまう...


さらに、日本国内でも大隈重信らが状況打開へ奮闘。彼は出航後も追加の資金を集め続けていたのです。

こういった周囲の助力を得て白瀬たちは隊の体制を立て直すことに成功。

1911年11月19日、開南丸は再び南極へ向けてシドニーを出発、翌年の「大和雪原」到達へと繋がることになります。


そして目的を果たした開南丸は一人もかけることなく全員が無事帰国、世界からは奇跡とまでたたえられました。

この功績から以降の南極観測は国の支援が入るようになり


宗谷そうや 2,733トン

ふじ      5,250トン(砕氷専用艦)

しらせ(初代) 11,600トン

しらせ(2代目) 12,500トン


へと系譜がつながり、退役(退艦)後も永久保存展示されるようになりました。


東京の皆さん!「宗谷」は湾岸でずっと無料公開中ですよ!!

都民なら全員こいつは行くしかねぇ...


歴代南極船、それが『天のイグナクト』4話で緊急時に人々の助けとなるべく復活揃い踏みとなります。

開南丸だけはレプリカ/改修(朝凪/夕凪の二隻へ改名)登場です。


南極が直接『天のイグナクト』の物語舞台として関係してくるわけではありませんが船は絡みます。ガッツリ噛んでくる話があります。

仕込みは上々なので、どうか本編も引き続き追って頂ければと思います。


では今回の『なぜなにイグナクト』はおしまいです。

お付き合いいただきありがとうございました!


いかがでしたでしょうか?


他国の船の事や国際情勢など書きたいことは沢山ありますが 白瀬矗しらせ のぶ へ焦点を絞りまとめてみました。

本編と合わせてご覧頂ければとてもありがたいです。

今後とも『天のイグナクト』『なぜなにイグナクト』双方お楽しみ頂ければ幸いです。



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