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under rain  作者: 亮太 ryota
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第三話 「愛食む獣」 chapter 6

 忍び寄る死の予感を敏感に感じ取ったように、中西は目を覚ます。起き上がろうと体を動かして、自分がベッドに縛り付けられている事を今更ながらに知る。

 何故自分がこんな状況にあるのか、中西には理解出来なかった。尿意を催して踠くも、自身の力では分厚いゴム製のベルトからは逃れようもない。我慢の限界はすぐにくる。解放感と共に羞恥心が押し寄せて、湿る股間はただただ気持ち悪かった。

 いつも隣にいてくれるユイが見当たらず、安堵と不安が綯い交ぜになって苛まれる。傷に塗れていたとしても、彼女はいつも可憐で美しい。優しくされる事に少しの気恥ずかしさもあるが、例え僅かな時間しか二人で過ごせずともそこには確かな親愛を感じていた。

 何でも出来ると自惚れていた若かりし頃。目指していた死の形とは大きく変わって、それでも中西は過不足なく幸福であると断言出来る。今この時死んでしまったとしても、残されるユイには与えられるだけの愛を伝えられたと素直に思えた。


 寝室の扉が開く。隙間から覗く顔を見て、中西は恐怖に怯える。二人の聖域に踏み込んだ男の顔は能面のように無機質に見えた。


「……お前が悪い、お前が素直に金を払わないからだ、俺は金がいる、てめぇの残り少ない人生、俺が有効活用してやるよ」

 激情に駆られるまま、平坦な言葉は舌を滑って溢れてくる。松川は中西にではなく、自身に言い聞かせるように呟いていた。


 ベッドに縛られて動けない中西は逃げる事も出来ず、松川の手に握られた大量の薬を見つめる。顎を砕かれるかのような力で口を固定されると、躊躇なく流し込まれる錠剤で溺れそうになる。

 涙が溢れ出した。視界の端、寝室の扉の前で悲痛な表情を浮かべるユイの顔が仄かに見える。生きていてくれた、只ならぬ事態に巻き込まれていない事実に不思議と彼は平静を取り戻した。

 殺される。何の薬かは分からないが、殺しに来た事だけは確信出来る。先程までの戦慄はない。このまま全てを受け入れてようとさえ思えた。

 意識が刻々と遠退いていく。涙で眩む視界の端で、最後に泣いているように見えたユイを捉える。出来る事なら笑顔で別れたかった。どうしようもない感慨だけが尾を引いて、中西は緩慢に死へと誘われて終わる。


「ーーユイ、後はお前の仕事だ。抜かるなよ」

 脂汗を浮かべながら松川はユイに指示を出す。一仕事終えてどっと疲労感が体を駆け巡り、ベッド脇に崩れ落ちた。

 怒りのままに人間を殺した経験はあったが、入念に組み立てた計画による殺人は初めてだった。

 涙を溜めたユイの顔を見て、松川は無性に体の渇きを覚える。昨日からお預けを食らいまくった彼の欲望に歯止めは効かない。

 奴隷であるユイは求められるがまま松川の言いなりになる。複雑な心境を隠すまでもなく、彼女の気持ちなど知ろうともしない彼には関係なかった。押し殺した声に肉と肉とが弾ける音が死体が横たわる寝室に響く。

 必要最低限の痩せ細った体と偽りの平和に潤いを感じ始めた心が、酷く軋み脆く崩れ去る感覚と共にユイの体を走り抜ける。

 既に事切れた中西と不意に目が合った松川は、見透かされたような気持ちになってそれが乱暴にユイへとぶつけられる。

 悲しみと苦しみがユイの頬に涙を伝わせ、止めの一撃で注ぎ込まれる歪な愛情が彼女を無情に満たした。荒ぶる息遣いが静かな寝室に轟き、満足した松川は呆気なく薄暗い商店を後にした。


 その日の夜、松川から商店に来るよう要請されて黒猫と白猫は繁華街の外れにある裏通りを訪れた。

 湿気た空気が独特の澱みを纏わり付かせる商店街。人気のない時代から忘れ去られた場所で、二人の前に傷だらけの少女が立ちはだかる。

「ユイちゃんだっけ? あなた、こんな所で何してるの?」

 白猫はこちらを睨み付ける少女にクライアントへ接するように穏やかに話し掛ける。小刻みに震える体を自身で抱き締めて、ユイは憎悪に似た思いを募らせる。

「痛々しい傷。今は医療も発達してる、お金さえあればそれくらいの傷元通りになるよ。所有権持ってるんでしょ?」

 優しさではない。白猫はユイに同情の気持ちは一切持ち合わせてはいない。真剣そのものの表情は彼女を容易く射抜いた。

「中西が死んだ……殺されたか、私達を恨むのは筋違いでしょ?」

 真っ直ぐ白猫に見つめ返されて、ユイは取り繕った心を崩壊させる。大粒の涙を浮かべて嗚咽を漏らす。


「あのな、泣く程俺らを恨む前に、お前はやらなあかん事あるんちゃうか?」

 黒猫は辛辣に目の前の少女の心を抉る。彼に比べれば白猫はまだまだ優しい方なのかもしれない。

 立つ事もままならなくなったユイは所々舗装の剥がれた通りに項垂れる。言葉は時として鋭利なナイフよりも尖った刃を心に突き刺す。

「松川殺したったらええやん。拳銃貸したろか? 簡単な話や、ハンマー起こして引き金引く。どんだけアホでも出来んぞ」

 懐からコルト・シングルを取り出して、グリップをユイに向けてずかずかと近付いていく。力なく俯くユイの思いを試す黒猫は無表情のままでいた。


「ーーおぉ、待ってたぜ。金は無事ユイに所有権が移った。後はユイから支払うだけだ」

 立ち尽くす黒猫と白猫、座り込むユイを見て素っ頓狂な声音の松川が出迎える。未払いの報酬から解放された事で、緩み切ってしまったような顔は心なしかすっきりと艶のような物を光らせていた。


「殺す、殺す、殺す」

 場違いに思える程の松川の声が少女の琴線に触れる。差し伸べられた黒猫の手からコルト・シングルを受け取ると、不恰好で無茶苦茶な構えで松川へ銃口を向けた。


「……親指で取っ掛かりを引け、先っぽのちょぼを狙いたい所に合わせろ、後は人差し指で握り込むだけや」

 黒猫は適当な言葉でユイに拳銃の撃ち方を指南する。定まらないコルト・シングルの照準を強引な力付くで補助して、残りは彼女の意思に委ねられる。


 吐息が熱を帯びて、鼓動は警告するように早まった。中西が死ななければならなかった元凶を前に、ユイの体は数瞬毎に強張っていく。その目に溜めた涙が傷の目立つ肌を溢れ落ちた。

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