告白の後の告白
――でも。
中村は、通話を切ったあとも、胸の奥がざわついたままだった。
千代田も、きっと色々抱えている。
さっきは、そのことにちゃんと触れられなかった気がする。
ありがとうって、
ちゃんと、言えていなかった。
頭の中は今もぐるぐるしている。
整理なんて、全然ついていない。
それでも――
なぜか、声を聞きたくなった。
迷って、迷って、
それでも指が動く。
「千代田さ、もう一回、少しだけ話せる?」
送信してから、息を止める。
少しの間。
「……うん」
返事は、短かった。
「いいよ、少しなら」
「でも、ほんとに少しだからね」
「今日、頭使いすぎててさ」
その言葉に、胸が少し痛んだ。
でも――。
千代田は観念した様にスマホを覗いて
(でも……中村の声なら、断れるはずがない)
受け入れる選択肢しかなかった。
「ありがとう」
中村は、ちゃんと感謝を伝えた。
***
再び、二人の通話が繋がる。
「こんばんは」
「また? ふふ……こんばんは」
笑い混じりの声。
「まだ、起きてた?」
少し眠いのか、
さらに優しく聞こえる中村の声。
「うん、なんか……眠れなくて」
二人とも「同じだ」、と同時に思った。
「あの……『少しなら』って言われるとさ」
中村は、正直に言う。
「逆に、何から話せばいいかわからなくなるな」
「はは……」
千代田が小さく笑う。
「中村って、そういうとこ悩むよね」
その言い方が、優しかった。
「あのー……さっき言ってくれたじゃん」
中村は言葉を選びながら、続ける。
「安心できる相手がいるって、大事だって」
「……うん。で?」
千代田の促すような柔らかい声。
「あれさ……
通話切った後も、ずっと残ってて」
千代田の優しさに任せて、
中村は妙に素直になっていた。
「有本のことで悩んでるはずなのに、
気づいたら……
『千代田に話してよかったな』って、思っててさ」
言ってから、少し怖くなる。
「それって……」
言葉が、詰まる。
「やっぱり、甘えてるだけ……なのかな……」
「そうかもね」
千代田は即答だった。
「でも、甘えてくれて嬉しいよ」
「……そうなの?」
拍子抜けするほど、穏やかな声。
「うん、ほんと。
中村が頼ってくれるの、嫌じゃないし……」
中村は軽く息を呑んだ。
「正直、少し嬉しい」
「嬉しい、って言われると……照れるな」
「でもね」
千代田の声が、ほんの少しだけ真面目になる。
「安心と恋は、一緒にしちゃだめ。
それを混ぜちゃうと、
誰かが、どこかで……必ず苦しくなる」
「……うん」
その言葉は、重かった。
「千代田がそう言うなら、
ちゃんと聞かなきゃって思う。
……安心するとさ」
中村は、柔らかい口調で続けた。
「頭も心も楽になって、
このままでいい気がしてくる」
今思っている、素直な感覚だった。
そしてまだ気持ちが高揚したままなのか、
今日はいつもより少し、
饒舌になっている自分を感じていた。
「でも、それを『恋』って呼んだら、
きっと、どこかで間違える
……今なら、分かる」
「……うん」
千代田は、否定しなかった。
「千代田がいてくれるから、
ちゃんと有本のことで悩めてるし、
逃げずに、向き合おうって思えてる」
「そう……」
千代田は、優しく言葉を受け止めてくれた。
中村は言葉を探しながらも、
自分なりに丁寧に組み立てる。
「それって、
甘えかもしれないけど、
依存には……ならないようにしたい」
「依存には……なってないと思う」
千代田は中村の全ての言葉を、
今までちゃんと受け止めてくれている。
「千代田はさ」
中村は、思い切って聞いた。
「この距離、どう感じてる?
