「キュンキュンマグネット」
クラスの中で、突然、
男女が仲良くなり始める現象がある。
昨日までほとんど話していなかったはずなのに、
気づけば休み時間に並んで笑っている。
理由は、だいたい些細だ。
席が近くなった。
好きなゲームが同じだった。
マンガの貸し借りをした。
――そんな、説明にもならないようなきっかけ。
「これ、なんて呼べばいいんだろうな……」
中村は、机に肘をつきながら、
ぼんやりと考えていた。
「……キュンキュンマグネット、とか?」
自分で言って、少し恥ずかしくなる。
「略して……キュンマグ」
安直だ。
でも、悪くない気もする。
「こんなもんでいいかな……」
ふと、窓の外を見る。
照りつける夏の光が、教室の床に反射していた。
「……あの夏の……あれが、そうだったのかな……」
そんなことを思い出す。
***
僕は、クラスの中ではどちらかというと、
いじられ役だ。
目立つタイプでもなければ、
ムードメーカーでもない。
男子からは軽くからかわれ、
女子とは特別仲がいいわけでもない。
――はず、だった。
でも、なぜか。
クラスに数人しかいない女子のひとり、
有本だけは違った。
彼女もよくからかってくる。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
いや……今思えば。
むしろ、ちょっと嬉しかった気がする。
高校一年生の夏。
僕は、有本と少しだけ仲良くなった。
きっかけは単純だ。
席が近くなった。
それだけ。
休み時間に話すようになって、
ゲームやマンガ、アニメの趣味が、
驚くほど似ていることが分かった。
「それ、私も好き。セリフがまた、かっこいいんだよね」
「え、マジで?じゃぁ、これは?」
そんなやり取りを繰り返すうちに、
自然と会話が増えていった。
***
最近、中村がよく話しかけてくる。
有本は、教室でそんなことを思っていた。
話題はだいたいマンガかゲーム。
深い話をするわけでもない。
このクラスは少し特殊で、
三年間クラス替えがない。
つまり、このメンバーで
三年間を過ごすことになる。
――なら、色んな人と
仲良くなっておいた方がいい。
それは、有本にとって合理的な判断だった。
別に、嫌々相手をしているわけでもない。
高校生の世間話なんて、こんなものだろう。
そう思っていた。
***
そんなある日。
有本から、中村へLINEが届いた。
『友達の誕生日が来週なんだよね』
画面を見て、少し意外に思う。
有本から、個人的な連絡が来るのは初めてだった。
『なんかさ、
一緒に選んでくれそうな人いないかなーって思って』
僕は少し考えてから、返信した。
『プレゼントなら、
あのショッピングモール回ればさ、
色々おしゃれなものもあるし、
いいの見つかるんじゃない?』
『それもそうだね。でも、何がいいのかなー』
『可愛いやつがいいと思うんだよね』
『ただ……あんまり高い物も……ねぇ』
有本の言いたいことは分かる。
続けて、こんな一文が届く。
『中村なら、ちゃんと考えてくれそうじゃん?』
――え。
胸が、少しだけ跳ねた。
『じゃあ……僕、付いて行こうか?』
送ってから、数秒。
既読がつく。
『え、付いてきてくれるの?』
そのあと、少し間があって。
『……じゃあ、心強いからお願いしよっかな』
頭の中で、警報が鳴る。
中村は、すかさずメッセージを送信する。
『今度の週末、空いてる?』
『週末ねー。日曜日の午前中なら大丈夫』
『じゃあ、それで』
最後の送信した瞬間、スマホを伏せた。
……これってデートじゃないか?
いや、違う。違うはずだ。
友達のプレゼントを選ぶだけ。
完全に、付き添い。
――でも。
「……期待するなよ、僕」
そう自分に言い聞かせながら、
胸の奥が、少しだけ熱くなるのを止められなかった。
この時はまだ知らなかった。
この何気ない約束が、
僕たちの距離を、確実に変えていくことを。
――キュンキュンマグネット来た!
