第五話 「囚われのマリオネット」 chapter 1
夕方を過ぎても明るさを損なわない夕陽を眺めながら、黒猫と白猫はふと沈黙する。何て事はない暗殺依頼を完了して業務連絡を終えた彼らに、世間話が飛び出す事は全くない。
二人がまるで示し合わせたようにそれぞれに歩き出したその瞬間、白猫の白い手を握った男は興奮気味に鼻息を荒くする。余りにも突然過ぎて黒猫は思わず立ち止まって傍観していた。
「ーーもしかして結愛ちゃん!? まさかこんな所で逢えるなんて! ビデオ見たよ! もうこんなに大きくなってたんだね。下の子達は元気してる? ていうか、結愛ちゃんなら今こそビデオに出るべきだよ!」
往来のある通りで浮浪者のように身形の悪い男は、人目を憚らず白猫に一方的に話し掛ける。興奮を抑えられないのか、過換気気味な吐息は嫌悪感すら漂わせている。
「ちょ……やめな、さい」
唐突な展開に驚いたのか、白猫は酷く動揺していた。人形のような表情が困惑に乱れる。対人交渉を卒なくやってのける彼女にしては、しどろもどろに見えた。
「お母さんは何時観ても綺麗だよね。一ファンとしてはまた二人だけのパターンも観たいんだ。今度は是非そんな企画にしてほしい! お金ならいくらでも出すし!」
振り払えずに踠く白猫には目もくれず、男のマシンガントークは勢いを緩めない。護身術を嗜んでいる彼女は珍しく男にいい様にされているように思える。
「……白猫、頭下げろ」
黒猫は普段と違う白猫に一歩遅れつつも、咄嗟に指示を聞き入れた彼女を避けてコルト・シングルで男を狙い撃つ。
焦点の定まらない浮浪者の額を弾丸が突き抜けた。肩で息をする白猫から静かに男が崩れ落ちる。
白猫は当然の事ながら黒猫より力はない。しかし力があるから強いのではなく、技術は力を簡単に塗り変えてしまう物である。
護身術の類にのみ絞れば、白猫は黒猫よりも練度が高い筈なのだ。そんな彼女が浮浪者の男を相手に出遅れる事はまずあり得ない。
「どないしてん?」
黒猫は通りに座り込む白猫に疑問符を浮かべる。遅れて状況に気付いた群衆が悲鳴を上げた。騒めき立つ周囲を睨み付けて、彼は浮浪者の死体を通りの裏路地に引き摺り込んだ。
呼吸を整えた白猫は黒猫の言葉に答える事もなく、浮浪者の男の荷物を探り始めた。相手が何者かを探る為には有効な手段であるが、彼女の鬼気迫る表情を見るにそれだけとはまるで思えない。
ポケットから携帯端末を見つけ出すと、彼女は凄まじいスピードで何かしらの操作をした。表情は見る見る青褪めていく。何か知りたくなかった事を目の当たりにした、そんな表情を黒猫は読み取る。
「ーー黒猫、さっきの事は忘れなさい。あと、あんたとはコンビを解消する。休暇を取る、社長には私から伝えとくから」
動揺を取り繕えないまま、白猫は足早にその場を去った。
浮浪者の死体と取り残された黒猫。尋常ならざる白猫の態度とその言葉に彼は胸に何かがつっかえるような物を感じる。人間関係において適切な距離感は重要である。明確な彼女からの拒絶に、踏み込んでくるなというメッセージを彼は受け取った。
黒猫からすれば、教育係という存在自体未だに納得はいっていないのだ。棚から牡丹餅よろしく降って湧いた好機に、喜ばしい所か何故か怒りさえ覚えた自身に困惑する。
エラーを起こした彼の脳は、徐ろに白猫が置いていった浮浪者の携帯端末を見つける。セキュリティーの掛かっていないそれは簡単に起動し、死ぬ間際まで熱く語っていた例のビデオのファイルを発見した。
羅列された動画ファイルのタイトルはどれも悪趣味を極めており、中でも狂気に歪んだ欲望をより濃く表しているのは一番上のデータである。
何故そうしたのか、黒猫は後から後悔する事になる。反射的に体が動画ファイルを選択し、ホログラム上に生々しい映像が流れた。
薄暗い病室に横たわる女、大きく開いた足と膨らむ腹。手術用のガウンを着た二人の男、苦しそうに呻く女の声。出産シーンを事細かに撮影したそのファイルは、正しく異常性の塊と言えた。
途中で投げ出した黒猫はその気持ち悪さにえずき、痰が絡まって道端に吐き捨てる。
生命の誕生を愚弄するような動画ファイルに黒猫は胸焼けする。他人からは理解不能なエロスを感じる所までは生きている人間である以上仕方ないとしても、それを実際に楽しんでいる様は如何せん筆舌に尽くし難い。
白猫の抱える闇に思わず足を踏み込んでしまった黒猫は、いつの間にか夏の暑さとは違うベクトルで汗だくになっていた。
焦燥感と倦怠感が相反する複雑な心境で白猫は通りを進む。すれ違う群衆の全てに後ろ指を指されているような気分で、彼女は夕暮れの蒸し暑さに似合わない冷や汗で背中を濡らした。
甦るトラウマと浮浪者の男の言葉。母親、顔も知らない兄弟姉妹、客、客、客。思考が纏まらないまま、激情に駆られるままに彼女は走り出す。
あの時全てに決着をつけた、そんな勘違いをしていた自身の甘さに憎悪が再び燃え上がる。あの程度で止まると、そう本気で思っていた自身の弱さに無意識に涙が溢れる。
泣いている暇はない。仕事も何もかもを忘れて、何より彼女は母親を殺さなければならない。今以上の不幸が約束された未来を、今すぐにでもぶち壊さなければ振り上げた拳の行方に決着が付かない。
幼い体に深く刻み付けられた過去の傷は、決して簡単に忘れられるような物ではなかった。それでも乗り越えようと仕事に打ち込む、何とか繋がっていた些細な日常が静かに脆く崩れていく。
一般世間から遠く離れたやくざ者としての生き方も、ある種の逃げに他ならないのかもしれない。
叫び出したい気持ちを喉元で抑え込んで、白猫は自宅へと急ぐ。煌々と燃え滾る夕陽は最後の一瞬まで紅くこの世界を照らしていた。




