第56話 示された結論
膠着状態に入った2人の行く末がどうなるか、観衆は固唾を吞んで見守っていた。
沸き立っていたざわつきも今は鳴りを潜め、手に汗握って次に打たれる一手を待っている。
……無論、道場に居る全員が試合を観ているわけではない。
己の鍛錬を続ける者や、セツと同じ様に模擬戦をしている者も当然いる。
だが今この場での中心は、間違い無くセツとモリタケの2人だ。
2人の一挙手一投足、その全て。
一瞬たりとも見逃さんと言わんばかりに、期待ある視線が向けられていた。
まさに大一番、といった様相を呈している。
こんな雰囲気に満ちた中だ。まさか水を差す者が居る筈もない。
そんな事をすれば非難は必至。暫くは白い目で見られる日々を過ごすことになるのは想像に難くない。
―――ただし、もしもだ。
もしも、そんな事をして許される者が居るとすれば、それは───
「―――ねえ、この辺でいいんじゃない?」
当事者だけだ。
◇
「……何のつもりだ」
モリタケに怪訝な顔で睨まれる。
だがそれも理解できることだ。
それはあって然るべき疑問であり、観衆の代弁でもあるだろう。自分の言い放った言葉を思えば、試合そのものを放棄しようとしている風に聞こえてしまう。
それに加え、こんな重大な場面にも関わらず、自分は構えを解いて楽にしているのだ。
そんなの逆の立場なら問い詰めたいに決まっている。
でも全く、心配はいらない。
ただ単純にもういいだろう、と己を解放したくなっただけ。
ニヤリ、と口角が上がるのが分かる。
「丁寧なしゃべりも、太刀筋も、ここまでってこと」
「……」
使えるだけの、慣れない敬語はもう止めだ。
高揚しているこの心にとっては、ただまどろっこしいだけ。
一応は、道場に来てからの状況が状況だったため、体裁を考えての敬語だった。今思っても本当に取り繕っただけではあるけども……。
なのだが、ここまで来ればもういいだろう。
折角やるのなら、戦いに余計なものは排除すべきだ。
「ちまちましないで、もう派手にやらない?」
「派手にだと?」
「そ。出せるものは出した方が後腐れないでしょ」
「…………」
というかモリタケだって薄々感じたはずだ。
距離を取らせるために、わざと強く弾き飛ばした事に。
何を企んでるかそのものは分からずとも、企みの意図があったことには気付いたのだろう?
睨み合いの膠着も、意図を探るのが理由の一つにあったのだろう?
こうして分かりやすく隙を晒しているのに、手を出さずに待ったのがその証拠。
今だって話を流さずに受け止めている。
それは目を見れば分かる。
だったら後は、否か応か―――いや。
剣を交え、らしさを直に受けた故によく分かる。
「当然。望むところだ」
予想通り。
こいつが断るわけもない。
「―――師範っ!」
モリタケが声を張ってその一言だけで呼びかけた。
遠目で見ているとは言え、今の会話が聞こえない距離ではない。多くを語らずともそれで意味は伝わる。
あとはどう反応するかだが───
「……まあええじゃろ。だが、互いに大怪我はさせるような真似はだけは許さん。やるなら止めるところは止めろ、いいな?」
聞いていた時から決まっていたのか、ヤジマの返答に迷いは無かった。
本当に最低限と思われる注意のみであり、むしろ好きにやれ、くらいに感じる。
「それから周りも巻き込むな。度が過ぎない、2人の間で収まる範囲なら、自由にやったらええ。───『武技』の使用を許可する。……あとは、お前さんらが満足いくまでやんな」
───だ、そうだ。
聞くに、なんなら問うまでも無かったような気もするが、この言葉で正式に許可が降りた。
元を辿れば、結局のところ勝敗がつけばそれで良かったのだ。
負傷の可能性を出来るだけ排除するため、習得した武技を封印し、磨いた剣技のみで試合を行う。
それだけでも白黒はっきり、明確に決着はするだろう。
しかしだ。
勝つにしろ負けるにしろ、やっぱり心から納得する結論でなければいけない。
制限された中での中途半端な答えなど、本意にはほど遠い。
そうだろうとも。
こんな縛り、最初から不要な枷でしかなかった。
「───よし」
モリタケと向き合う。
改めて、しっかりと見据える。
「仕切り直し……は違うか。うん、やっと始まる」
「ああそうだ。元より結果に文句を言うつもりは無かったが、これで正真正銘の決着だ」
