第七話 「凍雲に眠る」 chapter 3
深淵なる愛の集団の興りは世界が幾度か続けた戦争の最後、地球それ自体の寿命を食い潰した直後の人間社会全体に蔓延した混乱から遡る。それまで当たり前のように享受してきた生活の基盤が揺らぎ、環境の変化が致命的になるとやおら人間は野蛮に進化していく。
そんな荒廃した世の中に争いではなく協調を謳う当主・アモルは、愛が全てを救うと説いて暴力が支配する弱肉強食の世界に巨大な共同体を築き上げた。
最初は小さく何の影響力も持たない只の集団である。大家族とさえ呼べない程の規模が、その教えと行動により徐々に信徒を増やしていった。弱者も団結し徒党を組めば、奪うばかりの強者すら愛で捩じ伏せる事が出来てしまったのだ。
加速度的に勢力は大きくなり国家の中枢にまで届く程に成長すると、今は亡き当主・アモルの教えを引き継いだ愛の信徒達が代々教えを広める。
黒猫達が生きる現代では不成者蔓延る町で今尚も、日々慈善活動から布教活動までを精力的に行い暮らしているのである。
初雪に騒めいていたあの日。心ない人間によって、愛の信徒が命を散らした事実は彼らの拠点である支部教会の人間達の話題を掻っ攫う。意識を失うその瞬間まで神に祈りを捧げていた同胞に対して、祈りは夜通し催された。
彼らの教義にとって復讐は御法度、愛を説く側が愛を忘れては忽ち宗教自体が廃れてしまう。死をある意味受け入れたその考え方は、暴力が物を言う時代に順応出来ていなかった。
枯れる程の涙が支部教会の中を埋め尽くして、愛の信徒達は掛け替えのない存在の命を惜しんだ。彼の生き様とそれが齎した幸福は枚挙に暇がない。
「当主・アモル! 親愛なる彼の健やかな日々を。我々が又再び貴方の元に辿り着くその日まで」
白を基調としたローブに施された金の装飾は、死者を祀る現代の当主代行にのみ着装を許された聖骸布である。
当主に捧げる祈りと共に、滂沱の涙を溢して死者を嘆き悲しんだ。後に続く愛の使徒達は、思い思いの感謝と激励をもってそれぞれに平伏す。
明けて翌朝。暖房を掛けて眠りに就いた黒猫は底冷えする朝に、震えながら目を覚ます。捲れてしまった分厚い毛布を頭まで被り、体を擦り合わせて止まらない動悸を治める。
「黒猫様、おはようございます。只今の室温は十六度、暖房の稼働をお勧めします。本日の天気は曇、所々で雪が降る可能性が高いです。どうか一日暖かくしてお過ごしください」
人工知能のエルが冬場限定の設定で朝を知らせる。ネットワークを介して必要な情報を適切に抽出して、使用者にとって最適な提案を実行する現代の常識である。
「……おい、暖房付けて寝た筈や。何で消えてんねん?」
黒猫は不機嫌にエルのホログラムも見ずに、布団の中から怒りをぶつける。自宅の電化製品の全てはエルによる遠隔操作が可能で、物理的なスイッチの類は室内に一切なかった。
「黒猫様は昨夜、酔っ払った様子で寝苦しいと仰りエアコンの電源を切るよう命じました。履歴が残っています。ログを確認されますか?」
冤罪を晴らしたエルは黒猫に更に追い打ちを掛ける。当の本人の記憶にない操作も、投射されたホログラムにはしっかりと記録が残されていた。顔だけを毛布から出してすぐ、彼は再び視界を遮って暖を取る。
「融通効かん奴やな。お前が寒いって思うぐらいやをねんから、気ぃ遣って付けたらええやないか」
機械である人工知能に対して人間臭く大人気ない責任転嫁を放って、黒猫は漸く上体を起こした。予熱されて幾分か活力を取り戻した彼も、完全に毛布から脱するにはまだまだ遠い。
「承知しました、黒猫様の仰せのままに致します。臨機応変な対応にフィードバックを更新します」
営業スマイルを浮かべた人工知能が深々と腰を折って主人の命令へ従順に応える。血の通わないホログラムの頭脳は常日頃からフル回転している。
白々しいその姿に黒猫は深い溜め息を溢す。当て付けな態度には意思を持たない空虚な精神を超えた嫌味を感じる。リビングに出る為の一大決心を固めて、煙草を求めて這いずるように彼はベッドを出た。
足先から冷えが迫り上がり自然と忍び足で寝室を出ると、益々感じる寒さに思考と体が停止する。何とか息を整えて居間へと踏み出した。
徐々に快適な温もりを整えていく室内で、やっとの事で黒猫はソファーに寛ぎ煙草の煙を大きく吐き出した。
「本日の予定はありません。体調に気を付けて、良い一日を」
エルは萎らしい所作で黒猫に挨拶するとホログラムが霧散する。目もくれず見送る主人に、それでも彼女は最後まで笑顔を絶やさなかった。
同胞を殺した真犯人が優雅に寛ぐその頃。深淵なる愛の集団の信徒達は支部教会で、今後の方針を固める会議を執り行っていた。
愛故に復讐も叶わず、とは言え弔う気持ちに歯止めは効かなくなる。教義が汚されては組織としての根幹に重大な欠陥を及ぼす。堂々巡りの議論は白熱していく。
「当主代行、このままでは信徒達が暴走しかねない。儀式を、儀式が必要です。不調法者に愛の制裁を与えて、皆を納得させる他ないと思われます!」
円卓を囲む信徒達の中から一人の男が意見を申し立てる。愛を謳う集団であっても、その信心にはある程度の差が生まれてしまう事は致し方ない。
「争いが生むのは争いだけです。悼む気持ちは私も、延いては当主・アモル様も同じ、まずは語り合う事から始めましょう。私達は怒りに飲まれてはいけないのです」
当主代行の静止に円卓の議場は騒めき立つ。決裁権はこの場の全員にあり、敢えて言うならば当主・アモルの他に特別な存在は誰一人としていない。
過激な意見こそ出たものの、最終的には同調圧力の名の下で生温い方策で押し固められた。集団の数が増えていくにつれ、軋轢は必ず存在するのかもしれない。
深々と降り注ぐ雪が町を覆って、家々は灰被りに装飾されていく。厳しい寒さはまだ始まったばかりである。季節に似合わない灼熱の結末が訪れる事さえ知らず、愛の信徒達は涙を拭って行動に移す。