そう、それは、きっと、もう、
その時には引き寄せられ始めていたのだ。
***
夕飯の支度をしている母の背中に向かって、
有本は何気なく言った。
「なんかさー、中村が友達のプレゼント選び、
手伝ってくれるらしいから。
日曜日、モール行ってくるよ」
フライパンを握っていた母の手が、一瞬止まる。
「えー?」
母は、半分振り返って目を大きく開いた。
「中村君って、クラスのいじられ役の?」
「うん。いつも話してる」
有本は、特に気にした様子もなく答える。
「男の子でしょう?」
少し間を置いて、母はにやっと笑った。
「あらー彼氏なの? デートしてくるのね?」
「違うって」
即答だった。
「彼氏じゃないし」
そう言ってから、ちょっと、言葉に詰まる。
「……でも、一緒にいると楽だから。行くだけ」
自分でもよく分からない言い方だな、と思う。
でも、それ以上しっくりくる説明も
見つからなかった。
「さーねー。どうだかー?」
母は特に深掘りせず、フライ返しを置く。
「ま、遅くならないようにね」
「……ほんっと、お母さんってさ……」
有本は少し頬を膨らませて、自分の部屋に戻った。
***
ベッドに腰掛けて、スマホを手に取る。
中村とのトーク画面。
最後のやり取りを、なんとなく見返してしまう。
――ただの友達。
そう、ただのクラスメイト。
からかうと、ちょっと困った顔をするのが面白くて。
話してると、変に気を使わなくていい。
それだけだ。
有本は、軽く息を吐いた。
(そう。中村は、ただの友達)
そう思いながら、
なぜか、日曜日のことを想像してしまう自分に気づく。
モールの通路。
並んで歩く姿。
(……別に、深い意味はないし)
自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返す。
(からかって楽しい、ただのクラスメイト)
そのはずなのに。
スマホの画面を伏せたまま、
有本は、少しだけ胸の奥がくすぐったくなるのを感じていた。
それが何なのかを、
まだ、この時の彼女は知らなかった。
***
ショッピングモールの入口前で、中村は立ち止まっていた。
時計を見る必要はない。
早く着きすぎているのは、自分でも分かっている。
「おお〜、もう着いてるじゃーん。早ーい」
声がした方を振り返ると、有本が手を振っていた。
すかさず、中村は少し説明口調で返す。
「待ち合わせに遅れるのは、やっぱりダメだろうしな」
「いい心掛けじゃん」
有本は、からかうように笑う。
「そういうとこ、ほんと真面目だよね」
――こうして笑ってくれるだけで、嬉しくなるなんて。
中村は自分の単純さに、少し苦笑する。
「茶化すなって。で、ある程度目処はついてるんだよね? プレゼント」
「あの子はねー、あのブランドが好きなんだよねー」
「あの、結構人気あるやつだよね」
「なんで中村が知ってんの?」
「おいおい、さすがにそれくらい分かるって」
「ふーん」
一瞬の間のあと、有本が言う。
「意外と頼りになるじゃん」
「おいおい、馬鹿にしてるだろー何のためについてきたと......」
「まぁまぁー」
有本は肩をすくめて、楽しそうに続ける。
「中村が慌てるの、ちょっと面白いんだもん」
――“気にするな”、か。
そんなの無理だ。
だって、有本が笑うと、全部許せちゃうんだから。
これって、本当に仲がいいだけなんだろうか。
勘違いしてるのは、僕だけなんじゃないか。
それでも――
有本と並んで歩く、この時間だけは、間違いなく「特別」だった。
「ここ右だよー。あの先に……って、
いないじゃん!」
「待って待って!こっちこっち!」
有本の明るい声が聞こえるものの、少し遠い。
声の主を探すと、
有本はもうすでに別の店の前にいた。
中村は思わず駆け寄ると、そこに間髪入れず有本のトーンが高くなった声で。
「ねえねえ、これ見て!中村の感想聞きたいー」