……重くなってない?」
「んー…」
返答までに、少し考える間があった。
「私はね、見てるだけでいいって、思ってた。
前に出たいとか、割り込みたいとか、
そういう気持ちは……、
……ない、はずって」
言葉が揺れる。
「ない……はず……、か」
静かに中村は言葉を置く。
「うん……重くはないと思うよ」
千代田はあくまで、淡々とした口調。
「少なくとも、有本は、
中村が誰に相談してるとか、
そんなの気にするタイプじゃないし」
「……そっか」
「だから、大丈夫。
……たぶん」
「その『たぶん』が、ちょっと気になるけど」
「中村は、考えすぎ」
優しく、でもきっぱり言えるのが、
千代田らしいところだ。
「千代田が……」
中村は、言葉を選ぶ。
「『見てるだけでいい』って言うの、
優しいけど……、
納得できるのかな?
それで、良いのかなって」
「……そうするしか、ないんだよ」
千代田が放ったその言葉は、静かだった。
「でもさ」
中村は、最後に伝えた。
「その“見てる場所”に、千代田がいるから、
僕、前に出られてる気がするんだよね」
一瞬、通話が静かになる。
「それなら……よかった
力になれてるなら、嬉しいよ」
「……ありがとう」
中村は、息を吸って。
「それだけ、ちゃんと伝えたかった」
――その言葉にを聞いた瞬間、
スマホを持つ千代田の手に力が入る。
(嬉しい……? 本当に……?)
千代田の胸が、きゅっと締め付けられる。
(えっ……つらい)
(こんなこと、言いたくないのに……)
(……もう、分からない)
声には出さず、
千代田は、ただ静かにスマホを握りしめていた。
そして……胸の奥のスイッチは、
音もなく勝手に切り替わった。
「……ねえ」
通話の向こうで、千代田の声が、
ほんの少しだけ震えた。
「うん」
「『見てるだけでいい』って言ったでしょ」
「……言った」
「あれね」
短い沈黙。
「嘘じゃないけど、
本当でも、なかった」
「えっと……」
「そう言い聞かせないと、
立っていられなかっただけ」
胸の奥に、鈍い音が落ちるのが聞こえた。
「千代田……」
「好きな人の声がして、
その内容が『別の子』の話で」
一つずつ、言葉を選ぶように。
「それでも、
『聞くよ』って言うしか、なかった」
「……なんか、ごめん」
「謝らないで」
千代田は即座に言い放つ。
「それ、余計につらい」
「あっ……」
「中村はさ」
千代田の静かだけど、逃げ場のない声。
「自分が、どれだけ残酷なことしてるか、
分かってる?」
「……分かってない、と思う」
中村は正直に言う。
「だから、聞いてる」
「……ははは……」
力の抜けた笑い。
「そういうとこ、ずるい」
「ちゃんと、
千代田の言葉を、聞きたいだけだ」
「……聞いて、どうするの?」
感情が、少しずつ溢れ始める。
「慰める?」
「理解した顔する?」
「それとも最後は――」
「『でも有本が好きなんだ』って、戻る?」
「それは……」
中村は直ぐに答えられない。
「私ね」
千代田は、深く息を吸った。
「期待してなかった“つもり”だった。
好きにならないって、決めてた」
「一線は越えない」
「割り込まない」
「邪魔しない」
「でも……」
「夜になると、
「中村の声が、頭から離れなくて。
「今日も、電話出た瞬間、
……少し、期待した」
「期待……」
「馬鹿だよね」
自嘲するように。
「自分で線引いといて、自分で傷ついて」
「そんな言い方、しなくていい」
「するよ!」
強い返答だった。でも苦しさが滲んでいる。
「そうしないと……
私が、私を嫌いになる!」
「ん……」
中村は慰める言葉が見つからないでいた。
「中村が『安心する』って言うたび」
千代田の声が、少し掠れる。
「私、思ってた…、
『じゃあ、私は何?』って」
「居場所?」
「避難所?」
「感情のゴミ箱?」
「そんなつもりじゃ……」
「分かってる!」
千代田は言葉を被せてくる。
そこにいつもの冷静さは見当たらない。
「分かってるから、余計につらい!
