第五話 「囚われのマリオネット」 chapter 3
白猫の母親は、愛に囚われたマリオネットなのかもしれない。肉欲の愛のみしか信じられず、それを娘にまで強要する程の歪みを持って彼女は徹底的に白猫と全てを違える。
彼女との決別を経て、尚も母親の歪みは酷く極まっていく。出産からの成長記録、そして時には客と娘の絡みや果てには母親も同伴するやり方で、マニアックな人気を博して更に母親を増長させる。
相手の客は腐る程に溢れて、金銭で取引される自身と娘の体は骨の髄からとことんまで汚されていった。
同じ事を繰り返して彼女は、種違いの娘三人と息子一人をこの世に産み落とす。僅か七年で彼女は色香でとてつもない財を築き上げた。この上ない非道の限りの果てに、絶対の信用を勝ち取ってしまったのだ。
通常の人間ではとても成し得ない所業も、肉体の一部をアンドロイド化する手術によって容易く解決した。本来はどうしてもと妊娠出産を望む人間の為に確立された技術も、彼女にかかれば欲望を満たす陰湿な手段になる。
世も末な彼女の破滅的な思考回路には、今でも客足が基礎としてその地盤を固められていた。
「ーーどいつもこいつも、役に立たない連中ばっかり。何でもいいから、知ってる事さっさと話しなさいよ」
白猫の思考は客のリストを一人ずつ潰していく度に穢れが荒れていった。奇跡的な理由が重なって未だ一発も撃っていないだけで、その引き金はとても軽くなっている。漏れ出る苛立ちがより過激に彼女を形作っていく。
「……俺は動画を買っただけで、実際に会った事はない。本当だ、信じてくれよ。知ってる事なんてそれぐらいしか」
かつての面影を持つ少女。それが拳銃を携えて目の前に立っている状況を、男は飲み込めないまま唾を飛ばす。死を前にして人間はその本性を晒し出した。
「死ぬ? 喋る? どちらでも好きなように決めて、ロリペドさん」
冷たい眼差しが男に注がれる。何も知らない人間にはどうしようもない事である。只々性癖が醜く倒錯しているだけなのだから。
「ーー冗談よ、その動画ファイルを消して私もお母さんも忘れる事。今回だけはそれで許してあげる」
舌打ちと溜め息が溢れ落ちて、白猫はベレッタを下ろす。大元を消し去らなければ意味がないと知りながら、それでもこれ以上の屈辱を受け入れるつもりもなかった。
他人の記憶に制限はかけられない。あるいは母親の死でもっても、白猫のやっている事に意味はないのかもしれない。
客の一人に構っている時間は余りなかった。無駄な事と蔑まれようと、走り出した彼女を止める方法は原初の決意通りである。
蒸し暑い夜は長く、永遠に終わらない程に白猫を生き急がせた。その行く末を、本人ですら想像もつかない程に歪ませながら。
自宅マンションを出た黒猫は、呼び付けたタクシーに乗り込むと繁華街へと行き先を設定する。
銀猫から届いた依頼内容の趣旨とその達成条件は、荒廃した弱肉強食の世界においてありふれた物である。
怨恨からの暗殺依頼。その界隈で女神と称される女の殺害が黒猫に課された仕事になる。ターゲットの詳細を依頼人すらまともに知らない案件は割と多く、黒猫は依頼人から与えられた情報を頼りに動く他なかった。
「……女神を殺せって、随分な依頼やないか」
黒猫は路地に佇む依頼人の男を見つけて、挙動不審なその背中を小突く。怪しさを絵に描いたような人物は大きく肩を震わせて振り向いた。
「君が暗殺者? 物騒な世の中になったもんだ。全く世も末って感じじゃないか」
男は自身を棚に上げて、世の荒廃を憂うような眼差しを向ける。その若き暗殺者に仕事を依頼したのは紛れもなくこの男本人である。
「居所も知らん奴を探したるんや。手間賃もしっかり回収するからな。その辺、忘れんなよ」
黒猫は男の言葉を気にも留めず、賃金の割り増しを主張して仕事に取り掛かる。久々の一人での仕事に、腕が鳴る感覚を自認する。
男が暗殺を依頼するに当たって、唯一与えられた情報が女神の通うお気に入りのホストクラブの事だけである。
男の欲望と理想を叶える店があれば、同じく女のそれも繁華街には溢れている。突破口がそれしかないのであれば、黒猫は迷わず選択するしかない。
「ほいで、例の女神は見つけたんか? ストーカー野郎」
素気ない言葉で黒猫は怪しい依頼人に問い掛ける。繁華街の中心部で人混みを掻き分けながら歩く二人はこの町並でかなり浮いている。
「断じてストーカーじゃない! 僕は一目惚れした女神を綺麗な存在のまま終わらせたい、そんな只の信者の一人だよ。ちなみに彼女はまだ見ていない」
問うに落ちず語るに落ちる男の発言は、ひっそりと監視する二人を通りで際立たせていた。
「自重せぇや。世間ではそれをストーカーて言うねん。一々口答えすな」
黒猫は隣で爆発する男に蹴りを入れて、不満気な男を更に睨み付ける。パワーバランスは早々に明確な物にしなければならない。
煌びやかなネオンに彩られたホストクラブの看板。屈強な男をボーイに立てて、入っていく女はキャバレーで働いていそうな女ばかりである。
場所が場所だけに黒猫達は外で監視する事を余儀なくされた。夏の暑さも相まって、黒猫の頭の中では加速度的に手間賃が積み上がっていく。
「ーー女神は清廉潔白でなければならない。ふとすれ違っただけの僕は正しく雷に打たれたんだ。それなのに彼女の素性を知って絶望したよ、もういっそ殺してでも美しく在ってもらわなければ」
自重した男は小言を延々と繰り返して、黒猫の苛立ちを徐々に募らせる。
「おい、五月蠅いねん……黙って見張っとけや」
黒猫は近くのコンビニで缶のハイボールを購入し、仕事を依頼人に任せて一人楽しんでいた。そうでもなければ、何が楽しくて不審者と時間を共に出来るのかとさえ感じた。
騒がしい夜が刻々と更けていく。 生温い風が繁華街の熱帯夜に吹き抜ける。人々の活気は留まる所を知らず、人波が途絶える事はない。
結局その日、黒猫と男はホストクラブを前に酒盛りに勤しむ不審者同然で何の成果も得られなかった。




