EP 8
禁断の血中マッサージと、覇王の快楽(健康)
「錬成開始。……ターゲット、血中ヘモグロビン(鉄分)!!」
俺が両手をマルクス皇帝の胸板に押し当てた瞬間、青白い魔力の光が薄暗い裏通路を照らし出した。
「やめろォッ!!」
キュロス団長が大剣を抜き、俺を斬り捨てようと踏み込んでくる。
だが。
「……待て、キュロス!! 剣を収めろ!!」
今まで誰よりも俺を警戒していた内務官オルウェルが、キュロスの前に立ち塞がり、その剣を素手で止めたのだ。
「何を血迷ったオルウェル! 得体の知れないガキが、陛下に危害を――」
「違う! 私の『耳』を聞きなさい!!」
オルウェルは狼の耳を限界までそばだて、驚愕に見開かれた瞳で俺の手元……いや、マルクス皇帝の『体内』を凝視していた。
「……あり得ない。陛下の心臓に詰まっていた巨大な血栓が……『内側から』削り取られていく音がする! 泥のように濁っていた血流が、清らかな激流へと変わっていく!! こ、この少年は一体、何をしているんだ……!?」
(……ふん、オオカミ男の耳にはそう聞こえてるか)
俺は冷や汗を流しながらも、極限の集中力で【アイアン】のスキルを制御していた。
人間の血液。その赤血球の中には『ヘモグロビン』と呼ばれるタンパク質が存在し、その中心には『鉄(ヘム鉄)』が含まれている。
俺のスキルは、その微細な『血中の鉄分』を直接コントロールすることができるのだ。
(いくぞ。血液のドリルで、詰まった血栓を物理的に粉砕する!)
俺は皇帝の血管内で血中の鉄分を高速回転させ、心臓を塞いでいた巨大な塊をミクロン単位で削り落とした。
さらに、ただ治すだけでは終わらない。
(ついでだ。このオッサン、国家の重圧のせいで全身の筋肉がガチガチに凝り固まってる。血中の鉄分を操作して、全身の血管を拡張……老廃物と乳酸を一気に押し流す『究極の血中マッサージ』をかけてやる!!)
俺は魔力を全身の毛細血管に行き渡らせ、内側から筋肉を揉みほぐすように血液を循環させた。
数秒後。
どす黒い紫色だったマルクス皇帝の顔色は、みるみるうちに健康的な赤みを取り戻し、呼吸が「ヒュー、ヒュー」という苦しそうな音から、力強く規則正しいものへと変わっていった。
「……よし。これで完了だ」
俺が両手を離し、額の汗を拭った、その時だった。
「……あ。……あぁ……っ」
マルクス皇帝のまぶたが、ゆっくりと開いた。
「へ、陛下!! ご無事ですか!?」
キュロスが涙ぐみながら駆け寄る。
だが、起き上がった皇帝の様子が、明らかにおかしかった。
「……おおぉ……? な、なんだこれはぁ……っ?」
皇帝は自分の両手を見つめ、恍惚とした表情で立ち上がった。
「息が……息が、肺の底までスゥーッと入ってくるぞ!? それに、なんだこの体の軽さは! まるで羽が生えたようだ!!」
バキボキボキィッ!!
皇帝が軽く腕を回しただけで、全身の関節から信じられないほど快調な音が鳴り響いた。
「おおおおぉぉぉっ!! 気持ちいいぃぃぃっ!! 30年間、私を苦しませ続けてきた肩こりと偏頭痛が……国家の重圧による慢性の疲労が、完全に消え去っている!! 体が……20歳の頃の活力を取り戻しているぞォォォッ!!」
帝国全土を震え上がらせる覇王マルクスが、顔をだらしなく緩ませ、アヘ顔一歩手前の至福の表情でその場をピョンピョンと飛び跳ね始めたのだ。
「へ、陛下……?」
「嘘だろ……あの威厳の塊だったマルクス陛下が、スキップをしている……」
キュロスとオルウェルは、あまりの光景にポカンと口を開け、完全に思考停止に陥っていた。
「……ぷはっ。あんた、いいオッサンが何はしゃいでんだよ」
俺は魔法ポーチから新しい果汁水を取り出し、ストローを咥えながら笑った。
「血管の中がサビだらけだったからな。俺の『鉄』の力で、配管掃除をしてやっただけだ。……水分しっかり摂って、ちゃんと寝ろよ」
その俺の言葉に。
ピタッ、と。皇帝、キュロス、そしてオルウェルの動きが止まった。
彼らは、最高権力者(皇帝)の命を救われた喜びと同時に……ある『恐るべき事実』に気づいたのだ。
(……この少年は、陛下の血流を『自由自在に操作できる』ということか……!?)
オルウェルは、冷や汗で背中をびっしょりと濡らしていた。
治癒魔法ではない。物理的な血液の操作。
それはつまり、彼がその気になれば、いつでも遠隔から皇帝の血流を止め、証拠すら残さずに『暗殺』できるということを意味している。
あの圧倒的な破壊力を持つ『最上の槍』を創り出す神の鍛冶師であり。
皇帝の命(健康)すらも完全に掌握する、不可視の暗殺者。
「…………君は」
オルウェルが、震える声で俺を見た。
先ほどまでの、上から目線で俺を尋問していた冷徹なプロファイラーの面影は、そこにはもう無かった。
「君は……一体、何者なんだ……?」
薄暗い裏通路。
帝国の頂点に君臨する三人の怪物が、ただの『裏方』の少年の前に、絶対的な畏怖を抱いて立ち尽くしていた。