中村は優しい。
だから、私が壊れてることに……
気づかないふりが、できる」
「……千代田、そんな……」
「私ね」
もう、千代田の想いは止まらなかった。
「本当は、応援なんてしたくなかった」
「背中押す役、やりたくなかった」
「でも、中村が苦しそうで、
放っておけなくて……」
「また、繰り返し話を聞いて、
それで、『ありがとう』なんて言われると、
……嬉しくなっちゃう……」
「最低だよね」
「……最低なんかじゃない」
中村の否定も、今の千代田には届かない。
「じゃあ、この気持ち」
震える声。
「どこに、置けばいいの……?」
「えっ……」
「中村は、有本を選ぶ」
「それは、分かってる」
「最初から」
「それなのに」
「私のところには、来る」
「弱った顔で」
「優しい声で」
「希望持つなって方が、無理でしょ……」
「……千代田」
中村は名前を呼ぶ事しか出来ない。
「今日は、もう無理」
千代田は、はっきりと言った。
「これ以上話したら、
中村を責めるか、自分を壊す。
どっちも、したくない」
「……分かった」
中村は静かに、ゆっくりと言伝える。
「今日は、ここまでにしよう」
「……ごめんなさい……うまく言えなくて」
千代田の沈む声。
「いいよ」
中村は即答した。
「今のは」
「ちゃんと、千代田の言葉だった」
「……切るね」
千代田が今言える、“精一杯”はそれだけだった。
「うん……」
「千代田、ちゃんと、受け取ったよ」
「おやすみ」
「ゆっくり、休んで」
そして通話が切れた。
***
(……切っちゃった)
千代田は、スマホを見つめた。
(また、逃げた)
(ちゃんと言えたはずなのに)
(一番大事なところで)
***
(……切れた)
中村は、暗い天井を見ていた。
(言いすぎたかな)
(いや……言ってないか)
(肝心なことは)
(何一つ)
***
二人は、それぞれ一人で反省会を開いていた。
千代田
「見てるだけでいい」
そんなわけ、ないのに。
中村
「安心する」それだけは、嘘じゃない。
千代田
期待するなって自分に言い聞かせるほど、
胸が痛くなる。
中村
期待させてるつもりは、
なかった。……本当に?
千代田
私、都合のいい場所になってない?
中村
僕、逃げ込んでただけなんじゃないか。
千代田
優しくしたいだけだった。傷ついてる人を放っておけなかった。
中村
優しさに、甘えてた。
千代田
夜になると声を思い出す。今日も、心臓が跳ねた。
中村
夜になると真っ先に浮かぶ。
連絡していい理由を探してしまう。
千代田
「少しなら」って言いながら、
本当はもっと話をして欲しかった。
中村
「少しだけ」って言いながら、
本当は離れたくなかった。
千代田
最低だよね。応援するって言いながら、
選ばれたらいいなって思ってる。
中村
僕は卑怯だよな。答えを出さずに、
そばにいようとするなんて。
千代田
安心するって言われるたび、
嬉しくて、苦しくなる。
中村
安心するって言葉で、
線を引いてる自分に気づいてる。
千代田
安心ってなに? 恋じゃないって、
遠回しな宣告?
中村
恋だって言ったら、
何かを壊す気がしてた。
千代田
私はさ、大人でいたかっただけ。
中村
僕はさ、子どものまま止まってた。
千代田
でも、優しさって自分を削る時がある。
中村
優しさを、言い訳にしてた。
千代田
応援なんて、したくなかった。
中村
背中を押されてるのに、振り向けなかった。
千代田
好きだから。
中村
……好きだから。
千代田
認めたくなかった。
報われないって分かってたから。
中村
認めたら、
進まなきゃいけなくなる。
千代田
今日、「辛い」って言えたのは、
限界だったから。
中村
今日、何も言えなかったのは、
怖かったから。
千代田
いい子でいるの、疲れた。
中村
曖昧でいるの、楽だった。
千代田
だから、少し離れる。
中村
離れられたら、困るのに。
千代田
それが、私が私を守る方法。
中村
それが、僕が向き合う合図。
千代田
……おやすみ。中村……
中村
……おやすみ。千代田……
同じ夜の中で、
二人はそれぞれ、
初めてちゃんと“痛み”を抱いたまま、目を閉じた。