お互い相違は無い。ここに関してだけは意見が一致している。
だからこそ行動は早かった。
空気がまた一段と張り詰めたものへと変わった。
躊躇いなど微塵も存在しない。
2人の魔力が、急速に練り上げられていく。
その場から動くことこそ無いが、渾身の一撃をぶつけ合うことの余念もまた無い。
割くべき意識は眼前の相手にのみ向けられている。
だから、というだけではないが、2人の準備が整うまでに然程の時間は掛からなかった。
「そっちも、もういいようだな」
「ええ。いつでも」
相変わらずモリタケの語気は強い。
だが練られた魔力は真逆であり、見事に澄み切っている。
これを見ただけで練度の高さが窺える。
やはり強者。
……正直、「勝てる」とは断じれないのが本音だ。
だがそうでなくては。
ここからはもう、ちまちまと決着を長引かせる気はない。溜め込んだものを一気に爆発させるかのように、全力の一撃で迎え撃つつもりだ。
握る拳に力が入る。
───これはさぞ、良いものが味わえそうだ。
セツは、この瞬間をただひたすらに愉しんでいた。
◇
それは認識できないくらいの、寸分の狂いも無いようにしか見えないくらいの、ほぼ同時のタイミングだった。
(いざ───!)
地を蹴立ち、2人の身体がその場からブレて消える。
まるで示し合わせたかのような踏み込み。
この場にいる者らで、その瞬間を追えた者はほとんど居ない。
それくらい刹那の出来事だった。
だがしかし、当事者たる2人にとっては真逆。
刹那だなんてとんでもない。
研ぎ澄まされた意識が、感覚だけを加速させる。本来なら不変の流れである筈の時間が緩慢に映り、全てが酷く鈍いもの見えていた。
「《一刀───」
「《水面鏡───」
それはつまり、狙いが僅かにもズレる余地は無く、お互いの全力が真っ向からぶつかり合うということだった。
「───鬼断ち》ッ!!」
「───反転》ッッ!!!」
練り上げられた魔力が、輝きを伴う『武技』となって放たれる。
セツが繰り出すは『《一刀・鬼断ち》』。
クランタ滞在時、樹海での戦いにおいて巨猿の足首を両断した技であり、その破壊力は言うまでもなく抜群のもの。
セツ本人だって自信があるからこそ、この技で迎え撃っている。
負けるつもりなんて微塵も無いが、相手の技がどういったものか分からない以上、油断はしていない。
何が起きようと対処できるようにと身構えてはいた。
その筈だった。
「!!」
技を放つ刀身が、今まさに接触せんとする直前。
セツの目に飛び込んで来たのは───
(───増えてるっ!?)
2人になったモリタケの姿だった。
決して幻などではない。
明確に、そこに存在を感じる。
一瞬、目を疑いそうになったが間違いない。
まるで鏡の中から取り出した様な、左右反転した姿のモリタケが、間違いなくそこに現れている。
違いはそれだけだ。
色も形も質量も、そして重く鋭い剣圧でさえも、全てが同じものがそこに居る。
偽物などいない。
この2人は、どちらも本物のモリタケでしかないのだ。
―――ということはだ。
改めて考えるまでも無いことだが。
それはつまり、受け止めなければならない刃が、今この瞬間に倍になったという事だった。
「──────ぅぐうぅぅぅっっ!!!」
とてつもない衝撃が全身を貫く。
金属同士を激しく擦り合わせたようなガリガリとした轟音が、耳を奥まで支配していく。
魔力が存分に注ぎ込まれた技と技は、観衆へゆうに届く余波となって吹き荒れていた。
「っ!!!」
歯を食いしばって迎え撃つ。
全身に重くのしかかる力を、押し除ける気で抗う。
さっきまでの攻防がお遊びに思えるほどだ。
肉体に掛かってくる負荷がまるで比べられない。
……全く、当然の選択ではあったが身構えていて良かった。
これは油断なんかしようものなら、即座に打ち崩され、呆気なく負けていただろう。
とにかく必死に、負けてなるものかと、持てる全てを注いで相手を打ち砕くために尽くす。
ここまでさらけ出す対人戦は中々ない。
それほどの相手。
でも、それはモリタケだって同じだ。
「あああぁぁっっ───!!!」
「───ぅぐうぅっ!!!」
2人は顔を歪めるくらい我武者羅に、猛然と攻めて拮抗していた。
両者の間でぶつかる視線は喰らいつくようで、相手を捉えて離さない。
瞳に宿る一歩も譲らない固い意志は、技同士のせめぎ合いにも顕著に表れていた。
――――――おおおぉっ!!!
