「キュンキュンマグネット」
クラスの中で、ある日突然、男女が仲良くなり始める現象がある。
昨日までほとんど話していなかったのに、気づけば並んで笑っている。
周囲から見れば理由なんて分からないし、当人たちだって説明できないことが多い。
席替えがきっかけかもしれない。
体育祭の準備で同じ係になったとか、テスト前にノートを貸したとか。
あるいは、ただ同じ話題で盛り上がっただけ。
中村は、その現象に名前をつけようとしていた。
授業中、頬杖をつきながら黒板をぼんやり眺め、心の中でそっと言葉を転がす。
――キュンキュンマグネット。
略して「キュンマグ」。
誰に聞かせるでもないのに、少し照れくさくて肩をすくめた。
自分でも、安直すぎるとは思う。
でも、高校生の感情なんて、だいたいそんなものだ。
説明できない引力に、勝手に名前をつけて納得しようとする。
あの夏の出来事も、たぶん……それだった。
中村は、授業に集中出来ないでいた。
彼は、クラスの中ではどちらかというと、いじられ役だ。
からかわれて、軽く突っ込まれて、笑いを取って終わる。
自分から目立つタイプじゃないし、輪の中心にいるわけでもない。
でも、それが嫌だったわけじゃない。
そういう立ち位置の方が、楽でもあった。
ただ、クラスに数人しかいない女子のひとり、有本だけは少し違った。
彼女も僕をからかう。
けれど、不思議と不快じゃなかった。
笑いのネタにされているというより、ちゃんと「会話」になっている感じがした。
今思えば――少し、嬉しかったのかもしれない。
高校一年生の夏。
席が近くなって、話す機会が増えた。
授業中、教科書の影に顔を寄せて交わす小声の雑談。
休み時間、机を向け合ってマンガの最新刊について語る時間。
ゲーム、マンガ、アニメ。
趣味が似ていたのは、たぶん偶然だ。
でも、その偶然が、僕らを少しだけ近づけた。
少しだけ、だ。
最近、中村がよく話しかけてくる。
有本は、そんなふうに感じていた。
話題は、マンガやゲーム、テストの愚痴。
本当にどうでもいい雑談ばかりだ。
このクラスは三年間、クラス替えがない。
つまり、同じメンバーで三年間を過ごす。
なら、なるべく多くの人と波風立てずに仲良くしておくのは悪くない。
中村との会話も、特別嫌というわけじゃなかった。
むしろ、気楽だった。
変に距離を詰めてくるわけでもなく、妙な探りも入れてこない。
高校生の世間話なんて、こんなものだろう。
有本は、そう思っていた。
そんなある日、彼女からLINEが届いた。
放課後、スマホが震えた。
画面に表示された名前を見た瞬間、中村の指が一瞬止まる。
「友達の誕生日が来週なんだよね」
短い一文なのに、心臓が少し跳ねた。
クラスでも話している相手から、放課後にLINEが来る。
それだけで、特別なことのように感じてしまう。
内容は、プレゼント選びを手伝ってほしい、というものだった。
少し考えてから、慎重に文字を打つ。
「ショッピングモールを回れば、いいものありそうじゃない?」
送信。
すぐに既読がつき、有本は少し悩むように返事を続けた。
高すぎない、でも可愛いもの。
ちゃんと考えた感じがするやつ。
そして、最後にこう打ち込まれる。
「中村なら、ちゃんと考えてくれそう」
その一文で、胸の奥がきゅっと縮んだ。
同時に、温度が上がる。
考えるより先に、指が動いていた。
「じゃあ、付いて行こうか?」
送ってから、はっとする。
――今の、軽すぎなかったか?
少し間が空いて、返事が来る。
「え、付いてきてくれるの?」
「じゃあ、お願いしよっかな」
週末の約束。
日曜日の午前中。
――これって、デートじゃないか?
中村の口角が少し上がる。
だが、すぐに否定する。
違う、違う。あくまでプレゼント選びだ。
期待するな、と何度も自分に言い聞かせる。
でも、完全には消せなかった。
当日、中村は約束より三十分も早くモールに着いていた。
入口付近で立ち止まり、時計を確認してからスマホを見る。
遅れるよりはマシだ、という言い訳を心の中で繰り返す。
背後から、明るい声がした。
「もう着いてるじゃーん、早ーい」
振り向くと、有本が笑っている。
その笑顔を見た瞬間、来てよかったと思ってしまう自分がいた。
並んで歩くだけで、少し距離が近い。
肩が触れそうになるたび、意識してしまう。
店を回りながら、冗談を言って、からかわれて。
慌てる僕を見て、有本は楽しそうに笑う。
――そんなの、気にするなよ。
頭では分かっている。
でも、無理だった。
彼女が笑うと、全部許せてしまう。
からかわれても、緊張しても、全部。
仲がいいなんて、もしかしたら僕の勘違いかもしれない。
でも、この時間だけは、確かに特別だった。
プレゼントは、彼女が即決した。
箱を手に取り、少し誇らしげに言う。
「ちゃんと選んだ感あるでしょ」
値段を見て、僕は咄嗟に口を開いた。
「いいよ、僕払う」
一瞬、驚いた顔。
それから、小さく笑って、「借りにしとく」と言った。
誰にでもこうするわけじゃない。
そう言いかけて、やめた。
言葉にしたら、何かが壊れそうだった。
有本は待ちに待ったという感じで、先を急ぐ。
「次はスイーツね!」
そう言った直後、彼女のスマホが鳴った。
画面を見て、少し困ったように眉を下げる。
母親からのLINEだった。
急に呼ばれたらしい。
「今日はありがとう。楽しかった」
「また……タイミング合ったら、ね」
そう言って、彼女は手を振った。
残された僕は、モールの通路に立ち尽くす。
スイーツフェアの看板が、やけに眩しかった。
これを脈ありと見るか、なしと見るか。
恋愛経験がある人なら、すぐ判断できるのだろう。
でも、当時の僕には無理だった。
短い時間でも、二人で過ごしたという事実。
クラスの誰よりも一歩先に進んだような、そんな錯覚。
有本の隣は、特等席だった。
けれど、それは「未来の予約席」ではない。
あの時、引き止めればよかったのか。
それとも――そんな資格は、最初からなかったのか。
答えは、まだ出ていない。
中村は、空を見上げて目を細める。
「たぶん、あの夏のキュンマグは、
静かに、僕の胸の中だけで、作用していた。」




