「消えるという選択」
「お、鋭」
有本が苦笑いを浮かべる。
廊下の窓から入る光が、彼女の横顔を少し白く照らす。
「確かにさ、
仲が悪くなるのは嫌だけど」
一度目を伏せ、
「正直に言うと」
中村を見る。
「私と千代ちゃんが多少ギクシャクしたところで、
それ“中村のせい”って思わないよ?」
さらりと言う。
でも目は、真面目だ。
中村は、ほんの少し肩をすくめる。
そんな風に割り切れるなら、
どれだけ楽か。
「……そう」
千代田が小さく頷く。
「でも中村は、そう思えない」
その声は断定。
否定の余地を残さない。
「自分が“場にいたから”
何かが壊れた、って思っちゃうタイプ」
廊下を通る生徒たちが、三人の横をすり抜ける。
誰も立ち止まらない。
でも、この三人の間だけ空気が濃い。
「で、だから」
有本が少しだけ声を落とす。
「仲良くさせようとする」
「空気を整えようとする」
「自分が“緩衝材”になろうとする」
緩衝材。
その言葉が、静かに落ちる。
千代田が続ける。
「でもね」
中村を見る。
「緩衝材って、一番先に削れる場所なんだよ」
沈黙。
「しかも、誰にも気づかれないまま」
その言葉は、やわらかく残酷だった。
中村は、息を飲む。
削れる。
気づかれない。
それは、どこかで覚悟していた形でもある。
有本がぽつりと笑う。
「……千代ちゃん、今日はガチだな」
「今は、ガチでいい」
千代田は視線を逸らさない。
「中村」
名前を呼ぶ。
「有本と私が仲悪くなるのが怖い、って言ったでしょ」
中村は黙って頷く。
「じゃあ、もう一つ聞かせて」
ほんの少し、間を置く。
「もしそれが起きたら」
廊下の光が揺れる。
「中村は、どっちの隣に立つつもりだった?」
その問いは、責めていない。
でも、逃げ道はない。
中村の足が止まる。
流れていた人波が、横をすり抜ける。
どちらの隣に立つか。
選ぶ。
立つ。
固定する。
それは、誰かを選ばないという選択肢を消すこと。
喉が乾く。
「……どちら側にも立たずに、消えていけたら良いかも」
言ってから、自分でも少し驚く。
意外と素直な気持ちが出た。
軽くごまかすつもりだったのに。
「……あー」
有本が一瞬、言葉を探す。
そして、ため息みたいに笑う。
「それ、いちばん“中村らしい答え”だわ」
からかいではない。
理解に近い笑い。
「でもさ」
少し真面目になる。
「消えるって選択、仲良くするための方法じゃない」
有本の大きい瞳が、素直に刺さる。
「それ、“責任を取らない”じゃなくて
“誰にも残らない”ってやつ」
そしてその言葉が、追い討ちの様に静かに刺さる。
千代田がゆっくり頷く。
「……今の、嘘じゃないって分かる」
声は低く、柔らかい。
「中村はね、
どちらかを選ばないために
自分を消そうとする人」
眉をほんの少しだけ寄せる。
「それ、優しさじゃなくて――
自己放棄に近い」
自己放棄。
中村の胸の奥が、じわりと重くなる。
有本が小さく笑う。
「重い言い方するね」
「でも、違わない」
千代田は即答する。
「消えたらさ」
目線を落としながら。
「私と有本は、確かに喧嘩しないかもしれない」
「でも」
呼吸が少し深くなる。
「中村がいない場所で
“うまくいってる私たち”を見ることになる」
廊下の光が、中村の目に反射する。
「それ、中村は耐えられる?」
問いは、静か。
でも逃げ場はない。
想像する。
二人が笑っている。
自分のいない場所で。
自分がいないから、穏やかで。
自分がいないから、問題が起きない。
その光景。
胸が、きしむ。
「……正直に言うと」
有本が肩をすくめる。
「私は、中村が消える選択するなら止めるよ」
ある意味、卑怯と思えてくる程の誠実な眼差しを、中村に向ける。
「仲良くなるために誰かが消えるの、気持ち悪いもん」
さらりと言う。
でも、その声は本気だ。
「……うん」
千代田もはっきり頷く。
「私も」
「中村が“いなくなった方が楽”って思うなら」
視線をまっすぐ向ける。
「それは、私たちがちゃんと向き合わなかった結果になる」
沈黙が流れる。
三人の足音だけが、廊下に残る。
コツ、コツ、コツ。
一定のリズム。
「だから」
千代田が続ける。
「消えなくていい」
「選ばなくてもいい」
一瞬、柔らかくなる。
「ただ――」
目を逸らさない。
「ここにいる責任だけは、放さないで」
有本が軽く笑う。
「ね」
「消えるくらいならさ」
「不格好でもその場に立ってる方が、よっぽどマシだよ」
廊下の窓から入る光が、三人の影を並べる。
消えるのは簡単だ。
でも、立ち続けるのは難しい。
それでも。
消えないと決めることが、
たぶん最初の覚悟だ。
三人の足音だけが、静かに続いていった。




