第八話 「居場所を求める者達」 chapter 7
何度も頭の中でシミュレーションを重ねた、完璧で予定調和の筈の計画が狂い始める。モップで殴られた上に気絶までさせられた例の少年に大人としての見せしめをしつつ、その他大勢の子供達から引き離す。それ以外に興味はなく最初から本命は只一人だけ、あの日あの時の感情の揺らぎは未だ収まらず寧ろ強くなる一方である。
最初の大事なステップからして、早くも想定外な事態に陥っていた。
「……誰やて、お前が言うてた通りの奴を、捕まえただけの話やろ? このビルに住み着いてたかは知らんけど、こいつがこの空き部屋におった。それだけの事やがな」
暗がりの中、不機嫌そうな黒猫の言葉が耳朶を打つ。違う、あの時の少年の顔は頭から離れない。何度か彼らの行動を監視しようと仕事もせずこの雑居ビルを見張っていた時も、憎っくきその顔はしっかりと確認した筈である。
「ゴミ掃除、と言うよりは人探しの依頼で、探し人の画像データが提出されませんでした。その為少し時間は頂きましたが、クライアント様の要望通りの男を捕まえました。何か、ご不満でもありますか?」
白猫は険悪感を垂れ流しにする黒猫の前へ半身を入れて制した後、男に向き直って自らの正当性をアピールする。これではまるで、男が悪いと暗に説明しているように思えた。
「ーーそんな事は聞いてないぞ、俺が見たのはこんな奴じゃ、絶対に違う筈だ。それにもっと、余る程たくさん居た筈だ。たった一人な訳がない! これじゃ計画が……絶対にこんな結果は認めないぞ!」
思考が、言葉が上手く纏まらない。何が起こっているのか、まるで理解が追い付かない。完璧な作戦の邪魔をしたのは誰なのか、男は停止した思考を回転させて責任の所在を追求する。間違ってはいない、間違ったとすればそれは自身ではあり得ない。
「ごちゃごちゃ五月蝿いおっさんやな。もう依頼どうこう抜きにして、今此処で死んでいくか? 端金の為に、お前みたいな奴の我儘聞いたるのもアホらしくなってきたわ」
黒猫は訳の分からない事を宣う男に溜め息を溢して、鎖で繋いでいる吉澤へ八つ当たりに蹴りを入れる。じゃらじゃらと耳障りな音が薄汚れた室内に響いた。殺意に満ちた声音と視線が男を突き刺す。
「ーー依頼人に手を出すつもりか? 全くこれだから若者は駄目なんだ。どんな教育を受ければこんな、ゴミみたいな奴が社会で仕事をしていられるんだ」
歩み寄る黒猫に合わせて、一歩ずつ後ろに下がって男は情けない怒声を上げる。声の勢いと裏腹な彼の行動はとても見ていられる物ではなかった。
「なぁ、おっさん。この世界で生きる為に、必要な物が何か知ってるか? 殺される前に殺す、それを出来る力や」
黒猫は逃げ場を失って壁に貼り付けになるような男の、その脂汗に塗れた額にコルト・シングルを突き付ける。裏社会を知らない男にも分かるように、ゆったりと撃鉄を起こして銃口の冷たい感触を味わわせる。
「馬鹿やってないで、徒労はごめんよ。貰うべき報酬は貰います。話はそれからです。あんた、何か知ってるんじゃないの?」
白猫は錯綜する現場を鎮めるように手を叩いて、暴走する黒猫と混乱するクライアントに待ったを掛ける。その後になって、腰を強く打って痛みに顔を顰める吉澤へ話を振った。
「……そのおっさんが言ってるのは多分、俺より前の住人だろ? 弱っちい奴らだったから、俺がこの場所を乗っ取った。簡単な話だろ? 弱肉強食って奴さ」
吉澤は二人との打ち合わせ通りに、事の顛末を語り始める。取り乱す男の反応を見るに、悪知恵は見事に彼を術中に嵌めてしまったようである。
つい最近まで同じ制服を着て同級生としての仮面を被っていた筈の二人は、裏社会を生き抜く生粋のやくざ者で生温い環境で根腐れを起こした自身では到底敵わない強者だった。
知り合って間もない孤児達との触れ合いは濁り切った自身の精神を徐々に浄化するようで、救いの手を差し伸べていながらも救われていた。そんな彼らの窮地に、吉澤は立ち上がる。
言われるがままの登場人物を演じ切る。そうする事で彼らが救われるのであれば、どんな痛みも蔑みも甘んじて受け入れる腹積りは出来ていた。
「確かにガキが何人もいたが、俺が追い出してやった。目障りだったからな。今頃野垂れ死んでるだろうよ、知った事じゃない。奪われる前に奪うしかないんだ。おっさんが何に拘ってんのか、俺には見当も付かない」
自身を嘲るような言葉は自然と舌を滑る。言い聞かせるような思いの数々は演技を超えて、深く心に貫かれた本物の言葉であった。
「おっさん、あいつらに会いたかったのか? 残念だったな、けど謝るつもりはない。俺は俺の為だけに生きていくんだ。何を責められたって知った事じゃない」
真っ直ぐに見つめられて、挙動不審な男の目は更に泳いだ。黒猫に追い込まれた男は目の前の脅威から目を逸らす事しか出来ない。
「おい、答え分かって嬉しいやろ? どやねん? お前が知りたかった事を教えてくれたんや。まだ何か不満でもあんのか? その賢い頭で、アホにも分かるように説明してくれや」
後退している生え際をぺしぺしとリズミカルに叩いて、黒猫は男の言い訳も反論も全てを否定する。力でも言葉でも負けが目に見えていた。
「報酬は払う、見せしめは……もうどうでもいい。そいつをさっさと連れていってくれ、処分は任せる。もうあんたらと関わり合う事はない」
全てが覆された気分で、男は淡い期待の残滓すらも手放した。望みは何一つ叶わず、泥沼に沈むままに諦観が重く延し掛かった。大金を溝に捨てて、やる気も出ない流れ作業のような仕事を終えた。
生殺しのようなむず痒さが最後の最後まで男に纏わり付いて離れなかった。あの時自身に力があれば、どうしようもない後悔が刻々と心を打ちのめす。忘れようとして、忘れられる物ではない。
重い足取りでナイトクラブ跡から外廊下に出ると、凍える風に体を小さく固めて雑居ビルを出る。翳りを見せ始めた夕焼けは赤黒く、人気のない通りは寂寥感を漂わせて男の心を映しているようだった。
最初から何も手に入れていないにも関わらず、男は何より大事な物を失ったかのような喪失感に苛まれる。他の事が全てどうでもよく感じられる程に、何もかもが鬱陶しく見せ付けられている。




