困惑の物語
未完成の少女を完成させるために。
はやくこの子を。
「えっと、まぁ、ごめん……とりあえず中にどうぞ?」
佐久間虚空はその虚な目のまま僕らを手招く。
前から思ってはいたけど……僕は、本当にこいつに似ているのだろうか。だとしたらかなり気に食わない。僕はこんなやつじゃない。本当に気に食わない。
「おっじゃまします!」
「お邪魔しま……す?」
莉央は楽しそうに先頭を切って研究所へと入る。僕も万音を連れて入ろうとした。でも、服の裾が引っ張られ、研究所の一歩手前で止まることになった。
万音が僕の裾をしっかりと握って動こうとしないのだ。ひどく怯えている。恐怖症の症状は今までも何度も見ているけれど、いつもより怯え方がひどい気がする。
「どうしたの?」
「あの人、やだ」
「や、やだって……怖いの?」
「怖い、けど、なんか……」
万音は僕に小さな声で「あの人とは一緒にいたくない」と言った。
「な、なんで?」
「わかんない、けど……やなの」
「わかんないって……」
莉央が「どうしたのー?」と研究所の中から声をかけてくる。
「ごめん、今行く」
僕が返事をすると、心の中にも話しかけてくる。
『大丈夫? 無理そうなら日にちずらしてもらおうよ』
『うーん……まぁ、厳しそうって言ったら厳しそうだけど……』
『帰ろうよ、たいくつくん、お願い』
どうしたものか。多分検査とかそういうのがあるんだろう。帰るというわけにもいかないんじゃなかろうか。
「あぁ、ごめん……。僕、稲仁さんに特別嫌われてるんだよ」
いつの間にか近くには佐久間虚空がいた。
「へぇ。なんでですか?」
「う〜ん……まぁ、彼女は人間恐怖症だからね。君みたいに怖がられないほうが稀だよ」
「ああ……確かに……」
ごもっともだ。
僕が怖がられないこと、僕の周りの人間なら少しずつ慣れてきていること。それは奇跡に近いことで前例も無いことだ。
喪失少年病にかかった人間は、ある対象に異常なまでの恐怖を抱き、それを克服できたことは今までに無いという話だ。きっと万音はそんな病気が流行っているこの世の中の「希望」だろうな……。
「……で、大丈夫そうかな?」
「え、あぁ……。どうですかね……万音、どう?」
万音はさっきよりも強く僕の服の裾を握りしめて、ぶんぶんと首を横に振っている。
そして、莉央の「以心伝心」にのせて、より強い声で「やだ!」と主張してくる。
「あ〜……だめそう……ですね」
「そっかぁ……どうしようかなぁ……」
「そーんなときは〜! 僕に任せて!」
困った僕と佐久間の間に莉央が割り込んでくる。自信満々、僕に任せろという顔だ。もっとも、莉央はいつもそんな顔なのだけれど。
それでも、莉央が頼りになることは多い。こんなに自信満々に割り込んできたんだ。さぞかし、いい案があるんだろう。
「こういうときはねぇ〜てっしゅー!」
そう言うと、莉央は僕の手と万音の手を掴んだ。
そして、全速力で走り始めた。突然のことだから、思わず引き摺られかけたが、なんとか持ち直す。
「じゃ! 佐久間せんせー、まったねー!」
莉央が僕の手を掴んだまま佐久間へと手を振る。
それにつられて、僕も佐久間の方へと振り返った。ついでに申し訳ない気持ちを伝えようとも思った。
でも、そんな気持ちはすぐに忘れてしまった。
佐久間虚空の目が、冷たい視線を万音に放っていたのだ。
万音だけじゃない。莉央にも、僕にもそれは同様だった。その中でも飛び抜けて万音に冷たい視線を放っていたのだ。
それに気づいた瞬間、僕は声を出すこともできずに、ひたすら走った。先に走っていたはずの莉央を追い越して。吸おうとした息は上手く肺に入らなかった。
初めて、心から人に恐怖を感じた瞬間だった。
お久しぶりです。胡桃野子りすです。
2年ぶりの更新になってしまいました。
この小説を書き始めたのは2017年。当時は中学2年生でしたが、今ではもう高校2年生です。
これからは1ヶ月に最低でも一話は更新できるように精進していきたいと思っています。
ゆっくりとしたペースにはなりますが、お付き合いいただければと思います。
それでは、また。