「もうーなぁにしてるんだよー」
「ねえー、良いと思わない? これ」
「えー。、まぁかわいいけど、目的違うじゃん」
「あー、そっかそっか。それもそうだね」
あっさりと素直に引くところが、また腹立たない。
有本はキョロキョロと、
あらゆる看板に目を走らせている様に見える。
「へー、スイーツフェアやってるって」
「はいはい、後でね。まずプレゼント」
中村は冷静だ。
「はーい、わかりましたー」
軽い返事。
でも、ちゃんと隣を歩いている。
「はーい、目的のお店に着いたよ」
「ほんとだ。案内ありがとう」
少し間を置いて、有本が笑う。
「でも、この言い方だと、ほんとにただの案内役みたいだね」
「おいおい、僕は案内係りかよー」
わざとらしく残念そうに言うと。
「なーんちゃって、ね」
(うわっ、そんなことされたら、また許しちゃうだろうが)
中村の心は単純だ。
「あ!これにする」
有本は、迷いなく一つの商品を手に取った。
「これさ、なんかさ、ちゃんと選んだ感あるでしょ」
「女の子向けなの? これ」
「知りませーん」
屈託のない返事。
その横顔を見ながら、中村は思う。
今はただの付き添い。
ただの友達。
……そのはずなのに。
胸の奥が、少しだけ騒がしかった。
***
レジの前で、有本が値札を見て言った。
「六千八百円ね。
高校生なら、このくらいでいいでしょう」
軽い口調だったけど、
中村は一瞬だけ、呼吸を置いた。
「いいよ。僕、払うよ」
「え、中村、払うの?」
有本が目を瞬かせる。
「……いいの?」
「ついでだよ」
中村は自分で言っておきながら、
なんのついでかはわかっていない。
そして有本もそれに乗っかって。
「じゃあ、借りにしとく。
まかせといて、こういうの忘れないから」
素直に言われて、中村の心意気が少しだけ救われる。
「......誰にでも、こうするわけじゃないぞ」
小さく呟いたつもりだった。
「ん? なんか言った?」
「何でもないよ。気にするなよ」
それ以上、踏み込めなかった。
「サンキュー!」
有本は上機嫌であっさり笑う。
「さーて、次はスイーツか!」
「えー、もう甘いもの話かよー!」
「だって、おいしそうじゃん!」
そう言われてしまえば、否定できない。
そして……このままこの流れで、
もう少し一緒にいられると思っていた。
でも。
「あ、LINE。お母さんからだ」
有本はスマホを取り出す。
「うん、そう。買い物終わったよ。
今からそっち行く」
(そっち、行く?)
一瞬、中村は有本へ向き直る。
「……そっち行くって?」
「ごめん、急に呼ばれちゃって」
有本なりに、申し訳なさそうに、でも軽い感じで。
「今日はありがとう。楽しかった」
その一言が、胸に残る。
そして有本は続ける。
「また……タイミング合ったら、ね」
少しだけ間を置いて、振り返りながら去っていく。
「じゃあね」
人混みに紛れていく背中を、
中村は追えなかった。
「……スイーツは、いいのかよ」
小さく、独り言が漏れる。
「はぁ......」
こんな時は溜息しか出てこない。
***
これを、脈ありと見るか。
それとも、無しと見るか。
恋愛慣れしているやつなら、
きっと一瞬で判断できるんだろう。
でも、その時の僕には――
そんな余裕は、なかった。
短い時間だった。
それでも、二人で過ごせたという事実が、
クラスの皆より一歩先に進んだような、
妙な優越感をくれる。
有本の隣にいられた。
それだけで、そこは特等席だった。
……ただし。
そこは、「未来の予約席」というわけでは、
なさそうだった。
あの時、
「行くな」って言えていたら、
何か変わっていたんだろうか。
いや。
それを言う資格が、
本当に僕にあったのかは、
今でも分からない。
モールの喧騒の中で、
中村はしばらく、立ち尽くしていた。
夏は、まだ始まったばかりだったのに、
胸の奥だけが、少し冷えていた。




