第35話 千代田、声をかけられる
スイーツショップを出ると、千代田が本屋から戻ってきた。
「お待たせ」
「おかえり」
有本が手を振る。
「何か買った?」
「一冊だけ」
千代田が紙袋を見せる。
「いいね」
中村が笑う。
「面白そうなの見つかった?」
「うん。前から探してたやつ」
「よかったじゃん」
「ありがとう」
千代田が嬉しそうに笑う。
その笑顔を見て、中村も自然に笑った。
「じゃあ、次どこ行く?」
「次は――」
中村がスマホを取り出す。
画面を見る。
「……」
「どうしたの?」
有本が覗き込む。
「予定が、もう意味をなしてない」
「まだ言ってる」
千代田が笑う。
「いいじゃん。今日は予定を崩す日なんだから」
「それ、誰が決めたの?」
「みんな」
「僕、聞いてないけど」
「今決まった」
「後出しじゃん」
「でも、中村も楽しそう」
千代田が言う。
「……まあ」
中村も笑う。
「最初はちゃんと予定通りにしようと思ってたんだけどね」
「最初だけ?」
有本が笑う。
「今は?」
「もう諦めた」
「よし」
「何がよしなの?」
「これで自由に遊べる」
「最初から自由だったよね?」
「そうだった」
三人で笑いながら歩き出す。
モールの中央通路。
休日ということもあり、さっきより人が増えている。
家族連れや学生たちが、あちこちから流れてくる。
「ちょっと見てくる」
有本が雑貨店を指差す。
「また?」
「すぐ戻るから」
「本当に?」
「うん」
「絶対?」
「たぶん」
「有本まで『たぶん』使うようになった」
千代田が笑う。
「じゃあ、すぐ戻るね」
「分かった」
有本が店へ入っていく。
中村と千代田は、その前で待つことになった。
「有本、本当に寄り道好きだね」
「うん」
千代田が笑う。
「でも、楽しそう」
「まあね」
中村も店の中を見る。
「見てるこっちまで楽しくなるよ」
「……そうだね」
千代田は少しだけ中村を見る。
「今日、中村も楽しそう」
「うん」
「最初は、ずっと緊張してたのに」
「それは……」
中村が苦笑する。
「今でも緊張してるよ」
「そうなの?」
「うん」
「全然そう見えない」
「見せないようにしてるから」
「じゃあ、結構頑張ってるんだ」
「まあね」
千代田が笑う。
「でも、よかった」
「何が?」
「今日、中村も楽しそうだから」
「千代田も?」
「うん」
千代田が笑う。
「私も楽しいよ」
「そっか」
中村も笑う。
「ならよかった」
その時だった。
「すみません」
後ろから声をかけられた。
二人が振り返る。
知らない男子が二人立っていた。
「今、一人?」
「え?」
千代田が戸惑う。
「いや……」
中村は状況を理解するまで少し時間がかかった。
「よかったら、このあと一緒に――」
「あ……」
千代田が小さく頭を下げる。
「すみません」
「友達と来てるんで」
男子の一人が中村を見る。
「友達?」
「はい」
「彼氏?」
「え?」
中村が固まる。
「いや、その……」
千代田も言葉に詰まる。
「違います」
男子が笑う。
「じゃあ、別にいいじゃん」
「いや……」
中村は千代田を見る。
困っている。
明らかに困っている。
千代田は断ろうとしている。
でも、うまく言葉が出てこない。
中村は一歩前へ出た。
「すみません」
声は落ち着いていた。
「今日は三人で来てるんで」
「三人?」
「はい」
中村は雑貨店を見る。
「もう一人も、今あそこにいます」
男子が店の方を見る。
「だから、今日は無理です」
強い言い方ではない。
ただ、はっきり断る。
「そっか」
男子の一人が肩をすくめる。
「じゃあ、また今度ね」
「……はい」
男子二人が離れていく。
千代田は、その背中を見送った。
「……」
「大丈夫?」
中村が振り返る。
「うん」
「本当に?」
「うん」
「ごめん。もっと早く気づけばよかった」
「中村が謝ることじゃないよ」
「でも」
「本当に大丈夫」
千代田は笑った。
「助かった」
「ならよかった」
中村も笑う。
「怖くなかった?」
「ちょっとだけ」
「そっか」
「でも、中村が来てくれたから」
「……うん」
その言葉に、中村も少し照れたように笑う。
その瞬間、代田の胸がまた少しだけ苦しくなった。
さっき手を引かれた時と同じ。
中村は何気なく優しい。
本人は何も考えていない。
だからこそ、自分だけが意識していることが少し寂しい。
「……中村」
「ん?」
「こういう時、ちゃんとしてるんだね」
「え?」
「普段は結構慌てるのに」
「それは……」
中村が苦笑する。
「困ってる人がいたら、普通に助けるでしょ」
「そうかな」
「そうだよ」
「中村らしいね」
「そう?」
「うん」
千代田は少しだけ笑う。
「そういうところ、好きだよ」
「……え?」
中村が固まる。
「あ……」
千代田も自分の言葉に気づく。
「いや、その……」
「好き?」
「人として!」
「……ああ」
「そういう意味だから」
「うん」
中村は少し照れながら笑う。
「分かった」
千代田は顔を逸らす。
頬が熱い。
言ってしまった。
どうして口から出てしまったのか、自分でも分からない。
でも、完全な嘘でもなかった。
「二人ともー!」
雑貨店から有本の声がする。
「何してるの?」
「今行く!」
中村が返事をする。
千代田も歩き出す。
有本が二人のところへ戻ってくる。
「なんかあった?」
「ちょっと声かけられただけ」
中村が答える。
「誰に?」
「知らない人」
有本は千代田を見る。
「大丈夫?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
「ならよかった」
有本はそれ以上聞かなかった。
そして、すぐに別の方向を見る。
「あ!」
「……何?」
「今度はあっち!」
「また?」
「うん!」
有本はもう歩き出している。
「有本、ちょっと待って!」
「早くー!」
中村は苦笑する。
「本当に寄り道好きだな」
「いいじゃん」
千代田が笑う。
「追いかけよう」
「うん」
三人はまた歩き出した。
千代田は中村の少し後ろを歩く。
さっきの言葉を思い出す。
――好きだよ。
言ってしまった。
思い出すたびに、頬が熱くなる。
でも、今度は少しだけ前を向いて歩ける気がした。
中村が振り返る。
「千代田、早く!」
「うん、今行く」
千代田は歩幅を少しだけ速める。
その背中を追いながら、もう一度だけ思う。
そして誰にも聞こえない声で、つぶやいてみる。
「好きだよ……」
もう言ってしまったことは、もう戻せない。
でも、それでいいのかもしれない。
今日一日で少しずつ、
自分の気持ちを隠さなくなっている。
千代田は小さく笑って、中村たちの隣へ追いついた。




