「途中下車」
「なるほどね。
完全スルーよりは、途中下車した感じ?」
有本が肩をすくめる。
笑っている。
でも、その笑いは半分だけ。
「中村さ、
次にその続きやる時は」
人差し指を立てて。
「“場を盛り上げる案”とか
“冗談”とか
もう使えないからね」
言い切る。
軽く見せて、ちゃんと刺す。
千代田は小さく息を吐く。
胸の奥に溜めていた空気を、静かに出すみたいに。
「今日のところは、予習していい」
視線は落としたまま。
「でも」
ほんの一瞬だけ、目を合わせる。
短い。
でも確かに触れた視線。
「続きがある前提で終わったってこと、忘れないで」
その言葉が、静かに置かれる。
チャイムが鳴る。
金属音が教室の空気を切り裂く。
ざわめきが一気に戻る。
椅子を引く音。
机を閉じる音。
誰かの「やべ、課題やってない」という声。
日常が、完全に再起動する。
「ほら、主催者さん」
有本が笑う。
「次回予告、忘れずに用意しときなよ」
軽い。
でも目は、逃がさない。
千代田がぽつりと続ける。
「……おはようの続きは、また今度ね」
朝の挨拶。
呼び方の距離。
全部、まだ途中。
逃してはもらえた。
でも、終わってはいない。
中村は教科書を閉じる。
“途中下車”。
完全に降りたわけじゃない。
でも、目的地も決めていない。
立ち位置が、まだ曖昧なまま。
*****
チャイム後、廊下。
教室の外に出た瞬間、空気が少し軽くなる。
人の流れが前後に動く。
階段へ向かう波。
それでも三人の距離は、まだ近い。
「……ねぇ中村」
有本が半歩だけ並ぶ。
肩が触れない程度の距離。
「さっきの“番組の引き”、
逃げとしては上出来だけどさ」
ちら、と横を見る。
「次、どうするつもり?」
有本の顔が見れない。
「何もしないで“なかったこと”は、もう無理でしょ」
言い切る。
廊下の窓から光が差し込む。
中村の影が長く伸びる。
千代田は少し遅れて歩き出す。
「……」
足音が一定のリズムで響く。
「私は、追いかけないよ」
低い声。
「でも」
中村を見る。
「続きがある前提で終わったってことだけは、共有した」
千代田はいつも正しい。
「中村は、
“場を作る人”でいたいのか、
“当事者”になる気があるのか」
歩く速度がわずかに落ちる。
「……どっち?」
問いは、逃げ道を残さない。
中村は笑う。
少し大きめに。
「仲良くしたいじゃん」
両手を広げる仕草。
「二人とだよー決まってるじゃん!」
軽く、明るく。
「あはは……二人ともその顔ダメだよ。
怖いよ。可愛い顔台無しだよー」
言いながら、自分でも分かる。
軽くしようとしている。
空気を持ち上げようとしている。
「って……天聖院は言わないか」
自嘲気味に笑う。
「……あはは」
有本が笑う。
でも、すぐ止まる。
「中村、それね」
指を一本立てる。
「“仲良くしたい”って言葉で、
いま一番言っちゃいけないやつ」
廊下の向こうで笑い声が上がる。
でも三人の周りだけ、音が遠い。
「……うん」
千代田は表情を変えない。
「“二人と仲良くしたい”って言い方、優しいけど」
少しだけ首を傾ける。
「それ、“どっちも失いたくない”って意味でもあるでしょ」
中村の笑いが、止まる。
有本が続ける。
「で、そういう時にさ」
視線を向ける。
「可愛いとか怖いとか言って
空気を軽くしようとするの、中村の癖」
図星。
「……嫌いじゃないよ」
千代田がはっきり言う。
「でも今は、それ言われると」
千代田が顔を上げて。
「ちゃんと見られてない気がする」
その言葉は、まっすぐ。
責めない。
でも逃がさない。
「お、千代ちゃん今日は直球」
有本が小さく笑う。
「だって」
千代田は目を逸らさない。
「“天聖院は言わないか”って、自分で分かってるんでしょ?
言わない理由も」
廊下の光が、三人の横顔を照らす。
「天聖院ならさ」
有本が腕を組む。
「場を和ませる前に、一回は空気、止めるよね」
「……うん」
千代田が頷く。
「だから中村。“仲良くしたい”なら、
今はその言葉、使わなくていい」
沈黙が長く感じる。
「代わりに」
声を少し落とす。
「何を怖がってるか、一つだけ言って」
その瞬間。
廊下の喧騒が遠のいた。
怖い。
何が?
嫌われること?
選ばれること?
選ぶこと?
中村は自分でもびっくりするほど、自然に言葉が流れ出す。
「怖いか……」
「なにが怖いって。
「自分のせいで、なんか有本と千代田の仲が悪くなるのが一番怖いよ。」
トーンを落として呟くように投げた。
有本が小さく息を吐く。
「……あー」
肩の力を抜く。
「それさ、中村らしい答えだとは思う」
一瞬、視線を逸らす。
「でもね」
再び向き直る。
「それ、“自分が嫌われるのが怖い”とは違うんだ」
千代田が静かに続ける。
「……うん」
声は柔らかい。
「今の、ちゃんと聞こえた」
「中村が怖いのはさ」
視線が、真っ直ぐ射抜く。
「有本と私が、“中村を介さなくても話せる関係”になることじゃない?」
その言葉が落ちた瞬間。
中村の足が止まる。
廊下の流れが、横をすり抜けていく。
誰かの肩が軽く当たる。
でも、動けない。
図星だ。
自分が“場”を作っている間は、
二人はそこにいる。
でも。
もし二人が、
中村を介さずに笑い合ったら?
自分の役割は、消える。
有本が小さく笑う。
「……あー、なるほどね」
千代田は、続けない。
ただ、待つ。
逃げるのか。
言うのか。
中村は、初めて自分の怖さを
言葉にしなきゃいけない位置に立っている。
もう“主催者”じゃない。
ただの一人の当事者。
廊下の光が、白く滲む。
答えは、まだ喉の奥にある。