観衆が上げるどよめきは、2人の耳には届かない。
どちらが勝ちを制するか。
予測を立てるのは難しく、どっちもあり得るように見える。
なんならこの拮抗状態は終わるのか?
もしや引き分けするのでは?
そんな可能性までもが観衆の脳裏を過っていた。
しかし、拮抗していたのはそこまでだった。
見ているだけの観衆には分からずとも、刃を交える当人らにはハッキリと感じ取れた。
抗いようのない予兆、その天秤の傾きが───
『崩れる』。
そうぽつんと、心に浮かぶ。
それは別に諦めなどではない。
今も全力なのは変わらない。
ただこの状況を、どこか第三者目線で俯瞰している自分が呟いている。
例えそれが、セツ自身の抱く闘志とはほど遠いとしても、純然たる事実として認識させて来るのだ。
(こいつっ!? 単に分身してるだけじゃなくて……剣術としての武技を発動した上で増えてるわけ!?)
モリタケのやっている事は、いわゆる武技の重ね掛け……剣術と分身する武技の合わせ技だ。
今の自分が2人に増えるようなものかと、そう思えば骨の髄まで軋むこの重さも納得できる。
そして均衡はもうじき崩れる。
これはモリタケにも分かっている共通認識だろう。
それでもモリタケに隙は無く、むしろ切っ先をセツの喉元に突き付けるまでは一切止まらない勢いがあった。
(……ふふっ)
しかしセツはそんな状況下で不思議なことに、愉快に驚いていた。
(なんという―――偶然!)
奮戦する肉体、冷静に俯瞰する理性、そして驚喜する感情。
バラバラでありながら一つの器に同居している。
上手く言い表せない、地に足つかないようなフワフワとした奇妙な感覚になっていた。
誰もこの瀬戸際で、セツがそんな状態とは夢にも思わないだろう。
実際、普通なら感じるであろう焦りや、悔しさなどをセツは感じていない。
今回の勝ち負けにこだわりが無いとはいえ、研鑽を欠かさない一人の武人としては少し可笑しな話だ。
セツの性格も考えれば尚更、負けて何も思わない筈がない。
だというのに、どこか精神的余裕がある。
ならば答えは簡単だ。
セツには、負ける気などさらさら無いからに他ならない。
(方向性は違うけど。まさか、本質が同じ技を持ってるなんてねぇ!!)
元は、怨嗟の末に出来たもの。
チャンスを得た時、仕損じることが無いように。万全を期して、全てを捧げてでも為すために。
怨敵を必ず殺すためにと会得したもの。
(負ける? このままだとそうでしょうね……。でも───)
今となっては、燃費を無視すれば便利な技。
モリタケの様な組み合わせではなく、累積させる派生技。
(《一刀・鬼断ち……)
一振り二刀にして、一刀二振りの、必滅の武技。
「──────重斬り》ッッッ!!!!」
「「なっ!?」」
唐突に膨れ上がったエネルギーの奔流に、2人のモリタケが驚愕する。
更にそれだけではない。
押し込める寸前だったはずの手ごたえは、最初から無かったかのように消え、逆にビクともしない圧倒的な力がそこにある。
「「こ、これはっ―――!?」」
驚愕、困惑……そして背筋に走る少しの恐怖。
感じたのは一瞬だった。
―――浮遊する感覚。
それを僅かにでも認識した時には、もう終わっていた。
膨大な魔力の発生による余波に襲われ、殆どの観衆は思わず顔を背けていた。
決定的な瞬間は見れずとも、何かが弾き飛び、地に倒れた音だけは、確かに耳に届いていた。
まさか、というのが誰しもにあったのだろう。
余波が過ぎた途端、観衆は息つく間もなくバッと目を向ける。
そこに見たのは――――――唖然とした表情で腰を付いたモリタケに、切っ先を突き付けるセツの姿だった。
「―――勝負あり、ね?」




