第十話 「土砂降りの空」 chapter 4
山田組の歴史の中で特に転換点となった事件は今から三十年も前に遡る。当時はこの町も政府統治下にあり、今程表立ってやくざ者が跋扈する社会ではなかった。それでも山田組は社会の闇深くに溶け込んで、町は何事もなく成り立っていた。
特別なイベントがある訳でもない普通の一日、昼下がりのショッピングモールには多くの買い物客がなんて事はない幸福をそれぞれが静かに楽しんでいた。彼らはその日、その場所で何が起こるのかさえも知らず其処にいたのだ。
政府高官の一人の男が企てた忌まわしい計画によって、ショッピングモールへの爆破テロが実行される。その男が一体何を目指してそのような事を敢行するのか、当時の山田組の面々は何も聞かされていなかった。より正確に言うならば、男の目的よりも破格の報酬だけで他はどうでもよかったのである。
多くの死傷者を出した爆破テロを機に、山田組は闇討ちに遭う。やくざ者として生きている以上、命を自らの天秤に掛けて生きるしか選択肢はない。その当時組織内で問題になったのは、僅か一週間の内に百人以上が惨たらしく殺された事にあった。
被害者数が増えていくばかりで、襲撃者の正体すらまともに掴めなかった山田組は時間と共に対応が後手後手になる。百の大台に迫る頃になって漸く、襲撃を受けて命辛々死に損なった構成員の証言が山田組に伝わる。
爆破テロを契機に世界的な大罪人が誕生したのだ。山田組を襲撃して多くの構成員を屠り、それだけで飽き足らず政府の本拠地にまで乗り込んで大暴れした男は世界を史上最大の恐怖へと陥れる。
先代の山田組組長は、苦渋の決断を迫られる。天厄と恐れられる男に休戦協定を申し込んだ逃げ腰を、多くの山田組構成員は非難していた。その事が決定打となって組長の座を追われる定めを辿る事になるが、しかしその行動は決して間違いとは言えなかった。
血で血を洗う壮絶な戦いが休戦協定を境に未然に防がれたのだ。見栄や矜持で生きるのがやくざ者と言えど、引き際は重要である。
若頭として成り上がり、組長という存在を具体的に認識出来る立場になった近藤は先代組長の英断を頭から否定し切れない気持ちになる。表立って発言しないだけで、実の所は先代組長を後押しする勢力は少なからずいたのかもしれない。
何よりその事が切欠で今の山田組がある。それを差し引いても、先代の偉業は捨てて置けない。組長への野望は勿論あるが、積み上げてきた功績には真摯に向き合う人間でありたいと強く思っていた。
黒猫と呼ばれるたった一人の少年。天厄と同じく猫を冠するその名前に、男は遅ればせながらの覚悟を決めた。命を賭して命を刈り取る。殺意と憎悪を焚べて、思いは高く高く燃え上がる。
「近藤、俺の事務所から出せる戦力を全て向かわせる。確定じゃないが、襲撃された事務所は近距離を最短で繋いで推移している。予想通りなら次の事務所はーー」
惨状を前に茫然自失で立っていた男は、携帯端末のホログラムを起動してマップを立ち上げる。電話の相手が送信した位置情報がマップにピンを落として、次に何をするべきかを指し示していた。
「ーーあぁ助かる、俺達で何としても殺すぞ。俺は命を賭ける、最後まで付き合って貰うぜ」
近藤は冷たく笑い、荒らされた事務所を後にする。舎弟の命を取られた以上、相手の死を持って贖う他に道はない。他人事のような心持ちでいられ?時間はもう終わったのだ。
昼下がりの街中を黒猫は歩いた。路地の入り組んだ先に事務所を構える事が多い所為で彼は徒歩移動を余儀なくされており、春先の気候も手伝い額には汗が滲んだ。
行き当たりばったりな行動ではあってもどの道潰す以外に選択肢はない。山田組との浅からぬ因縁の終着は相手を物理的に黙らせるやり方が最も手っ取り早い。
「黒猫様、その先の角に次の目的地があります。これまでと違い複数のセキュリティーで保護されています。クラッキングに少々の猶予を下さい」
路地裏を抜けた先に見えた山田組事務所を前に、黒猫は人工知能の言葉を無視してずんずんと進む。似た状況に飽き飽きしていた彼は、最早正攻法すらも煩わしく感じていた。
「エル、セキュリティーどうたらはええ。見ろや、ガラス張りの箱やないか。クラッキングするまでもあらへん」
黒猫は懐からコルト・シングルを取り出して撃鉄を起こす。やくざ者の事務所にしてはスタイリッシュ過ぎるガラス張りのエントランスに目掛けて弾丸を撃ち放つ。
発砲音と共に派手に割れるガラスの音が路地裏を轟き、人一人が充分に通れるスペースを蹴りで確保すると堂々と山田組事務所にかち込む。
「ーーてめぇ! 此処が何処だか分かってやってんのか?」
壮絶な物音に顔半分を刺青で侵食させた男が飛び出してきた。意気揚々と不届き者への攻撃に勇んだ男は黒猫の顔を見て固まる。
「何や、お前一人か? おい、皆で遊ぼや。探偵でもするか?」
黒猫は肩に背負ったバッグから虎徹を抜き放ち、左手に持ち替えたコルト・シングルで男に狙いを定める。事務所内を見渡して、黒猫は冗談混じりに遊びへと誘った。
ふとしたタイミングに公園で遊び回っていた名も知らない子供達の遊び。探偵役と泥棒役に分かれて戦うそんな児戯を、黒猫は十六歳を目前にして初体験しようとしていた。
炙り出すように手当たり次第に弾丸を撃ち込んで、事務所内の山田組構成員を呼び寄せた。
「……ふざけてんじゃねぇぞ! 誰がガキの遊びに付き合ってやるか! 今すぐにでも殺してやるよ」
刺青の男が腹に巻いた晒しから短いドスを抜き放って先陣を切る。怒号が鳴り響く室内で、遭遇戦が始まった。
「ーー探偵と泥棒ってあの変な歌みたいなんで決めるんやったか? その辺あんま覚えてへんから、勝手に決めるで。お前らは探偵で、俺が泥棒や」
黒猫は場の空気には微塵も興味を示さず、話を進める。提案したもののその時の記憶は随分と輪郭がはっきりしない朧げな物であった。
呪文のような意味不明な文言と円陣を組んで何やら歌っていた事だけが確かで、後は何も覚えてはいなかった。それでもそんな一方的な要求を貫くのは、この戦いが彼にとってはほんの余興でしかないからである。
何の策略があって短いドスを振り上げたのか。見え透いた斬撃の軌道を虎徹で往なすように弾いて、刺青の男の首を斬り飛ばす。血飛沫を巻き上げながらガラス片で埋め尽くされた床に男は倒れ込んだ。
「確か、お互いを捕まえる遊びなんやろ? 邪魔臭いし特別ルールや、殺し合って最後まで立ってた奴が勝ち。それでええやろ」
公園で無邪気に走り回る子供のように、黒猫は一方的に話を続けた。下らないと初めから分かっていても、何事も実際にやってみないと本質は見抜けない。山田組の駆逐と言う苦行を楽しむ為の些細な息抜きが幕を開ける。




