第六話 「翼を捥がれた鳥」 chapter 7
「……えげつない話やな。堅気の人間とは思われへんぐらい腐ってるやん」
独白するような長野のこれまでの話を聞いて、黒川は屋上から見上げる空を汚すように煙草の煙を吐き出す。
「美……石川、頼む。お前にまで死なれたら、俺はもう生きていけない。二度とこんな事考えるな! 今度こそ、ちゃんと守らせてくれ」
俯いたまま泣きじゃくる石川の背中を摩り、同じように泣き腫らした長野の優しい言葉が告げられる。
「ごめん、でも、私が、もっと、強かったら……」
どうにもならない事が立て続けに襲い掛かり、石川は幼馴染と同じように死のうとしたのだ。結果未遂に終わったものの、長野の気持ちを聞かされて止め処なく涙が溢れた。
優しさだけで守れる物はない。そんな事は分かり切っていても、長野にとって今出来る事は何より石川を守る為に強くなるしかない。
「何にせよや、飛び降りるより、泣くより先にやる事あるんちゃうか?」
黒川はマンションの手前にある自動販売機で買ったホット缶のコーヒーを煽り、既に冷め切ったそれを飲み干す。胸糞の悪い話を聞いて、心は比例するように冷え込んでいく。
「しかし、黒川君。僕が言えた義理じゃないけど、暴力で解決出来る次元はもうとっくに超えてるんだ。仮にやり返したとしても、福井が生き返る訳じゃない。もう戦う事に疲れたんだ。石川だってそれは同じ筈だと思う」
長野は涙を拭い取り、諦めたように黒川を見る。その瞳が映し出す感情を黒川は理解出来ない。何を恐れる事があるのか、それは何処まで行こうとも分かり合えないのかもしれない。
「……ほんまやで、何も聞かんと俺を殴ったお前が言うなや。この貸しはキッチリ返してもらうからな、忘れんなよ?」
黒川は大したダメージもない頬に手を当てて、見せつけるように長野の前に屈み込む。焼きそばパン一週間分では少し物足りなく感じ始めた彼は、他に何かないかと吟味していた。
「それは……本当に申し訳ない。いっそ思う存分殴ってくれて構わない! 焼きそばパンは僕が、必ず買ってくるから」
痛い所を突かれて長野は再び頭を下げる。お人好しと言うか意気地なしと言うか、黒川とは隔絶した人間性の持ち主のようである。憎むに憎めないその生き様はある意味強いと言えた。
「まぁええわ。お前、今から俺の舎弟や。五月蝿いクソ校長の頼みもあるし、俺もそろそろ仕事せなあかんしな。馬車馬並みにとことん働かせたるわ」
黒川は吸い終えた煙草を遥か屋上の空へ弾き飛ばして、一ヶ月振りに仕事へと赴く。未だ泣いたままの石川と見守る長野を置いて、久々に学校へ登校する事に決めた。
「ーーねぇ、仕事放ったらかして何やってんの? そんなんだから、あんたには私っていう教育係が必要なの。自分のレベルの低さを思い知りなさい」
懐かしさすら感じる校舎を闊歩して記憶も曖昧な教室の引き戸を開けた瞬間、目の前には白猫がいた。騒めく教室内で黒川にだけ届いた彼女の声はまるで勝ち誇っているようだった。
「あ? 何してんねん、白ねーー」
「ーー白井です。初めまして、黒川君」
思わず白猫と呼ぼうとした黒川を遮って、彼女は強引に初対面を装う。セーラー服に身を包み、他所行きの表情を貼り付けた顔は黒川には見慣れなかった。
白猫もとい白井は、黒川と違い中学生の中に自然と溶け込んでいる。自殺未遂の女と舎弟の男、後は初日に打ちのめした奴ら以外に面識のない彼にはとても考えられない順応性である。
微塵も違和感のないその姿は、彼女をより年相応の少女そのものにしている。唯一その正体がやくざ者と知っている黒川は妙に居心地が悪かった。
「何でお前までこんな所におるんや?」
黒川は白井が一人になったのを見計らって、腹に据え兼ねる疑問を片づける為に動く。
「ボスから聞いてない? 私達はほとぼりが冷めるまでこの学校に潜入する事になった。何か山田組と公安に動きがあったらしいけど、あんたは特に放ったらかすと何するか分かったもんじゃないから」
周りに悟られないように貼り付けた笑顔を崩さず、白井は後半にアクセントを強めて黒川に言い放つ。全く聞かされていない彼には、最早何が何やら分からない。
「……聞いてへんぞ、そんな話」
忌々しげに呟く黒川を手で払い、白井は校舎の人波に合流していく。
漸く仕事に取り掛かった彼は、早速その気持ちを削がれていく。少し前まで散々な目にあった彼女は休暇を経て元通りに戻ったようだ。
「どっちでもいい。それより、スーパーヒーローになれって話、あんたはどう考えてる? どうせまた好き放題暴れるつもりなんだろうけど、校長の意向は最低限守りなさい」
廊下の角から去り際になって人差し指を突き付けると、勝ち気に白井は釘を刺す。サボタージュを決め込んでいた彼に反論の余地を許さず、彼女はすたすたと校舎の人波に消えていった。
廊下に立ち尽くして、黒川は今後の方策を考える。白井さえいなければ、この仕事はどう転んでも彼の独壇場となっていた。
偽りの平和を装って汚い部分に蓋をしただけの生温い環境に、自身という暴力装置を放り込んで善悪諸共に破壊する。そんな算段で動き始めたその矢先に、邪魔な存在がいつの間にやら現れてしまった。
儘ならない仕事の行方に深い溜め息が溢れる。一体どうすればスーパーヒーローになる事が出来るのか、振り出しに戻されたような状態で苛々は加速していく。
元よりなれる筈もないそれを目指す気概は彼には残されていなかった。
「黒川! やっと学校に来やがったな! 俺の親父はな、山田組の若頭やってんだぞ。お前は知らないだろうが、社会の裏側には想像も付かないような悪人がいっーー」
人波が途絶えた廊下を数秒遅れで立ち塞いだのは初めて登校したあの日に見たリーダー格の男だった。初めて会った時よりも大勢の手下を引き連れて、大将気取りの彼は黒川を見つけるなり宣戦布告を上げる。
プランも何もないが、相手から喧嘩を売られてしまってはどうにも致し方ない。黒川は白井の諫言を無視して、感情の赴くままにリーダー格の男へ素早く駆け寄っていく。
胸糞の悪さをガソリン代わりに、そして山田組というキーワードは黒川にとって何の抑止力にもならない。充分に加速してスピードを上げた彼は、数の利を理由に油断し切っているリーダー格の男へ豪快な飛び蹴りを放った。
引き連れた手下を下敷きにドミノ倒しが起きて、何事かと様子を見ていたギャラリーから金切り声のような悲鳴が起きる。
「ーーお前、山田組の関係者か。通りでムカつく顔してる訳や。せやけど、こっちの方が話早くて助かるわ」
黒川は宣戦布告に対していの一番に先制攻撃で応えた。やはり彼にはスーパーヒーローは向かない。




